みなさんお元気ですか?
前回のブログで書きましたが、あたしは今ハワイにいます
実は
ご当地!絶品うまいもん甲子園の優勝特典として、海外研修という特典が付いていました。
それが何故ハワイかと言うと。。。
今
ハワイでは、ホノルルフェスティバルというイベントが行われています。
そのフェスティバルでは、「太平洋、世界を心で結ぶ喜びの祭典」というテーマで、日本からもねぶた祭りや、日本空手や、よさこい、日本舞踊、日本映画など、日本全国から多く参加しています。
しかも
それらがホノルルのメインストリートなどで行われたりもし、世界各地から来られた観光客の方々が見れるのです。
そのイベントが、なんと今年は20周年という事で、うまいもん甲子園でも何か出来ないかというお話から、だったら海外の大型農園見学なども出来ないかとなり。。。
今回の優勝特典がハワイへと決まりました。
そこで
せっかくなので、あたしもホノルルフェスティバルと農園見学に参加させてもらう事になったのです。
ホノルルフェスティバルは、ハワイ時間の明後日7日から9日までなので、生徒さん達は明日ハワイに着きます
そして
海外研修前に、その生徒さんがうまいもん甲子園の事を書いてくれた文章が届きました。
題名:照らされる道。
赤く染められた空を見ながら悔しさと惨めさで涙が止まらなかった。
「私は何をしているんだろう」そんな思いが心を埋め尽くしていた。
この日、静岡県で高校生パンコンテストが開催された。
私は一次審査で敗退したが、友人は最終審査まで残り特別賞を受賞した。
しかし、私は心の底から「おめでとう」と祝福してあげることはできなかった。
結果発表までは「勝って欲しい」と願っていたのに…賞状を受け取る友達を見ていると、何も受賞できなかった自分の惨めさと情けなさが込み上げてきたのだ。
私は料理好きが講じて二年生から「食」のコンテストに友達と多数応募してきた。全国で賞を取る友達を目の当たりにしながら、私は全てが予選敗退。
いつしか「私は疫病神なのかな」と母親に漏らすほど、心はすさみ深い闇に閉ざされていった。
ある日、先生からの勧めで「ご当地!絶品うまいもん甲子園」というコンテストを知った。
私が考えたアイディアを先生に言うと「斬新だ。作ってみろ」と背中を押され、友達四人で試作することに。
餃子の皮に野菜を練り込むことでオレンジ、黄、紫、緑の色をつけて一つ一つ味も違う四色のカラフルな餃子を作った。
それをドンブリに入れて柚子スープを注いでからパイ包みにする「伊達なハイカラぎょーざ」を完成させた。
しかし、ここで問題が発生。
一チーム三人での参加のため、誰かが抜けなければ応募できないことが分かった。
悩んだ末、自分が抜ける事に…結果を残さなない自分に自信が持てなかったため、「私がいると勝てないから抜けます」と先生に伝えた。
その時は険しい表情をしただけで何も言われなかった。自分から言い出したことなのに何故か虚しく悲しさに押し潰されそうになった。
「これでいいんだ。みんなの為…」自分にそう言い聞かせてその場を後にした。
その夜、一本の電話があった。
先生からだった…「馬鹿じゃないのか。お前が考えた料理だろ」と一喝された。
その瞬間、本心はその言葉を待っていたことに気がついた。
誰かに気づいて、引き止めて欲しかった。その時、私は大声で泣いた。
それからチームが決まり書類を提出。作品には自信があったが、「また書類選考で落ちるのかな」そんな不安は拭いきれなかった。
ある日、先生から「予選通過したよ。次は東北大会だ」と言われ、初めて勝利を噛み締めた。
しかし「これはマグレ」と思っていた。私は度重なる敗北から、自分自身を信じることが出来なくなっていたのだ。
そんな自分が嫌いだった。
変えたかった。
限界という殻を破りたかった。
そうか、私の敵は他の学生ではなくて自分自身だったんだ。
それに気がついた時、もう後ろを向かず、最後まで全力で取り組むことを決意した。
それからは休みを返上して練習に励み東北大会に挑んだ。
結果は二位通過で全国大会の切符を手にした。初めて手に入れた光。
「私でも勝てるんだ」という自信をもてたことがとても嬉しかった。
それからは「全国に行くのなら賞を取って見せる」と意気込み、毎日夜遅くまで改良し続けた。
十一月二日全国大会当日。
くしくもこの日は私がコンテストに参加するようになってちょうど一年。負け続けた日が始まった日。
調理が始まり今までの成果をすべて本番にぶつけるつもりだったが、緊張から練習通りにできず、パイ生地が割れて見た目が悪くなってしまった。
その瞬間「またか…やっぱり私はダメなんだ」溢れそうになる涙をこらえながらも終了の合図がなるまでできる限りのことをし尽くした。
審査員の試食が終わり、そして結果発表。特別賞、準優勝と次々と選ばれていく中、私たちの高校名は聞けなかった。
「今回もだめだった…自分のミスのせいでみんなの足を引っ張ってしまった」と自責の念に駆られていた。
「優勝は伊達なハイカラぎょーざ」始めは司会者の声に気がつくことができなかった。
そう、私たちは優勝した。
一瞬で涙と喜びに包み込まれた。
今までは悲しい涙。
だけど、今回初めての嬉し涙だ。
その時、自分のなかで大きく崩れた音がした。
私の殻が壊れる音。
この日を境に「自分は負ける」という言葉を言わなくなった。
私は今まで抜け出すことの出来ない暗く深い闇を一人歩いていた。
一度転べば立ち上がれないぐらい辛かった道。
だが今は希望という光が私の道を照らしてくれる。気がつくと周りには仲間が居てくれた。
私は今、一年前と同じように空を見つめている。
だか、それは赤く染まった悲しい空ではなく、明るく暖かい眩しい太陽の光だ。
今の私には悔しかったあの頃の記憶も、いい記録として心に刻んでしまっておける。
これは
優勝した、宮城農業高校のチームのリーダーの文章です

これが届いて読んだ時、あたしも泣いてしまいました。
予選から見てきた姿だけではなく、もっともっと沢山の想いがあって、うまいもん甲子園に出場してくれた事、その結果をここまでプラスに感じてくれた事。。。
明日
みんなと会うのが楽しみです
もっともっと色んな話が聞けたらいいなぁ

そして
彼女達にとって更に素敵な経験になりますように。。。
□今日の一言□
忘れたい
思い出も
多いけど
それ以上に
もっともっと
忘れられない
思い出を。
前回のブログで書きましたが、あたしは今ハワイにいます

実は
ご当地!絶品うまいもん甲子園の優勝特典として、海外研修という特典が付いていました。
それが何故ハワイかと言うと。。。
今
ハワイでは、ホノルルフェスティバルというイベントが行われています。
そのフェスティバルでは、「太平洋、世界を心で結ぶ喜びの祭典」というテーマで、日本からもねぶた祭りや、日本空手や、よさこい、日本舞踊、日本映画など、日本全国から多く参加しています。
しかも
それらがホノルルのメインストリートなどで行われたりもし、世界各地から来られた観光客の方々が見れるのです。
そのイベントが、なんと今年は20周年という事で、うまいもん甲子園でも何か出来ないかというお話から、だったら海外の大型農園見学なども出来ないかとなり。。。
今回の優勝特典がハワイへと決まりました。
そこで
せっかくなので、あたしもホノルルフェスティバルと農園見学に参加させてもらう事になったのです。
ホノルルフェスティバルは、ハワイ時間の明後日7日から9日までなので、生徒さん達は明日ハワイに着きます

そして
海外研修前に、その生徒さんがうまいもん甲子園の事を書いてくれた文章が届きました。
題名:照らされる道。
赤く染められた空を見ながら悔しさと惨めさで涙が止まらなかった。
「私は何をしているんだろう」そんな思いが心を埋め尽くしていた。
この日、静岡県で高校生パンコンテストが開催された。
私は一次審査で敗退したが、友人は最終審査まで残り特別賞を受賞した。
しかし、私は心の底から「おめでとう」と祝福してあげることはできなかった。
結果発表までは「勝って欲しい」と願っていたのに…賞状を受け取る友達を見ていると、何も受賞できなかった自分の惨めさと情けなさが込み上げてきたのだ。
私は料理好きが講じて二年生から「食」のコンテストに友達と多数応募してきた。全国で賞を取る友達を目の当たりにしながら、私は全てが予選敗退。
いつしか「私は疫病神なのかな」と母親に漏らすほど、心はすさみ深い闇に閉ざされていった。
ある日、先生からの勧めで「ご当地!絶品うまいもん甲子園」というコンテストを知った。
私が考えたアイディアを先生に言うと「斬新だ。作ってみろ」と背中を押され、友達四人で試作することに。
餃子の皮に野菜を練り込むことでオレンジ、黄、紫、緑の色をつけて一つ一つ味も違う四色のカラフルな餃子を作った。
それをドンブリに入れて柚子スープを注いでからパイ包みにする「伊達なハイカラぎょーざ」を完成させた。
しかし、ここで問題が発生。
一チーム三人での参加のため、誰かが抜けなければ応募できないことが分かった。
悩んだ末、自分が抜ける事に…結果を残さなない自分に自信が持てなかったため、「私がいると勝てないから抜けます」と先生に伝えた。
その時は険しい表情をしただけで何も言われなかった。自分から言い出したことなのに何故か虚しく悲しさに押し潰されそうになった。
「これでいいんだ。みんなの為…」自分にそう言い聞かせてその場を後にした。
その夜、一本の電話があった。
先生からだった…「馬鹿じゃないのか。お前が考えた料理だろ」と一喝された。
その瞬間、本心はその言葉を待っていたことに気がついた。
誰かに気づいて、引き止めて欲しかった。その時、私は大声で泣いた。
それからチームが決まり書類を提出。作品には自信があったが、「また書類選考で落ちるのかな」そんな不安は拭いきれなかった。
ある日、先生から「予選通過したよ。次は東北大会だ」と言われ、初めて勝利を噛み締めた。
しかし「これはマグレ」と思っていた。私は度重なる敗北から、自分自身を信じることが出来なくなっていたのだ。
そんな自分が嫌いだった。
変えたかった。
限界という殻を破りたかった。
そうか、私の敵は他の学生ではなくて自分自身だったんだ。
それに気がついた時、もう後ろを向かず、最後まで全力で取り組むことを決意した。
それからは休みを返上して練習に励み東北大会に挑んだ。
結果は二位通過で全国大会の切符を手にした。初めて手に入れた光。
「私でも勝てるんだ」という自信をもてたことがとても嬉しかった。
それからは「全国に行くのなら賞を取って見せる」と意気込み、毎日夜遅くまで改良し続けた。
十一月二日全国大会当日。
くしくもこの日は私がコンテストに参加するようになってちょうど一年。負け続けた日が始まった日。
調理が始まり今までの成果をすべて本番にぶつけるつもりだったが、緊張から練習通りにできず、パイ生地が割れて見た目が悪くなってしまった。
その瞬間「またか…やっぱり私はダメなんだ」溢れそうになる涙をこらえながらも終了の合図がなるまでできる限りのことをし尽くした。
審査員の試食が終わり、そして結果発表。特別賞、準優勝と次々と選ばれていく中、私たちの高校名は聞けなかった。
「今回もだめだった…自分のミスのせいでみんなの足を引っ張ってしまった」と自責の念に駆られていた。
「優勝は伊達なハイカラぎょーざ」始めは司会者の声に気がつくことができなかった。
そう、私たちは優勝した。
一瞬で涙と喜びに包み込まれた。
今までは悲しい涙。
だけど、今回初めての嬉し涙だ。
その時、自分のなかで大きく崩れた音がした。
私の殻が壊れる音。
この日を境に「自分は負ける」という言葉を言わなくなった。
私は今まで抜け出すことの出来ない暗く深い闇を一人歩いていた。
一度転べば立ち上がれないぐらい辛かった道。
だが今は希望という光が私の道を照らしてくれる。気がつくと周りには仲間が居てくれた。
私は今、一年前と同じように空を見つめている。
だか、それは赤く染まった悲しい空ではなく、明るく暖かい眩しい太陽の光だ。
今の私には悔しかったあの頃の記憶も、いい記録として心に刻んでしまっておける。
これは
優勝した、宮城農業高校のチームのリーダーの文章です


これが届いて読んだ時、あたしも泣いてしまいました。
予選から見てきた姿だけではなく、もっともっと沢山の想いがあって、うまいもん甲子園に出場してくれた事、その結果をここまでプラスに感じてくれた事。。。
明日
みんなと会うのが楽しみです

もっともっと色んな話が聞けたらいいなぁ


そして
彼女達にとって更に素敵な経験になりますように。。。
□今日の一言□
忘れたい
思い出も
多いけど
それ以上に
もっともっと
忘れられない
思い出を。