(この記事は2015年11月13日に投稿した記事を加筆修正したものです)


1974年に活動を開始した彼等は、本国イギリスでのデビューは全くの不発に終わった一方で、日本では、初来日公演がいきなりの日本武道館と、楽器の弾き方もろくに解さないままにライヴハウスで細々と演奏活動をしていたバンドがです。


“ビッグ・イン・ジャパン”的な持て囃され方をされて、日本のファンに愛され、育てられて大きくなった彼等は、前作あたりから本国でも評価を高めていくのでした。


そんなわけで、今日の一枚はこちら↓
M1:ジ・アート・オブ・パーティーズ
M2:トーキング・ドラム
M3:ゴウスツ
M4:カントン
M5:スティル・ライフ・イン・モウビル・ホームズ
M6:ヴィジョンズ・オブ・チャイナ
M7:サンズ・オブ・パイオニアーズ
M8:カントニーズ・ボーイ

1981年に発表された、キャリアハイとなる全英12位を記録した彼等の5thアルバム、ジャパンの『錻力の太鼓』です。


ブライアン・フェリーの『イン・ユア・マインド(あなたの心に)』を手掛けたスティーヴ・ナイとの共同プロデュースによるこのアルバムは、毛沢東の写真が掲げられたジャケット・カヴァーからしても濃厚なオリエンタル色が窺えて、サウンド面にも如実に反映されて、所々に日本語や中国風のメロディが散りばめられていて、ノルウェーでは16位を記録、日本でもオリコン38位を記録しました。


彼等がアフリカン・ビートやアジアの旋律に目覚めたのはYMOの影響があったことは言うまでもありませんが、彼等にとってはソウル・ミュージックもグラム・ロックも、或いは、アジアやアフリカのエスニック音楽も、独自のスタイルを模索するために駆り出された便利な道具に過ぎなかったのかも知れません。


先行してシングルリリースされたM1(c/wはアルバム未収録)は全英48位を記録、因みに、日本では「マイ・ニュー・キャリア」とのc/wでリリースされました。

因みに、アルバムに収録されたM1は再録ヴァージョンです。

また、続いてシングルリリースされたM6(c/wはアルバム未収録)は全英32位を記録しました。


このアルバムからシングルカットされたM3(c/wはM1のライヴ・ヴァージョン)は、キャリアハイとなる全英5位を記録するヒットとなって、アイルランドでも19位を記録しています。

そして、M4(c/wはアルバム未収録)は全英24位を記録しました。


自ら成長を止めてしまった少年が子供のままの視線で大人達の社会を批判的に眺める、という内容のギュンター・グラスの小説『ブリキの太鼓』と同じタイトルをアルバムタイトルに冠したのも何か暗示的ですが、デヴィッド・シルヴィアンのヴォーカルも魅力的だったこのアルバムは、間違いなく彼等の最高傑作と確信する一枚です。