2006年の今日、糖尿病に起因する合併症で逝去した彼は、1967年にピンク・フロイドの一員としてデビューしますが、薬物中毒と精神病性障害で体調を崩し、2ndアルバムのレコーディング中にバンドを脱退し、1年ほど表舞台から姿を消してしまいます。
1969年、彼はソロとして活動を開始しますが、1972年以降はミュージシャンとしては引退状態となってしまい、実質的な活動期間はわずか3年足らずしかありませんでしたが、その卓越した音楽センスと抜群のカリスマ性から、彼を信奉するミュージシャンは数多く、リアルタイムで彼を目撃した世代は勿論のこと、その後の世代にも多大な影響を与えているのでした。
そんなわけで、今日の一枚はこちら↓
M1:アーノルド・レーン
M2:シー・エミリー・プレイ
M3:アップルズ・アンド・オレンジズ
M4:マチルダ・マザー (オルタナティヴ·ヴァージョン)
M5:第24章
M6:バイク
M7:カメに捧ぐ詩
M8:ラヴ・ユー
M9:暗黒の世界
M10:ヒア・アイ・ゴー (2010リミックス)
M11:タコに捧ぐ詩 (2010リミックス)
M12:寂しい女 (2010リミックス)
M13:イフ・イッツ・イン・ユー
M14:ベイビー・レモネード
M15:ドミノ (2010リミックス)
M16:ジゴロおばさん
M17:興奮した象
M18:ボブ・ディラン・ブルース
2010年に発表された、全米106位を記録した彼のグレイテスト・ヒッツアルバム、シド・バレットの『幻夢〜シド・バレット・オールタイム
・ベスト』です。
ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアが監修したこのアルバムは、ピンク・フロイド時代に残した楽曲を含めた彼の集大成とも言えるコンピレーション・アルバムです。
全英20位を記録したM1は、記念すべきピンク
・フロイドでのデビュー・シングルで、全英6位を記録したM2も、アルバムに先行してリリースされた2ndシングル、そして、M3は、彼が狂気の世界に迷い込んでいくきっかけとなったと言われている3rdシングルです。
また、M18は、2001年に発表されたコンピレーション・アルバム『僕がいなくてさみしくないの?〜ザ・ベスト・オブ・シド・バレット』に初めて収録された、彼がピンク・フロイド加入する以前に書いた楽曲です。
全くの余談ですが、1960年代に彼の母親が実家を下宿として貸し出していた時期があって、そこに当時イギリスに留学していた小泉純一郎が住んでいたことがあるそうです。
この5月には日本でも彼のドキュメンタリー映画が公開されるなど、このアルバムは、死後も多くのアーティストへの影響力が衰えない彼を知る上で興味深い一枚です。