養老孟司の逆さメガネ



第一章現代人の大きな錯覚

現実は人によって違う、行動に影響するか否か、では、中立はどうでもいいと興味を持たないかもしれない。行動に影響しなければないのと同じ、陽明学と朱子学、「現実は人それぞれ」「あなたの行動に影響するものがあなたの現実」幼児期をやむを得ないものとして捉える親、都市で働くときの原理はああすればこうなる、「シュミレーションが効かない状態がある」このを認めない、これに対処するには努力心棒根性しかない。山本夏彦著一寸先は闇がいい

第二章都市化社会と村社会

 安田講堂事件、江戸の喧嘩両成敗。団塊の世代は集団行動する。戦後の外来民主主義と村社会の融合。なぜ学生運動は起きたのか誰も説明できない。1真面目で有能な亜人たちを集めると悪条件を乗り越えてしまう故に改革も進まない。2この世間は暗黙の信頼感で維持されている。教科書検定あり、なぜテレビにはないのか、塩野七生著サイレントマイノリティ は我々の世代を表している。誰かがコントロールしないとその世界は秩序が保てないと思っている。意識化でできた現代を脳化社会。四門出遊しもんしゅつゆう 釈迦の逸話。四苦八苦の四苦はうまれ、としをとり、やまいになり、死ぬを合している、つまりと怪人の慣れの果てがお釈迦様。都市化の果てに仏教が誕生した。釈迦が四苦を見たのは都市を出たとき。荻生徂徠おぎゅうそらい 侍医綱吉の不興をかって茂原に流される。

第三章 身体感覚を忘れた日本人

日常の立ち振る舞いが大切で、初等教育は自分の体をどう使うかを学ぶところ。体による表現は「様になる」、世界中に通じる。知行合一、脳への出力と入力。距離感と比例、乳児にビデオを見せても入力のみとなるので意味がない。障害児を動かす。もう少し行くと脳の中で出力ができる。それを脳の部分ごとで回転させ知行合一を行なう。これが考えると言うこと、

第4章大人の都合と子供教育

 親の通信簿が必要。「名将言行録」北条氏康の話。氏政の小田原評定。ラスベガスの高校警察、孟母三遷の教え 子供は自然。保育園は緊張状態でいい。 イエズス会は反宗教改革。法王直属であり法王の軍隊と言われた、、フランシスコザビエル。習ったことは無償の行為?教育は無償の行為でおる、、見返りは期待しない。故に宗教と教育は関係が深い。都市化が進むと無償の行為はなくなる(西鶴)

 第5章変わる自分変わらない自分

知ると言う意味が根本から変化した。常識は意識されずに変わり、老人は時代遅れ、若者は無意識に変わっているから説明ができない…これが世代ギャップ。自分は自分だと言うことで、ベースに知識が付け加えられるだけで根本は変わらないとしている。しかし、知ると言うことは自分が変わると言うこと、ガン宣告された患者の見る今年の桜は去年のものとは違う。個性や自分探しというのは確たる自分、情報化された自分を決定しろというにすぎないアホな考え、意識は同じというとをいうためにある。同じという概念は自己同一性が由来となる。君子豹変す。ロンゴ「明日道を開かば夕べ死すとも可なり」学んで人が変わったらそれまでの自分は死んだも同然。何が大切かということは、自分がどう生きるかを抜きにしては考えられない。故に人生には必ず空白で留保する部分が必要。ここを無意識といっている。この空白は読むことができないが現代人はそこを何かしらであると決定したい。森津純子ホスピス。個性とは身体そのもの、こころは共通性。共感性、共通性は同じ意味合いで感情すらも他者とつながりたがる、同じになりたがる。私の考えを説明してそれが分かってもらえたらそれは、私の考えだけじゃなくなる。だから体は個性ですが心は共通です。考えていることがみんな別々のものだと思うのはそれが他人には見えないからというだけ。若者が個性にこだわるのは社会的に生きていくときに価値を認められてないという気持ちがあるのでしょう。 若者の社会的価値が認められていない現代人。

 第6章人間が幸福にならない脳化社会

明治維新や終戦までは政治的な上からの変化であったがここ五十年の変化は生活の変化。勝手に世の中が動いた。意識で説明できないものは間違っているという間違い。サリドマイドベビー。そもそも人の指がなぜ五本なのか説明できない。予防されたことは評価されない。今日明けの世界では起こらないことが目標となってる。「カオス」予測できないと言えことが、論理的に予測できる。スルメに例えるやつと、スルメをサキイカにする養老先生。環境から脳は入力され環境を通して出力される。環境とは脳を取り巻く環境は都市では主に他の人間なんです。社会も自然も脳を取り巻く環境なのです。脳の出力で環境を変化させる。出力は必ず外の環境を変えてしまう。螺旋状に入力出力が繰り返される。その螺旋の和の繰り返しの中に当てはまる法則を見つけ出そうとするのが脳。その共通法則だけが脳の中に世界の規則として定着する。この反復が学習。病膏肓にはいる。人間を理解するということは人間システムを理解すること。


第7章普通の人が幸せに暮らせる社会

 昭和の年代とサラリーマン人口化の割合は一致する。サラリーマンという都会人は自分のルーツから切り離された人間。現代は会社という村社会に生きている。アメリカで言う未開拓の西部があったがこれからは未開拓の場所などない。共同体における学歴、仕事の能率を上げるためには互いに信用するのが一番手っ取り早い。これが壊れると紛争になる。友人関係の破綻など。ビリには全体に優越感を与える役割がある。日本の会社はできない人もできる日も併せてシステムの合理性を作り上げている、!アメリカは能力主義。リストラは共同体の会社を機能体に変えているので、これはシステムでは間違った方向。ビルゲイツの幸福であって4割の下層民の幸福ではない。アメリカ社会もまぁまぁ面白い、鶏口となるも牛後となるなかれ」渡り歩いてほとんどのものがホームレスに。これが嫌なら多様性の高い社会を作らなくてはならない。さまざまな能力が活かされる可能性の高い社会。共同体か機能体か、一元論に偏ってはいけない。機能体は行政組織。

じえいたいしれいかんと弟橘媛。共同体の長 天皇。これの悪用もできる。大切なのは共同体がちゃんと機能を果たせばよい。中国の「法三章」

エピローグ 

男は男らしく女派女らしくをやらない現代の血管、男は大人しく、女は活発になった。メスの骨盤がデフォ。横割りが近代必ず縦割りは共同体である。縦割りにすればその中で互いに面倒を見る。