月と蛇と縄文人

縄文人は神話的思考、野生的思考「レヴィイストロース」でものを考えていた。脳の生理機構に根ざしたものの考え方。神話とは、なぜ「動植物などのモノが存在してなぜ、コトが起こるのかについての考え方を述べている。現代人の失ってしまった根源的思考法を縄文人は使っていた。この思考法は人間とは何かという現在多くの学者の研究に通ずるくらい考古学は大事だと思う。

第1章縄文人の者の考え方。

1縄文の謎はなぜ解けない

マルクス主義の影響もあってか、史的唯物論(唯物史観)というものの見方をするようになり、経済合理性のみを軸に当てはめていく研究がデフォだけど人は経済合理性のみで生きているわけではない。こうした心性を無視していた考古学。ネリーナウマンは人間が宗教的で象徴的なものの考え方をして、それが人間の根源的な心性に根ざしたものであると「人間の根源的な心性」。人間の根源的を説いたのジークムントフロイトはそれを無意識と呼び答えを夢に求めた。発展したのが普遍的無意識(集合的無意識)を説いたカールユング。こうした心性が象徴作用(シンボリズム)を通して信仰に結びつくと言った。

2ユングとエリアーデ

ユング、無意識には個人的無意識と普遍的無意識の二層ある。(フロイトは本質を抑圧された病的心性と考えていた)普遍的無意識は遺伝で伝わり、文化を超え人類共通の実体の 人類の歴史を通し全体に獲得され承継された深層行動。普遍的無意識の内容は元型(象徴、印象)で構成されている。エリアーデの象徴理論超意識、摸型「象徴理論」一切の行為が象徴を帯びている。

3ネリーナウマンの象徴研究

4日本考古学者の象徴論

 縄文研究者戸沢充則「縄文にも現代人にも通用する本能に根ざした心性がある。前倫理の心性、つまり現代人が論理的に説明し立証しようとしても不可解なのかもしれないが、その心性を大切にする精神があるし、それが未来の手助けになるかも」小林達雄「縄文人の作った精神性の強い第二の道具としての機能。縄文土器は彼らの世界を描くキャンバスだ」田中基、島享(民俗学者)やナウマンの中核は月のシンボリズム。月は水の源でありそれを象徴するのが古来中国ではカエル。元服儀礼と石冠は縄文の名残だ。

5異分野からのアプローチ

 磯前純一(土偶の象徴機能)土偶は母性性の象徴でグレートマザー。アンビバレント(相反する気持ちが同居するようす)な産み育てる力と飲み込み破壊する力の同居が土偶にはある。男性性は自我意識に比されるのにたいし、無意識の性質として認識されるものと考えられる。この母性性が元型(人間の根源的心性)に根ざすものであり、園は表現形態が土偶。これは縄文の個人意識と対極にある集団意識の心性や規範の斉一性が内在的に維持している。中沢新一、ネアンデルタール人と,現生人類のクロマニョン人の差は象徴的思考能力の有無。これは認知考古学者。現生人類になり脳室間のコミュニケーション生理機能により三次元情報(現実の意識された情報)が重なり合わされ,象徴や隠喩などが可能に。縄文人の象徴や引喩、神話を解き明かすことにより人類の根源的な心の解明が進むのではないか。中沢新一「象徴的思考には無意識の存在が不可欠。象徴は圧縮や置き換えによって横断的つなぎ合わせていこうとする。これには自分の内部に流れる流動的な知性の活動が必要。

6読み時の鍵はシンボリズムとレトリック

伝播により人々に伝わったのではなく、根源的なものの考え方からではないか。

ユング、ノイマンが指摘する普遍的無意識を構成している元型の代表はグレートマザー(母性性)月がシンボリズムになったのは女性の生理周期と同じであることに象徴的な意義を見出していたから。また、縄文人のシンボルを具体的に形にする手法としてレトリック(修辞)が挙げられる。これが人間の根源的認知方法である。縄文人が使ったレトリックの表現方法は誇張法と隠喩法。擬人法も。このレトリックが無意識という心性と結びついたもの。現代の写実法は科学や哲学の誕生があってこそのもので、リアルに動物や人を描くことは当時はできなかった。レトリックの表現は縄文のシンボル表現にも使われた。(ヴァレンドルフのビーナス、オーストラリア)写実は科学と哲学を基盤とした文化的芸術的創造(モナリザを描いたダヴィンチ)地域で共通性なレトリックになるのは集団の合意のもと制作されているから。

第二章縄文人のモノづくり原理

 第一説縄文土器は本当に鍋か?

ベビーは神話世界においては月の性格を分有するもの。不死や再生のシンボル。縄文は蛇の交尾。蛇から生命力の旺盛さを見て取れたので崇めた。円筒下層式土器。貝殻文の意味、北海道東部、暁式土器尖底土器は次のシンボリズムの中で作られたものだ。霧島市の 上野原遺跡は日本最古の集落遺跡。生活臭がなく宗教的な場所なのではないか。壺が次と女性(子宮)をシンボライズするという考えはインカ文明などでも見られるわけでこれは普遍的な広がりを持っているということ。渡辺誠は人面土偶装飾付き土器を、縄文人の心性に死と再生を司る母神を崇める信仰がありさまざまな形はそれを表している。いろんな土器のピラミッド頂点がこの人面土器。装飾土器は女性の体、男性を象徴するマムシとセットなど中で煮られた食物が新しい生命として意識。(出産土器)縄文土器は小林龍生が指摘した通り、縄文人の世界観を描いたキャンパスだ。

第二節土偶の脇はなぜ甘い。

国学者菅江真澄は津軽、出羽で発見した土偶を蝦夷によって作られた可能性を仄めかしている。明治以降は海外の学者によって宗教的な解釈が行われる。土偶は女神や地母神とした解釈。こうか再生や蘇りに対する呪術的宗教的心性は、人の根源的なもの。バルカン半島や中欧でも月と見ながら壺を抱く土偶が発見されている。ナウマンははっきりと一定の祈りのポーズを取っていたことを証明している土偶が日本にはたくさんある。月は一切の水と湿り気を統御する(ロバートブリフォール)体液の全ては神の分泌物。わきは光の当たらない闇を表しているゆえ、闇から逃れ光を求めるため脇が空いていたりする。三本指、三という数字は陰歴では重要な数字でやはり月からきている。中空なのは、月の水を入れる祭祀道具だから。

まとめ、げんじつからのがれさいせいをかくじつにするため、月や蛇のような死なないものへの信仰がある。レトリックと言う隠喩と誇張表現。アイヌの紋様は人と同じく生きている。紋様にはイラカリ(血管)が入り流れるように生きている。


第三節石斧の色はなぜ緑なのか

矢尻の尻。英語ではアローヘッドで逆。対称性の思考「対称性の人類学」が見え隠れする祭祀具と見ることもできる。

そもそも縄文人は人や動物をリアルに表現することが稀。高度なレトリックなので、現代人が解き明かすのは難しい。食生活も北海道と本州では大きく違った。縄文からアイヌは虫歯が少なく本州人はデンプンが主食なので虫歯になりやすかった。タンパク源は、北海道縄文人の主食は魚介類、本州人は木の実だった。では多くの貝塚の理由は?木の実に頼らなかった。では磨り石は何に使ったのか、なぜわざと破壊したような形跡があるのなぜ、3期幸が限られる黒曜石にこだわったのか。翡翠の緑もみどり児というようにわかめの子供たちをイメージした再生のシンボル。東日本に翡翠が多く出る。東日本の森林環境が豊かさが緑の翡翠をシンボルとし、西日本は代わりに古墳時代になると急に翡翠に集中。この時代は東日本では翡翠が出て来なくなった。ひょっとしたらこの時にやじりやナイフが副葬品となったのかも。勾玉は胎児の姿。4000年もの開きのある時代の中でも同じようにクマを装飾したヘラが出てきたのは、根底にある世界観の普遍性を表している。ファッションやアクセサリーとしてではなく象徴の可能性もある。

第一節なぜ死者を穴に埋めるのか

 コロンビアコギ族、の葬儀の様子。シャーマンが登場し、緑色の小石や貝殻と共に子供の死体を9回(9ヶ月という意味)持ち上げながら。墓=子宮、子宮に戻すことにより再生。ユングの普遍的無意識はグレートマザーが機能している。月のシンボライズも普遍的無意識の一つなのかもしれない。八重山の帰元思想は人間の根源的な思考方法として持っている隠喩や換喩といったレトリックを使っている。縄文時代は合理的で機能的な考え方を重視していたわけではない。アイヌ民族は家を子宮に見立てていた知里真志保の報告を引用し、初めて家で火を炊くことを神入れのようにとらえていたようだ。家を女性の体として見立てていた。諏訪神社の御室神事は古来御神体の蛇を土室に籠らせる神事。円錐の屋根やどんど焼きなど円錐形に組む神事はすべて蛇のとぐろの造形。現代人と縄文人の求める住環境生活は大きな開きがあった。彼らがこだわったのは柱の数。小林達雄の太陽信仰を基盤とした(月ではなく)ランドケープ論(修景術のことで美しい風景環境の中に、美的に有効な配置按配を行おうとする技術)縄文人にとっての二至二分の重要性を説いた、冬至こそが世界再生の起点。

第四節環状土籬は土木工事か 

 環状土籬は北海道にしかない。

第五節貝塚はゴミ捨て場なのか

「送り」という言葉。河野広道(貝塚人骨とアイムのイオマンテ)貝塚は子宮だ。経済性や合理性から移籍を見るとより古代人の心性を理解できる。人間やの精神活動が技術の保持と伝達だけではない。

第六節水場遺構で何が行われたのか

水場遺構は祭祀施設。(小樽市のおしょろ忍路土場遺跡、埼玉県、紅山陣屋跡遺跡)農耕を行わない縄文人は経済活動が中心ではなかっ。た、、もつと呪術宗教的な生き方をしていたのではないか。アイヌ民族のチセウフイカやカスオマンデ(家焼き,仮小屋送り)、アイヌでは家にも生命がありチセカッケマという家夫人という意味が持たされた。焼くことでその例を浄化させ死者の国へ送った。チセウフイカが不経済だと禁止されて考えたのがカスオマンデ小屋送りである。

第4章 縄文人の神話的世界観

第一節縄文人の世界観

岡本太郎の縄文土器論。土器は一定機関同じ形と模様で作られている。岡民俗学者の赤坂憲雄は、狩猟民のもつ獲物の獲得が自身の命につながるという矛盾の中に生きた。縄文土器は四次元との対話を感じることのできる縄文人しか作ることができずそれを感じることのできない現代人に理解は無理。小林達雄は土器には縄文人の世界観や物語観がある。象徴的機構は人類誕生以来持ち続ける根源的思考方法で、農耕社会の合理的、科学的思考方法の影響を受けていない縄文時代は、純粋な形で物事が象徴的に施行されていたとおもわれる。この縄文人のものづくりはユングのいう元型の一つグレートマザーという心性に基づく死と再生のイメージから生み出される象徴。人は死から逃れるために再生を希求。それに月をイメージした。その月の運行周期の同一性から女性と同格に位置付けられ、生き物全ては月の水により生かされ、その水をもたらすのがヘビ、その蛇は男根に準えられ、月(子宮)と蛇(男根)は死なないもの=再生の象徴の中核に置かれる。月のシンボリズムは縄文人のものづくり原理あるいは大地のデザイン原理と言える。琉球は旧石器時代、貝塚時代(のちに縄文に)、グスク時代の三つがある。沖縄の亀甲墓は死者の家。続縄文時代になった北海道、もへじ遺跡ではより精巧に作られた熊や鯨をモチーフにした土器。地域のアイデンティティが主張される時シンボライズされる動物が土器に描かれる。北海道では生息していないイノシシ、サメなどがシンボライズされているのにアイヌ文化になるとその姿が見えなくなる不思議。犬は当時から埋葬されるほど人とは仲が良かった。縄文時代は本州のシンボリズムを全て受け入れていたことがわかる。山田孝子によるとフクロウ、へび、熊、鯨は空間カテゴリーの象徴でありどの動物も強さと優位性を持ち合わせていた。この二つをシンボライズしたのはアイヌ文化であり、続縄文文化ではみられなかった。おそらく和人に出会うことにより変化した世界観。西田正規の縄文に対する神話的世界観。月を中心とした呪術宗教的な社会。人間の根源的な物の考え方は文明発達により失われたが縄文ではそれが中心であった。