故郷ロングアイランドを拠点としていたザ・ハッスルズのメンバーとして活動していた彼は、バンドのドラマーのジョン・スモールと、ハードロック・ユニットを結成してアルバムを発表します。

しかし、鳴かず飛ばずでユニットは解散、そのうえ彼は鬱病に悩まされていて、極度の神経衰弱から精神病院に入院するほどでした。

そんなわけで、今日の一枚はこちら↓
M1:シーズ・ガット・ア・ウェイ
M2:ユー・キャン・メイク・ミー・フリー
M3:エヴリバディ・ラヴズ・ユー・ナウ
M4:ホワイ・ジュディ・ホワイ
M5:フォーリング・オブ・ザ・レイン
M6:ターン・アラウンド
M7:ユー・ルック・ソー・グッド・トゥ・ミー
M8:トゥモロー・イズ・トゥデイ
M9:ノクターン
M10:ゴット・トゥ・ビギン・アゲイン

1971年に発表された、不本意な結果に終わった彼のデビュー・アルバム、ビリー・ジョエルの『コールド・スプリング・ハーバー〜ピアノの詩人』です。

アーティ・リップなる人物のプロデュースによるこのアルバムは、テープの回転数を誤ってマスタリングされるという致命的なミスが生じ、完成されたアルバムを聴いた彼は、そのレコードを道に投げつけたそうです。
しかし、1983年に回転数の修正に加えてバッキングトラックを編集してコロンビア・レコードから再発されると、全米チャートにチャート・インを果たし、1984年に全米158位を記録しました。

このアルバムからM1(c/wはM3)がシングルカットされましたが、当然ヒットチャートに入ることはありませんでした。
しかし、1981年に発表されたライヴ・アルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』に収録したライヴ・ヴァージョンがシングルカットされると全米23位を記録しました。

初のアメリカツアーも途中で打ち切られてしまい、セールス的にも失敗に終わったこのアルバムは、彼にとっては黒歴史とも言える悲運の一枚です。