(この記事は2015年8月14日に投稿した記事を加筆修正したものです)


1962年に結成された彼等は、“三大ロック・ギタリスト”を輩出したことでも知られる、ブリティッシュ・ロックの名門バンドであることは周知の通りでしょう。


しかし、1964年に英国EMIからリリースされた彼等のデビュー・アルバムはライヴ・アルバムで、1965年に米国EPICからリリースされた2ndアルバムは、ヒットシングルを中心に編集したコンピレーション・アルバムでした。

そして、1966年に米国EPICからリリースされた3rdアルバムもまた、当時の新曲を含んだコンピレーション・アルバムだったのでした。


そんなわけで、今日の一枚はこちら↓

M1:リトル・ゲームズ

M2:スマイル・オン・ミー
M3:ホワイト・サマー

M4:ティンカー、テイラー、ソルジャー、セイラー

M5:グリンプシズ

M6:ドリンキング・マディ・ウォーター

M7:ノー・エクセス・バゲージ

M8:スティーリング・スティーリング
M9:オンリー・ブラック・ローズ
M10:リトル・ソルジャー・ボーイ

1967年に発表された、全米80位を記録したアメリカにおける彼等の5thアルバム、ザ・ヤードバーズの『リトル・ゲームズ』です。


米国EPICからリリースされたこのアルバムは、ミッキー・モストのプロデュースによる、ジミー・ペイジ加入後初の、また、彼等唯一のスタジオ・アルバムでもありました。
そして、モストの意向で、アレンジャーとしてジョン・ポール・ジョーンズが招聘されるのでした。

しかし、このアルバムは北米や日本ほか数か国でしかリリースされず、本国イギリスではリリースが見送られていて、この米国盤が高額なコレクターズプライスで取引されていましたが、ようやく1985年にイギリスでもリリースされますが、それは、アルバム未収録のシングル曲と未発表曲を加えた、ジャケット・カヴァーも全く異なる廉価盤としてでした。

先行してシングルリリースされたM1(c/wはアルバム未収録)は、チェロを導入したジョン・ポール・ジョーンズのアレンジによるもので全米51位を記録、カナダで36位、オーストラリアでは27位を記録しました。
そして、ペイジのオリジナル曲で、シタールとアコースティックギターにタブラとオーボエが絡まる、インド音楽とトラッド・フォークを融合させたM3や、ヴァイオリンの弓を使った、ペイジの十八番でもあるボウイングプレイが聴けるM4など、その後のバンド・スタイルへの橋渡し的な要素も窺えます。

また、ザ・フーを彷彿させるようなM5や、マディ・ウォーターズの「ローリン&タンブリン」を改作したM6、グレゴリオ聖歌調のM9など、ヴァラエティに富んだ内容になっています。

1968年、ラウドになってきたバンドのサウンドに不満を抱いていた創設メンバーのキース・レルフと、薬漬けで役に立たなくなったジム・マッカティーは脱退してし、残ったペイジとクリス・ドレヤはバンドの存続を計画しますが、そんな矢先にドレアも脱退してしまいます。


ペイジは、セッション・ミュージシャン時代の仲間であり、このアルバムのアレンジャーでもあったジョン・ポール・ジョーンズと、ロバート・プラントとジョン・ボーナムを加えて、“ニュー・ヤードバーズ”として活動を再開します。

この時、“偉大なる飛行船”が飛び立ったわけですが、その引換えとして、彼等は歴史の中に埋没することとなるのでした。


このアルバムは、モストのポップ路線によってバンド内の分断が余儀なくされて、ぶつかり合う個性が面白く反映して意外な結果を生んだともいえる一枚です。