(この記事は2015年8月18日に投稿した記事を加筆修正したものです)


16歳のとき、ジョン・ボン・ジョヴィは知り合いだったデヴィッド・ブライアン等とバンドを結成して、ブルース・スプリングスティーンの故郷でもある、ニュージャージーを中心にライヴ活動を行っていました。


1983年、アレック・ジョン・サッチがティコ・トーレスと共に彼等に参加すると、その後、彼等のステージを観に来ていたリッチー・サンボラが、オリジナルメンバーのデイヴ・セイボの演奏に憤慨し、終演後楽屋に乗り込んで“こんなギタリストより俺の方が上手い”と啖呵を切ったことがきっかけとなり、正式なオーディションに参加して、デイヴを追い出す形で加わりました。


1984年、デビュー・アルバムを発表した彼等はシングルがラジオから火がついて、あっという間に日本のロック・ファンのハートをワシ掴みにした彼等は、当時は本国アメリカよりも日本で先行して人気が爆発した、俗に言う“ビッグ・イン・ジャパン”なバンドだったのでした。


そんなわけで、今日の一枚はこちら↓
M1:レット・イット・ロック
M2:禁じられた愛
M3:リヴィン・オン・ア・プレイヤー
M4:ソーシャル・ディジーズ
M5:ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ
M6:レイズ・ユア・ハンズ
M7:ウィズアウト・ラヴ
M8:アイド・ダイ・フォー・ユー
M9:ネヴァー・セイ・グッドバイ
M10:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ

1986年に発表された、8週連続全米1位に輝いた彼等の3rdアルバム、ボン・ジョヴィの『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』です。


ブルース・フェアバーンをプロデューサーに迎えたこのアルバムは、制作するにあたり30曲ほど用意された楽曲から、地元やニューヨークにいる10代の若者たちに聞かせてその反応を参考にしたとも言われていて、まさに売れるべく売り出されたアルバムでした。

また、楽曲制作にデズモンド・チャイルドが初めて参加したアルバムで、全米だけでも1,200万枚を売り上げ、全世界では2,800万枚売り上げたとされて、全英では6位、日本でもオリコン10位を記録しました。

因みに、ジャケット・カヴァーをメンバーが気に入らなかったという理由もあって、米国オリジナル盤はジャケット・カヴァーが差し替えられてリリースされました。


先行シングルとしてリリースされたM2(c/wはM

6他)は全米1位を獲得、カナダやオランダでは2位を記録して、全英でも14位と好評価を得ました。

続いてシングルカットされたM3(c/wはM10)も全米はじめ世界4か国で1位を獲得、しかも、全米では2作連続、4週連続で全米1位を獲得したことで、本国アメリカでの人気を確かなものとして、全英でも4位を記録しました。

そして、M5(c/wはM9他)は全米7位を記録、全英では13位、ニュージーランドでは5位を記録して、ヨーロッパではM9(c/wはアルバム未収録)がシングルカットされて、全英21位、アイルランドでは4位を記録しています。


MTVでの大量露出が大成功に拍車をかけたのは言うまでもありませんが、内容的にも、前作までとは比較にならないほど格段にアカ抜けていて、演奏は骨太で、メロディも“ボン・ジョヴィ節”と言われるほどの楽曲の完成度もピカイチな仕上がりになっています。


このアルバムは、良くも悪くも1980年代のロックを象徴するバンドとなった彼等とともに、1980年代のロックを象徴している一枚です。