選択の科学 art of choosing

アメリカンドリームの中心は「選ぶ)という事が光り輝いている。選択という文脈の中におりれた時こそ一人一人の物語はひじめて意味を持つ。


第1章選択は本能である

 私たちが選択と呼んでいるのは自分自身や自分の置かれた環境を自分の力で変える能力のこと。まず、自分の力で変えられるという認識(過去の自由であった経験)。動物達にとっては状況がコントロールできるか否かより、状況の認識のほうが大きな意味を持っている。有効な選択肢を分析してその中から最良なものを選ぶ必要がある。つまり選択に必要なのは肉体だけではなく精神も活用しなくてはならない。・前頭葉は統合する 選択に係る主要な部位は皮質線条回路、この線条体は動物界全体で大きさと機能は変わらない。線条体の一番大きな役割は経験に伴う報酬についての判断。将来を予想し最良の行動を選択する。人間の前頭前皮質の役割は動物の中で最も大きい。そのおかげで合理的な選択ができる。前頭前皮質の成長と統合プロセス発達は、二十代半ばまで続く。賢明な選択を行う能力が環境を支配する最も有効な手段である。線条体ニューロンは受動的に与えられたものより能動的に選んだ報酬に大きな反応を示す。生後四か月でさえ流れる音楽がいつ流れるかを自ら選択したく腹を立てた。選択欲求が大きくなると選択肢を増やすことになるが逆にコスコがかかることになる。これは自然な心の動き。この場合選択は単なる手段ではなく、それ時代に価値が出て必要なものとなる。選択の本来の恩恵があるにもかかわらず選択したいという欲求が満たされなくなることもある。自己決定権を失ったものにとってこの喪失の痛みの先は何も存在しないように思われるのだ。・社長は長生き 全体の利益を優先し個人の選択を部分的に制約している。自由と統制のバランスをうまく図れるかが健康の鍵をにぎる。職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いに相関。軽度だが持続的なストレスにさらされた人は時間と共に回復はしない。大きな災いに巻き込まれるよりこちらの方が健康を害する。この研究の大事なところは自己決定権の大きさではなく、その認識。低層でも自分の仕事の自由度がどれくらいあるかと言う認識しだいで健康度は変化する。つまり後天的な楽観主義になると良い。物事の見方を変えて自分の力でどうにでもなると思える認識を持つと良い。たとえ些細な選択でも頻繁に行う事が環境コントロール意識が高まり健康になる。ストア派哲学者セネカは、私たちは物語を分かち合う事で、想像と前後の中で選択を生かし続ける事ができる。肉体的に不可能な時でも精神で善悪を実行する力を互いに与え合う事ができる。(選択の物語を他者に伝える義務がある)

第2講集団のためか個人のためか、

 ・信仰は無気力に?自己決定権が維持できない時、無力感,喪失感を覚え何もできなくなる。信仰は高揚感か無力感か?

原理主義(カルヴァン主義、イスラム、正統派ユダヤ)

保守主義(カトリック、ルター主義等)

規則の少ない自由主義(ユニテリアン、改革ユダヤ)〜自分達を世俗的人道主義、自然中心的な霊性

質問①宗教が生活に与える影響 質問②信者の楽観度調査(回答者が自分の人生に対しどれだけ決定権があるか)  質問③健康度合い 結果原理主義ほど、宗教に希望を求め逆境により楽観的に向き合い、自己決定権があると言う意識を持ち健康的で合った。つまり、制約が必ずしも自己決定権を損なわない。

自分の人生は自分でコントロールしたいと思っている。このコントロールをどう理解しているかはどのような信念を持つようになったかによって決まる。

例えば,環境は個人の選択を通じてこそコントロールできると信じている人もいる。選択に何を期待するか,選択の結果をどう判断するべきか選択に対する人々の考え方が人によって違う。 ・個人主義と集団主義社会心理学者 北山忍。へ修行

 個人主義の定義「主として自分の好みや欲求権利他者との間で結んだ契約に動機付けられ、他社の目標よりも自分自身の目標を優先させる」 ジョンスチュアートミル「自分のとって善だと思われている生活を互いに許しあう事でより大きなものを得るのだ」


集団主義ハリードリアンディス曰く、主に集団の規約や義務に動機づけられ、集団の関係性の重視し、個人目標より集団目標を優先」

個人主義の重視が啓蒙主義を起源とするのに対し、集団主義は古くからあった。

ダルマ「法」とカルマ「業」。孔子曰く、天命と忠、この定めからは人は逃げられない。タージマハルの昔話から究極の幸せは選択ということではなく義務を果たすことを示している。取り決め婚の方が10年後もスコアが高かった。文化的スクリプト。結婚の成功は親や文化から受け継いだスクリプトによって決まる。取り決め婚の成功は義務の達成度、恋愛結婚は2人の感情の結びつきの強さ。結婚の成功にはこうあるべきと言う共通認識と達成度を測る独自の基準がつきまとう。選択に関する指標は環境から吸収されそれに従い行動する。

アングロ系とアジア系アメリカ人の自己選択、赤の他人、母選択による学習の成績観察の結果、両者民族の成績は自己選択、母選択により成績評価が変化した。つまり、アングロ系とアジア系で選択が人生に果たす役割について真逆の意見。アジア系は一体感や共有感意識を好んでいた。多国籍企業のアングロ系とアジア系の上長支持に対する考え方。日本人はより,包括的な視点から情景を説明する。特定の状況把握に、支配しているのは何かという認識の違いは文化により変化する。アメリカの個人の力は世界を変えると言う意識、アジアは、クリシュナ神「汝が思うがままにできるのは自分の行動だけ、行動の結果ではない。報酬目当て、怠惰に屈してはいけない」この世界は社会的文脈や運命の定めでもある。これによって結果に対する執着を捨て正しい行動をとることに意識を向けなくてはならない。オリンピアンの違い、アメリカ自分の力を世界に見せつけることだけを〜 日本家族の支えや応援のおかげ〜金融不祥事、アメリカやった個人に対して、日本制度などに対して、

賞賛や非難の結果の原因を個人に求めるか体制や文脈に求めるか。これは個人がどれだけ状況をコントロールできるのかどうと言う考え方の違いが根本。選択に対する重大さ。シティスコープ本人の望む自由度と一致している。アメリカ人は選択の自由が増えると能力を示す機会が増えるから良い!東西ドイツは、(オスタルギー)ソ連崩壊は政府は国民に賃金を払っていたのに政府活動を賄うだけの資金が政府に還流しなかった。プラス対米の軍事費。エーリッヒフロムの自由は人間を押さえつける政治的経済的精神的呪縛「からの自由」度と、成果を実現し潜在能力を十分に発揮(可能性としての自由)「する自由」(最低限の生活を獲得する共産圏、からの自由を減らされる分財産の徴収など)が両立しなくてはならない。本当の意味で選択を行うには、選択する能力があり、かつ外部の力に選択を阻止されずにいられると言う両方の条件が満たされなくてはならない。体制がどちらかに極端な状態で近づくと人々は機会を奪われる。両方の自由を同時に最大化する事はできない。そこで問題になるのが旧共産圏の人々の「公正とはなにか」。キエフの教授は機会均等の特権をなくした。ソ連では誰しもが平等に機会を与えられたからむしろ選択肢が多かった。人が自分の人生に自己決定感を感じるのは環境に依存する。つまり、その環境が個人主義なのか集団主義なのかによって認識は変わる。ジニ係数(平等指標)はスウェーデンや旧ソ連構成国などが多い。2042年には人口が増えアングロサクソンは人口比50パーを切る。世界に開かれた情報は個人や文化の語りは増える一方、人生の物語を千差万別に組み立てている。政治学者サミュエルハンチントン「文明の衝突」のさなかに我々はいる。寛容や尊重という綺麗事では、このように私たちは分かち合うものがほとんどなく、前進するためのはっきりした方法もないという閉塞感にとらわれているのだ。しかし、ベースである基本的人権や幸福追求は変わらない。私たちは選択権と自己決定権を生物学的に必要としているからである。   寛容はむしろ勝手にしてくれと逃避を促す。


第3講強制された選択

選ばれざる道」から読み取れる、あなたは比類ない人、個性的は優れた人。この自分に対する評価は「平均以上効果」「レイクウォビゴン効果」人は、その他大勢と見られることに我慢できない羊の群れの中で一人ぼっち」現象。私たちが一番心地よく感じるのはその他大勢とくべうつされるほどには特殊でいて定義可能な集団である事。選択することと同じくらい人に理解してもらうことも大切と感じている。奇抜で孤独な少数派にはなりたくない。詩人ジョンダン曰く如何なる人も大陸の一片であり、全体の一部である。自分の居場所や望む規模へ旅をする必要がある、!旅は自分を知る良い方法。・保守からリベラルへ 彼女は本来の自分を取り戻したのだ。それが両親の思い描いたような姿ではなく自分で切り開いた道を通じて手に入れたものだった。他の大学でも学年が上がるにつれ、保守からリベラルへと政治思想転換が起きた。なぜ、政治的信条が転換したか、①彼女たちの本来の行動だった。本当の自分を環境から探し出す。②違う種類の力に感化されて新しい自己像を作り上げた。本人曰くリベラルな思想を持つことが自分の威信を高める手段だった。 ・認知的不協和の克服 私たちは「自分」というレッテルを貼りそれを正当な評価として認めてもらい、自分の本当の姿を辻褄のあった形で描くことを目指している。 酸っぱい葡萄のキツネの心情。辻褄が合うように物語をつくる。反省文の意義。就職活動の希望就職先について過去の優先順位を正確に思い出せなかった人ほど自分の選んだ仕事に対する満足度が高かった。(自己矛盾を認識せずに済む上、過去の自分の順位に義理立てする必要を感じない)エマーソン 首尾一貫してなかったとしてもそれは愚かな首尾一貫。昔から同じ自分でなくても、自分である事は変わりないという認識を持つ事が満足度を高める。にとは自己像を形成し表明するにあたって、他人にも同じ自己像を持ってもらいたいという欲求を持っている。自分が他人からどう思われているかを知るための手がかりを絶えず他人の行動から読み取る。他人はあなたの行動を空っぽの状態で判断するのではなく、自分の経験レンズを通して解釈するか,または,あなたの外見からこういう人物だろうと判断を下しその人物像について一般固定観念を通して解釈する。他者の描く自分を覗き込む。他者を通して自己を見つけ出す。選択は社会的行動、つまり可動部分との駆け引きだ。選択をするのは自己のみではないという認識を持てば、自己を解き放ち継続的な創造活動になるだろう。

 第4講 選択を左右するもの

マシュマロテスト、人は別々の脳回路を使って情報を処理し答えや判断に到達する。①自動システム(虫の知らせや魅力,欲望②熟慮システム(未加工の感覚情報ではなく、論理や理性)このふたつを一致すれば葛藤はなくなる。自制心旺盛な人は社会的経済地位が低く自動システムに身を委ねるの快楽は依存性がある。自動反応に抵抗すると我慢ができる。 ・経験則(ヒューリスティック)ヒューリスティックの誤用は意思決定バイアスという。経験則の働き方。①想起しやすさ、じゅんばんが意思決定の根拠になることがある、最初と最後は特に印象に残りやすかったり。② フレーミング「提示方法の違い、見方の違い、コカコーラCEO、死亡率と抗がん剤③関連付け プライムローン、チューリップバブル、世界恐慌④確認バイアス 分析が偏ってしまう。面接官の勝手な想像による採用プロセスの誤り。自分にとって都合の良い答えだけに意識を集中する。自分のセンタを最大限活かすには都合の悪いことも進んで受けいらなくては事実に辿り着かない。・専門家の目 空港麻薬取締官、アインシュタインは直感が大切、上部の下に存在する秩序への感受性が基本法則を見つけるカギ。と言っている。自分の選択を振り返り、選択に対し健全な懐疑心を持つ、そのセンタをすべきでない反証を作り出す。・しあわせの問題点、人には意思決定の戦略を助言できても、自分のこととなると自分を頼りにしていいかわからなくなる。就活の際、徹底的に調べ比較検討した新卒者と調べなかった新卒者、前者は本当に正しい選択をしたか懐疑的で報酬が多いにも関わらず満足度は低かった。通勤時間は幸福度にダメージを与える。パスカルは「心には理性でわからない理由がある」・吊り橋効果、わたしたちは、周りの状況を手がかりに人部がどんな状況なのかを判断することが多い。状況と感情。人は今下した決定を将来の自分がどうおもうかと考える時義の気持ちをもとに予測する。いい感情も悪い感情も長続きわせず忘却していく。こうした現在の感情をもとに誤った選択,バイアスを相殺するには自分が何を予測したかをふりかえり、現実と照らして誤りを認識し必要な修正を行なう。自分の行動を分析すると共に改善する。ブッシュとゴアの大統領選、過去のことに関しても感情を思い出すのは下手なのだ。しかし、一貫性のある私は持ってるが故、意味のある物語を作り上げてしまう。


第5講 選択は創られる

プラダを着た悪魔、あなたのそのセーターはこの部屋にいる人たちの手であなたのために選ばれたのよ、山のような選択肢の中上がらね。アパレルは単純接触効果により好意的な感情を持たせる広告をする。(お袋の味や漢字の意味が好意的な意味に変化していく様)。店頭に商品が並んだりと接触が増えると流行り出したと勘違いするこれがデザイナーや専門家たちの自己成就的予言となる。ファッションは予測はかなり入り込んだシステムといえる。選択を操作して、そして提示する。ただこれだけ。・ブランドを飲んでいる 私たちは利用価値だけのために商品を選らずのではなくその商品を選ぶことで自分の人となりを表そうとする。 ミネラルウォーターと誇大広告。・同じ会社がぜつブランドを所有 傘下のブランドで何種類の商品提供をするかをはっきり定めている。この目的はイメージ的な違いを前面に押し出し多様性に飛んでいるという幻想を生み出すことで、低コストで多様な顧客を刺激する。同じ製品を二種類のブランドで出し、高価格帯を作れば金持ちが多く支払ってもらったほうが全体としては大きな利益となる。店頭に並んでいる商品の中身は思ったより少ない。・人はなぜコカコーラを選ぶのか コカコーラは製品よりイメージが重要だと言うことにいち早く気づいた企業。MRI観察では被験者が好きだと思い込んでいる飲み物を飲むときに脳が反応している。コーラのイメージを見た後は脳の過去の感情体験を参照する部位が反応する。サンタクロースとベルリンの壁とコーラのイメージ。コーラの味は砂糖と天然香料だけではなく自由の味がするのだ。 ・投票行動は容姿に影響される 自分の行動が先に単語を指定され書いた作文課題に影響された。①児童システムにも複雑な精神活動が可能であることを示している②潜在意識が私たちの行動の隅々まで影響を及ぼしている。氷山のように精神活動の95%が潜在意識下、氷山の本体のように大部分を占め反射的に行われている。つまり意識が介入しない時外部の力が選択を左右することがあるプライム(条件反射的連想のこと)サブリミナルメッセージなど、プライミングは価値観の押し付けという大胆なものではなく周囲からじわじわと影響を与えるもの。白黒はっきりさせなくてはならない場面で妥協点を探さなくてはならない、そんな場面で感覚的な手がかり(プライム)が存在するとそちらへ流される。ヒーローのような容姿端麗=有能という連想は人々の願望。・投票用紙の順番も優位に影響を与える ・プライミングに影響されない選択は可能か マトリックスの世界の超、自覚か、無知の世界か。自分の決定権が脅かされそうな時反射的に拒否反応を示す。自分の価値観を揺るがすような影響か否かを考えて分けてみたほうがいいのかも。すると、理性のプロセスを意識的に分析して有害な影響に少しは対抗できるかも。世界を動かしているのは誰なのか?これこそが問題の根幹。どうでもいいことに捉われなくし、そこで節約できたエネルギーを熟慮システムに回せば良い。

 

第6講豊富な選択肢は必ず間下利益にならない。

・ジャムに巻き込まれる。3×3ルールでクライアントに選択させる(三つ選択し選んでもらうことを3回やる)選択肢に上限を設ける。子供のおもちゃの選択をさせるかこちらがやるのかという実験。選択してあげた方が楽しそうに長く遊んだという意外な結果、絵を描かせるという実験は先駆的論文と同じような結果に。ジョージミラーの法則「マジカルナンバー7+-2:我々の情報処理の限界」という論文のほ整数7の意味。試食コーナーは選択プロセスの補助的役割を担う。 ・ロングテール 選択肢が多くなりすぎた結果愛するひとへのプレゼント選びも面倒な作業になってしまう。選択肢の多さはノイズ。少ない選択肢はどれかを選び取る可能性が高く自分の判断に確信を持ち満足度も高い。選択のプロセスを単純化できるのはプロの力を借りるしかない。選択肢を残しておくことは扉のゲームのように代償を伴うことがある。食事のメニュー選びと食べる量。選択室の質より、選択肢が存在するという状況を重んじてはいないか。・秩序だった選択 選択肢の多さに迷ったら、①選択肢は無条件に善ではない、最善の選択ができなくても自分を責めない②専門知識を増やして認知能力や許容量を広げて最小限の労力で最大の効果を引き出すこと。なるべく専門家の意見を聞け。・専門家の知恵、集団の知恵 を借りるタグ付けや口コミサイト・選択肢のツリーを作る 浅瀬から選択肢を徐々に広げていくと疲れない。・選択は創造である。選択の幅を変えるのではなく実践する方法に注目。選択も芸術のように生み出すもの。

 第7講 選択の代償 

ヒポクラテス「パターナリズム医療父権主義」医師団の方針と方針がもたらす結果に関する説明を受けたことで裁量の判断という確信が強くなり精神ストレスが軽減し、決定を受け入れやすくなった。近代はインフォドームコンセプト。(正しい情報と合意)・自ら選択を引き受ける しかし、延命治療の選択権を委ねられた患者や家族たちはそのことに苦しんでいるのが事実・ソフィーの選択 ・選択は痛みを伴う ドクターが「情報有無、選択権の有無」により判断に対する確信さと否定的感情の大きさを決定せる要因は、家族の生命に関する価値は市場価値に直すことは不可能が故普段の選択が役に立たなくなる。市場価値があるものは秤に乗せて比べるため自分から切り離すか手放すことができなくてはならない。値踏みするということ、値踏みすること自体が憚れる主体がある。感情的結びつきを持っているものに比較可能な値打ちを割り当てたくないと思っている。絶対的価値と相対的価値。人は衰えたとしても周りの状況を把握したいという本能を持つ。そしてわずかな自由を死守しようとする。ドクターの言葉のひと押しのように、何らかの選択の権利行使には外部から何らかの助けが必要なように思われる。高齢期を抱える家族は他人の選択まで引き受けることになる。・選択を放棄することについて ピーターユーベル著自由市場の狂気」罹患する確率とワクチン副作用の確率差に恐怖し何もしない選択を取る母たち。・ヨーグルト実験 選択者は自分は無難なものを選べただろうかと評価のプロセスを続けずにはいられなかった。非選択者は自分で選んでないのでそんなことにはならず。このようにありがたくない選択肢からの選択は失うものがなくても後味が悪い。選択に対する根強い思い込みに意義を申し立て。

・赤いボタン症候群 二歳反抗期、自分に行動の自由があると信じるものがその自由を失われるか失われそうになる時心理的反発を感じる「失われそうな自由または、失われた自由を回復しようとする動機づけ状態。その行動をとりたいという欲求の高まりとして現れる。非選択者の方が満たされていたにも関わらず選択者になりたがる。・禁止されたものを人は欲しがる 従来型医療保険とHMO ・心理的反発の抑制について、強い制約ではなく軽い制約は長い目でみると心理的反発を産まなかった…認知的不協和。・保険業会の応用事例 制約であることを感じさせない制約には価値があると気づいた、保険会社。タバコの増税は消費者は歓迎、政府も税収が上がる。カナダは増税に失敗した。(制約であると感じさせないという度合いが難しい。スイートスポットを、見つけるのは至難の業)・選択の放棄を選択する 分別ある行動を先延ばしにしたいという衝動に屈し続ければ、小さな影響がつもり大きな打撃になる。オデュッセウスのように自分の意思で難しい選択を他人に委ねることができる。そうすれば自己決定に伴う苦悩や不都合を取るか、な人に無理なり選択を制限され自主性を侵害させるかの選択に悩まずに済む。これは、洗濯の総量を減らすのではなく配分を変えるのだ。・事前公約 宗教心は自分の選択を差し出す代わりに集団帰属意識感覚と道徳的判断の拠り所を手に入れる。選択した自分がこの望ましくない結果を引き起こした張本人だという自覚に押しつぶされそうになるということは選択の自由は、精神的感情的代償と表裏一体である。選択が人に及ぼす悪影響の軽減は、洗濯の幅を広げるのではなく、判断の一端を他者に委ねる、あるいは自分の行動に制約を加えることで選択のプロセスを自分に有利に変えることだ。選択からは逃れられないが、選択による痛みを緩和することは可能なのである。

 最終講選択と偶然と運命の三元連立方程式

 我々は探究をやめない、そして探究の果てに出発した場所に戻りはじめてその場所を理解する、byエリオット ・選択と偶然と運命の三元連立方程式 選択をするということは将来と向き合うこと。選択に力が宿るのは世界が不確実だから。未来が確実なら選択は無意味になる。一人一人が人生の軌跡を明らかにするために自分なりの算式を編み出す、x量の選択とy量の偶然、それにz量の運命他にも多くの変数を見つける人もいる。この数式に正しい正解はない。・母なる選択、最終的判断は自分の直感と塾考。選択は性別や地位などから生じる不平等を無視する口実になる。選択が最善の解決策を見つける手段ではなく問題をはぐらかすための口実として用いられる時、私たちは道を踏み外したことを悟る。・作家ホッジの自殺は選択だろうか 自殺は自由意志で選ばれたのではないと見なされるから。選択と選択ではないものの境界をどこに定めるかが問題。自殺と生を天秤にかける行為は命を値踏みする行為。byカミュ「シジフォスの神話」日々の、営みや感情は全てバカケダモノと認識すると、この認識を深い情緒や知的悟りとして思い描ける人にとっては「死は選択」となる。逆にその認識が病の影響と捉えると、死は健康な人は選ぶはずがないと思うだろう。それは運命なのか選択なのか、ホッジは自分の人生を死さえも選択の一部としてコントロールしたかった。byコンラッドエイケン「あなたが驚かなくなった時」世界があなたを驚かさなくなった時死を歓迎し、死に慈悲深く迎えられるよ、そして果てしなき空無の一部に戻られよ、あなたはそもそもそこから目覚めはじめての驚きを覚えたのだ。死を元いた場所への期間と捉えれば、それは最後の選択となる。

・頂上へ向かうその行為こそ意味がある。 

シジフォスと岩 洗濯自信が自分を作る。選択が本質的にアートであることには代わりない選択の力を最大限活用するには、その不確実性と矛盾を受け入れなくてはならない。いくら選択しても悩みは尽きない、選択は神秘的で美しさが備わっている。