It was almost ten years ago.

I had a friend in Obihiro, Hokkaido, who loved mountaineering and who guided me and my son up the mountains of Hokkaido every year.

One of those climbs that I still remember is the view we saw from the top of the mountain.

On that climb, we pitched our tent at the summit.

As the evening progressed, it got darker and darker, and when we finished dinner and put out the lanterns,

It was really dark and we couldn't see anything.

However, the sky was covered with stars and they were shining brightly.

The number of stars, their brightness and their fluttering were something I could never see in my life in Tokyo.


There were stars shining all over the sky (the universe) and the Milky Way was streaming beautifully like a river in the sky.

Everything in sight was filled with stars, so much so that I felt as if all the stars were about to rain down on me.

An amazing view that can only be seen at the top of the mountain.

 It wasn't just the level of the view that I could see, but the sensation of having my entire field of vision dominated by the stars.

It was breathtaking.

 I kept getting sucked into the ceiling and looking at the sky all the time, but I couldn't keep my face turned all the way up.

Then, when I looked down my vision, I saw a string of orange glow in the distance.

They were the city lights.

Compared to the stars in the sky, they were smaller and more gentle in colour.

 They were truly 'stars on earth'.

 I was in the boundary layer between the stars in the sky, their world and the stars on the ground below.

There is a truth in the universe that has remained constant and equal since the birth of the universe 13.8 billion years ago (the laws that bring all matter, energy, information and life in the universe into existence), and humanity is trying to understand it. We call this action and knowledge science.

However, no matter how much progress science makes, I believe it is impossible to fully elucidate the laws of the universe.

And the truths that science cannot elucidate, people have no choice but to believe in them, and that is where faith is born.

As I gazed at the star-filled sky and the universe, I felt that until just a hundred years ago, when there were no electric lights, humans must have thought about their own existence while gazing at such a starry sky. Compared to the size of the universe, my existence is really small. Also, compared to the 13.8 billion year old universe, my life of about 100 years is tiny.

However, as a member of the universe, I, too, am a tiny being, and I am allowed to exist (live) in the universe.

And there are many people living on earth.

They may be small compared to the universe, but they all live and light up.

At this time of the day, families are probably gathered under most of the lights, eating meals and enjoying each other's company.

Those are the stars on the ground.

Both the stars in the sky and on the ground were shining with great significance.

That is why I cannot forget the stars in the sky and the stars on the ground that I saw from this mountaintop.

もう10年近く前になる。

北海道帯広に登山好きの友人がおり、その友人にガイドをしてもらい、毎年のように息子と一緒に北海道の山に登っていた。

 

その中で、今でも忘れられないのは、山頂から見た景色だ。

 

その登山では、山頂にテントを張った。

夕刻になるにつれ、段々と暗くなり、夕食を取り終え、ランタンを消すと、

本当に周りは真っ暗、何も見えなかった。

 

ただ、天空には、星が一面にちりばめられ、輝いていた。

東京の暮らしでは絶対に見ることができない星の数、星の輝き、星のちらばりだった。

 

見上げる空(宇宙)すべてに星が輝いており、天の川も天空に流れる川のように美しいストリーミングを作っていた。

 

全ての星が今にも自分に降り注いでくるような錯覚を覚えるくらい、視界全てが星に埋め尽くされた。

 

山頂でなければ見ることができない圧巻の景色。

 

景色という自分が視るというレベルでなく、視界(ビジョン)全部を星に支配された感覚だった。

圧巻だった。

 

天井に吸い込まれ続け、ずっと天空を見ていたが、顔をずっと向け続けることはできなかった。

そして、視界を下に落とすと、遠くにオレンジ色の輝きが連なっていた。

正しく街の灯だ。

天空の星に比べると、小さくそして優しい色をしていた。

 

まさに「地上の星」だ。

 

私は、天空の星とその世界と眼下に広がる地上の星の境界層にいた。

 

宇宙には138億年前の宇宙誕生から不変で平等な真理(宇宙のすべての物質、エネルギー、情報、生命を存在たらしめいる法則)があり、人類をそれを解明しようとしている。この行為と知識を科学と我々は呼んでいる。

しかし、科学がいくら進歩しても宇宙の法則を完全に解明することは無理でないかと思う。

そして、科学が解明できない真理は、人々は信じるしかなく、そこに信仰が生まれるのであろう。

 

私は満天の星空、宇宙を眺めながら、電灯がない時代、ほんの100年前までの人類はこのような星空を眺めながら自分の存在を考えていたのであろうと感じた。宇宙の大きさに比べれば、自分の存在は本当に小さなものだ。また、138億歳の宇宙に比べると100年程度の自分の人生などちっぽけなものだ。

しかしながら、ちっぽけな存在である私も宇宙の構成員として私自身も宇宙に存在させて(生かせて)もらっているのだ。

 

そして、地上には、多くの人々が生きている。

宇宙に比べれば小さな存在かもしれないが、みんな生きて、灯をともしている。

この時間であれば、ほとんどの灯の下に家族が集まって、食事をとったり、団らんしているのだろう。

それが地上の星になっている。

 

天空の星も地上の星も、それぞれが大きな意味を持って輝いていた。

 

だからこそ、私はこの山頂から見た天空の星と地上の星を忘れることができないのでる。

 

2023年4月7日、母が父の三回忌のために上京してきてくれた。

母にとってこれが2年前に父が旅立ってからはじめての旅行となった。2021年4月7日に父が旅立ってから母はずっと元気をなくしており、父と共に暮らした家から遠く離れることはなかった。一緒に旅行しようと言っても、車でわずか1時間程度しか離れていない近くの温泉に行くのが精いっぱいで、気分転換もできず家で一人住み続けていた。

 

父は母との結婚60周年の翌日に旅立った。父と母が過ごした期間のうち、私と兄が一緒にいたのはわずか20年だ。残りの40年間は父と母2人でずっと暮らしていた。兄も、東京の方で就職したため、父と母と顔を合わせるのは年に1、2回ほどしかなかった。40年間という人生のとても長い期間を2人だけで暮らしていた。その年月の長さと2人の築いてきた絆は私の想像以上に途方もなく大きなものであった。

父が亡くなってから、母は恐ろしい速度で衰弱し、本当に会うたびに体が縮んでいっていると錯覚するような非常に見るに堪えない様子であった。私は、スマートフォンのビデオ通話で母とお互いに顔をスマホに映しながら会話をしていたが、母を元気づけることができず、ただ心配しかすることができない自分に非常にやるせない気持ちであり、どのようにしたらよいか途方に暮れていた。

 

しかしながら、今回の3回忌は母が自ら東京で開催することを宣言し、自らホテルを選び、父の三回忌の会場も自ら予約をして、そして飛行機までも自分で予約し、単身で東京に上京してきた。今までの引きこもっていた状況からは打って変わり、大きな変化であった。

羽田空港からホテルに着いた母を迎えたが、その母の姿非常に印象的だった。家にこもっていた頃、母とビデオ通話で会話をするときは、いつも灰色や茶色といった暗い色の服を着ていたが、ホテルの入り口に現れた母は薄いブルーといったとても明るい色服を着ていた。これから前を向いて生きていき、気持ちを切り替え、自らを奮い立たせるような、とても大きな変化を見て私は驚いた。

 

父の三回忌には親族だけが集まった。母は挨拶終え、出会いから私たち息子達が誕生するまでの話をビデオ通話の向こうで見ていた母とは別人のように幸せそうに笑顔で語っていた。時間を忘れるほど長く母はずっと父との出会いや思い出を語り、中には初めて語ってくれたこともあった。

母は、これまで胸に秘めてきた思い出を皆に語り、つらく悲しい父の死を父と過ごした楽しい想い出を皆に共有することで悲しみを打ち消し、乗り越えようとしているようであった。私や兄の子供たちもその話をずっと母の話を聞き入っていた。

 

母は「父は台湾で裕福に暮らしていたが、日本敗戦後は熊本に引き上げ、家も財産も全て失い、本当に辛く苦しい思いをした。とにかく戦争だけはしてはいけない」と常に語っていたということを私たちに教えてくれた。また、「父は戦争の被害者である。」とも母は言っていた。今思うと、私が平和を唱え続けるのは、この父の戦争をしてはいけないという思いを引き継いだからだと思う。

父は航空科高校も製材所で働きながら通い、学校が終わった後に材木を機械ノコギリで加工する仕事をしていた。疲れていた日にノコギリの前でうたた寝をし、麦わら帽子の麦わらがノコギリで切られ、はっと起きたことがあったと言う話もしていた。父が麦わら帽子をかぶってなかったら私は生まれてこなかったかもしれない。

 

今回の父の三回忌で、母の立ち直ろうとする強い意志を感じた。これまでの父を語る母は、「なぜ父が先に逝ってしまったんだ。」と必ず涙を流していたが、今回は満面の笑みで父を語っていた。

母はそれから数日東京に滞在し、兄が日蓮宗身延山に1日がかりで連れて行き、また私は皇居を案内した。母は皇居を歩きながら、「とにかく悲しみから抜け出したい。父のことを忘れるわけではないが、子供たちやママたちのために生きていたい。」と語ってくれた。この2年間、母の心配ばかりをしていたが、やっと辛く苦しい思いから解放されるのではないかと、心が本当に軽くなった。

母が父の死を乗り越え新しい一歩を歩み出すことを祈りたい。

 

 

母の決まり文句は「生きていればそれで幸せだ」である。

私は、昨年7月約9ヶ月前に参議院選挙に負け、仕事と収入を失い、友人の支えでやっと大学に職を得て暮らしを軌道に乗せようとしていた私にとっては大きな励みだった。この9ヶ月は選挙前と同じように、追われるように仕事ばかりをしていた。土日もなく、また平日も起きたらすぐにメールを打ち、夜は資料や原稿を書き続ける日々を送っていた。今思えばそうしなければ不安に押しつぶされていたのではないかと思う。

私の部屋には「生命に感謝、今を生きる。」と自分で揮毫し掲げている。「生命に感謝」はまさしく母の「生きていれば幸せ」からの頂いた在祐の名だ。こんな素晴らしい世界に生きているだけで感謝しなければならない。これは父の死からも大きな影響を受けている。深く考えると母も私も父から影響受けて、命の大事さ、尊さを大切にしていたのかもしれない。

本当に人は生きているだけで幸せだ。こう言うと反応する人がいるかもしれないけれど、この世界にこの宇宙に恐ろしい偶然で誕生してきた自分自身の価値は、間違いなくこの宇宙と等しく価値があり、生まれてきたこの宇宙を楽しむために存在していることは間違いないと思う。

どんなに小さな存在であっても、皆が138憶年の長い歴史の宇宙を形作っているとても価値のある存在なのだから。

 

今回母が立ち直る姿を見て、改めて私も母の決まり文句「生きていればそれで幸せだ」を思い出し、大変ではあるが幸せな宇宙を生きていきたいと思う。

 

2023年3月10日、突如アメリカの「シリコンバレー銀行」(SVB)が破綻した。丁度、日本のベンチャー社長と日本にもシリコンバレー銀行のようなベンチャー(スタートアップ)起業支援の仕組みが必要だと話していたところだったので、驚きを禁じ得なかった。

スタートアップ企業を育成し、成功させ、利益を上げることをビジネスモデルとしていると私は見ていた。そして、SVBはアメリカの中で総資産では16番目に大きな銀行にまで成長していた。SVBは、シリコンバーでのスタートアップ企業がエンジェルやVC(ベンチャーキャピタル)から投資してもらった資金を預けてもらい、スタートアップ企業に資金繰りなどの金融サービスをするだけでなく財務計画のアドバイス、企業会計アプリケーションの提供までやっていたと聞く。新規ビジネスを始める企業に特化した銀行である。

続いて、3月12日には「シグネーチャー銀行(SB)」が破綻した。シグネーチャー銀行(SB)はニューヨーク州で主として不動産業に対する金融サービスの仕事をする銀行である。トランプ前大統領の銀行を使っていたそうだ。

 

この二つの銀行が破綻して直ちに、バイデン大統領はイエレン財務長官、パウエルRFB議長を動員して、「SVBの預金者の全預金を全額保証する(all depositors of Silicon Valley Bank (SVB) will have access to the full amount of their deposits)」と宣言した。「これでリーマンショックのような惨事にはならないであろう」とメディアは報じ、日本でも金融危機は去ったように報道されている。

バイデン大統領は「シリコンバレー銀行やシグネーチャー銀行がおかしくなったが、政府がちゃんとした手当てをしたので皆さんは安心して欲しい"Americans can rest assured that our banking system is safe. Your deposits are safe."」と言った。そして3月13日バイデン大統領は、「シリコンバレーの裕福な預金者を国民の税金で救ったのか」と批判されるのを恐れて、「重要なことなので繰り返す。納税者の負担によるものではない」と言った。

しかし、イエレン財務長官は、3月14日の記者会見で、「他の銀行も破綻しているが、全て政府が預金者の預金を保証するのか」と問われた時、「ノー」と言い「小規模銀行の破綻を全部は保証しない」と答えた。そして「FRBが判断した時にのみ保証する可能性がある」と付け加えた。そして、FRBは3月22日に、銀行破綻に対する「緊急融資枠(銀行タームファンディングプログラム(BTFP))の利用」が536億ドル(約7兆円)になったと発表した。「銀行タームファンディングプログラム(BTFP)」は、SVB破綻の2日後の3月12日に導入された。利用については、15日時点の119億ドルから1週間で約5倍に増えた。その額の推移は是非注視する必要があると思う。危機は簡単には去らないであろう。

実際に、3月23日イエレン財務長官は米下院公聴会で「預金保護のために追加的な措置を講じる用意がある」と述べている。まだ更に大手銀行の破綻が起こる心配があると見ているようだ。

2月にアメリカに行ったが、アメリカはインフレの波が大きい。安いホテルの朝食が円で2,000円を越える。そしてまだまだ物価は上がっているようだ。おそらく、FRBのパウエル議長はインフレを抑制するために金利を上げ続けなければならないであろう。そして、利上げするとますます金融破綻を拡大する可能性がある。

リーマンショックは金融システムの問題であり、金融の秩序が快復することにより、急速に回復できたが、今回の金融破綻の背景には、世界同時インフレ、世界の分断、アメリカの影響力の低下と中国の台頭など大きな変化がある。

日本も大きな経済ショックに備えなければならない。

勢府が財政支出の総額が39兆円規模となる「物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策」を閣議決定しました。

出典:自民党ホームページ

 

私を応援してくださる方は中小企業の経営者が数多く、今でも定期的に会い色々と話を伺い、時々お役にたっています。最近お会いする方々の多くから急激な円安の影響を受け経営が苦しくなっていると言う声をよく聞きます。

特にガソリンスタンドやプロパンガスの事業者の方々は仕入れ価格が上昇しているにもかかわらず販売の価格を上げることができず経営がどんどんどんどん苦しくなっています。多くのガソリンスタンドが店を閉じると聴きました。例えば、地域にガソリンスタンドが一軒しかなく、地域のために一生懸命ガソリンスタンドを維持していた方がやむを得なくガソリンスタンドをたたみ、その地域の高齢者の方々が40分近くかけてガソリンを給油していると言う話も聞きました。
プロパンガス事業者の方々も政府からの十分な支援もなく経営が非常に苦しくなり営業を撤退することを決断した方々が急増しているそうです。プロパンガス事業者の方はなぜガソリンばかりを支援するのだ、と憤っていました。
またスーパーマーケットの経営者は、販売価格を十分に開けることができず、売ればあるほど赤字が増えている。このままでは資金的な体力がある大規模なスーパーマーケットしか生き残っていけない。小さなスーパーマーケットは潰れていくだろうだろう。と話をしていました。実際に統計を見るとスーパーマーケットの経営は著しく苦しくなっています。このままだと街の小さなスーパーマーケットはなくなっていくかもしれません。

このような話を現場からいくつかお聞きしています。そして、知人の国会議員に話をして、いくつかの対策は新しい経済対策に入れ込むことができました(本当に小さいごく一部です)。
しかしながら、新経済対策全体を見るとその内容も規模も十分なものでないと私は思っています。本当に支援を必要とする人に会社に必要な支援が届いているかと考えると、十分だとは言えません。もっと多くの方々の声、特に声を出したくても出せなくなってしまった方々の声を聞く必要があると痛感しています。


国会の外からもっと声を上げて行かなければなりません。もっと世にうったえる力をつけて行きます。
藤末は政治家時代から引き続き、経済学者や政府関係者、そして政治家が集まる研究会の事務局をしています。

経済学に基づく本当に効果がある見せかけではない政策を打ち出していきます。立場は政治家から研究者のほうに移りましたが、政治家と研究者とそして政府の3つを経験しているのは私しかいませんので三者の調整役としての自分の役割をきちんと果たしていきます。

これから本格的な経済対策が必要となります。我々の研究成果を現実の政策にして行きます。

ふじすえ健三事務所開設について

 

この度、川崎市宮前区馬絹に事務所を開設させて頂きました。また、近日中に横浜市都筑区にも事務所を開設させて頂きます。ここにご報告させて頂きます。

私は、昨年7月まで18年間、参議院議員として活動してきました。しかしながら、昨年の参議院議員選挙では自由民主党公認の全国比例区候補として出馬させてもらいましたが、結果を出すことができませんでした。

現在は大学教員として活動していますが、物価高対策など景気・雇用対策、大きく国際秩序が変わる中での平和・防衛政策、日本の未来を支える育児・教育政策など課題山積みの国政に自分自身が政策を提言し、実現できないもどかしさを感じています。また、1996年に長男が誕生してから2012年まで17年間住んだ地元の声を聴いても、教育の充実、子育支援制度の運用見直し、介護制度の充実、特別市制度の確立などの課題があります。

このような中で、再度、国のため、地域のため国政に挑戦することを強く決意いたしました。そして、その再起の拠点となるべく新事務所を下記の場所に開設致しました

是非とも皆様のご指導を頂けるようお願い申し上げます。

 

     令和5年2月吉日

前参議院議員 藤末健三

 

 

ふじすえ健三川崎市宮前区事務所

〒216-0035 神奈川県川崎市宮前区馬絹4丁目36-33

Tel  080-3716-7483 Mail  fujisue@fujisue.net

1年半前に父が旅立ち、鹿児島の田舎の家には母1人で住むことになった。鹿児島には親戚もなく知人もいないため毎日1回は必ずLINEでビデオ報告をしている。LINEビデオで話をしていても母は毎日庭の整理やゴミ捨て側の散歩などの話ばかりで、新しいことがあるわけではない。したがって私の近況報告が中心となる。それも毎日話をしているので私の毎日の活動の報告となっている。
母と話ながらデジャヴに襲われる。思い出されるのは小学校・中学校の時だ。当時母はパーマ屋を開店しており、また父が単身赴任で家にいなかったので、あまり親と話す機会はなかった。しかし、時々母が仕事が終わった時に、その日にあった事を母によく話をしていた。私は親に育ててもらってると言う気持ちが強く。反抗期もなかった。思春期もよく母親とは話をしていた。

今も母にはほぼ毎日報告をさせてもらっているが、母のためと言うよりも自分のためだと思えてくる。子どもの頃から学校から帰り、母の手が空いている時はよく話をしていた。家が狭く、自分の部屋もなかったので、自然と母と話をするようになったのだと思う。母に報告することで自分の活動を確認し、ある意味で自省していたのではないかと思う。

今も母と話すと、自分のやっている活動を自分で意識できる。仕事を含む日々の活動はほぼ無意識に進んでおり、人に話すことにより自分が何をしているか再認識できるのではないかと思う。その意味では「一人で暮らす母とネットではあるが話をさせてもらうことは、子ども時代と同じ報告だと感じる。


さて、子ども時代の母との会話で一番覚えているのは、中学校で試験が終わりいつものように家に帰り、アイロン掛けをしている母と話をした時だ。なぜこのような話題になったか憶えていないが、私は「太く短く派手に生きたい」と母に語った。すると、母は私に「激しく短く生きることよりも、普通に生きる方が全然難しいのよ」と私に言った。子供心ながら、この言葉は理解できないがインパクトがあった。60歳近くになった今も、この母の言葉はずっと脳裏に残っており、地位を得たにお金を得たり、そのような生き方をするよりも、普通にイメージされる明るい家庭で普通の暮らしをする方がはるかに難しいと母は中学生に私に語ったのだ。
先日、母に「普通に生きるのが難しいと言っていた。その言葉が1番頭に残っている」と話をしたら、母は何も覚えてない様子であった。


今までの人生を振り返ると、人生の先輩の何気ない一言が心に残っていることが多いし、また私から見て人生の後輩も話をしていると、私の何気ない言葉が非常に参考になると言ってくれる。逆に、人生の後輩にアドバイスをしようと思って発言しても、そのアドバイスは聞き入れないことが多いように思う、おそらく自然に発せられる言葉には、より大きい魂が宿るのではないかと思う。残された人生で自分が感じたこと思ったこと、そして考えたこと、このやろうきちんと自然な言葉として残していこうと考えている。
おそらく自然の言葉の方が多くの人々の心に届くであろうまた自分が美しいと感じる壺や書道といったものを自分の表現として完成させていく。残された時間はあと50年。それもどんどんどんどん歳をとり、体の機能脳みその機能も失われていくであろう。そのような中で自分がやるべきこと、やりたいことをきちんとやっていく。

 

つまり、一瞬、一瞬の今を真剣に生きるしか道はないと自分に言い聞かせながら生きていこうと誓っている。
 

ロシアのウクライナ侵略や中国の大国化に伴い世界の秩序は大きく変わり、また同時に民主主義と言う政治システムも投票をアメリカやブラジルで否定する暴動が起こるなど世界的な危機に直面し、そして資本主義と言う経済システムもインフレーションに対応できずに世界レベルので危機に直面しそうだと感じます。

 

時代の流れが大きく変わる中で、「挑戦が新しい時代を生む」ようになるとビシビシ感じています。

私は生物科学が好きです。

(物理学や情報科学も大好きです)。

なぜ、生命が誕生し、また、人間が生まれたかを科学的に理解するということは自分自身を理解することになるのではないかと、日ごろ本を読んでは勉強しています。

 

そして、素人ながら、なぜ人間が生まれたか?

私のひとつの仮説は、「人と動物は挑戦する遺伝子を持っていた」から、とうものです。

例えば、水中から陸上になぜ魚は上がったか、水中の方が快適であった(温度の変化の変化が小さく、脱水死の危険もない)と思われるのになぜ未知の陸上に上がったか?

 

きっと新しいところに行こうという遺伝子の命令で「陸に挑戦した」からではないかと思われて仕方がありません。

また、なぜ人類は生まれたか?
アフリカの森に住んでいた猿人が食料も少ないサバンナに出ることにより、二本足で歩き、手が自由になったことで道具を使い、そして脳が発展し、人類が生まれたといいます。

山火事で焼きだされたという説もありますが、それでも「自ら相当な苦労をするであろうサバンナに出て行くという挑戦」が人類を生み出したのではないか、と思えて仕方がないのです。

進化論では「環境に適応できた種が生き残り、遺伝子を残すことにより進化が生まれる」となっていますが、ある説によると、環境に適応に劣った種であっても、環境に適応しようと苦境を乗り越えることによりもっと強い種を作るという話もあります。


つまり、種の中で優れ強者だけが生き残るのではなく、劣っている弱者の遺伝子のあくなき挑戦が結果として強い種を越えることがあるという説です。私はこの説が正しいと思っています。


挑戦するからこそ、進歩する、これは真理だと思い込んでいます! 

最後に政治もベンチャーと同じように、非常にリスキーなものです。

だから、わが国では、優秀な人材は、優秀であればあるほど安定した大企業や官庁に入ったと思います(今でもそうかもしれません)。とても政治やベンチャーなんて危険なものに人生は賭けられない、ということになっています。

私はそこを変えて行きます。

無駄なリスクを犯さなくとも政治家になり社会のために働くことができる制度・体制をつくり、また同時に、ベンチャーにおいても個人保証で事業が失敗すれば破産といったリスクをなくし、やる気があれば起業でき自分の夢を追いかけられる、社会を作って行きたいと思っています。

心理学で実証されていることですが、「人は、行動を起こさないで後悔する方が、行動を起こして失敗して後悔することよりも、後悔の度合いが大きい」そうです。

みんなが挑戦する社会と経済を日本に作って行きます。

そして、日本をもっと元氣にします。
 

Schopenhauer writes: "Reading is the act of having someone else think for you.
The diligent man who spends his day reading too much is gradually losing the ability to think for himself.” and "Read the ancients as much as you can. Read the ancients who are truly worthy of the name of the ancients. The words of the present about the ancients are even more meaningless." in his book "On Reading and Books,"

I read a lot. I often read several books a day. 

I read in a way that would completely offend Schopenhauer. I'm going to change my habits now. I should read good books repeatedly.

The ones I have read repeatedly so far are. Sun Tzu's The Art of War, Nayan Tang, and the Lotus Sutra. All of them came from the continent. No doubt, books that have not yet passed through the filter of history do not have a sufficiently fixed value. If you read many such books, you will be influenced by them and your spiritual foundation will become unstable. We still need a filter for a period several hundred years from now. Otherwise, we will not be able to obtain the knowledge and ideas that will become our true spiritual foundation.

There are limits to the cognitive abilities of people in any region at any time. No human being can exceed the limits of the culture, common sense, knowledge, and science of his or her time and region. Therefore, we should read the classics of the past, present, and the East and West, without being overly biased toward those of our own time and region. I will repeatedly read "Medeitation" and "Bible" by Marcus Aurelius.

I am in search of truth. Truth is that which does not change, that which is eternal, that which is universal. That is why it transcends time and region. We must find this unchanging truth. Isaac Newton wrote in a 1675 letter to fellow scientist Robert Hooke, "If I have seen further, it is by standing on the shoulders of giants. have seen further, it is by standing on the shoulders of giants. The elucidation of truth is only possible through the accumulation of the will of many people. The knowledge and ideas accumulated by our predecessors over hundreds and thousands of years remain as the classics, which form the shoulders of giants, and we must study the classics and look over them from the shoulders of giants. And the classics will continue to contribute to the development of human knowledge and thought for hundreds and thousands of years to come.

Reference.
As is the case now, I don't have time to read books slowly. I can say that I am busy with work and that is the end of it, but I wonder if I can really use my precious time for work. Also, because I read books in my free time, I am not able to read in-depth classics. At the end of the day, I read shallow books that I can read in about an hour, and I cheat by gaining boring knowledge. Shallow books are like quizzes, they are a mass of information and will not give you systematic knowledge.
The classics are definitely deep and broad. To look for new paths, it is necessary to start with the classics. Starting with the classics will give us more freedom of thought. The search for truth is a path of infinite height, infinite breadth, and infinite depth. Therefore, the search for truth is a path of infinite possibilities and infinite hope.

"If you ask the TAO (道) in the morning, you can die in the evening."
From Confucius' Analects - Rijin 孔子『論語 - 里仁』

This means as follows.
If you can know TAO (道、truth of the universe?), you can die!

I can't agree with this thought, but it may be one of my values.
However, I also want to know the "truth (道)" as much as possible in my short life. If I can do that, I will be able to shine the value of life within the short time given to me. Even if life is short, the spark of truth can lead to eternal truth. 
Matter (material) is energy, the speed of light remains the same, and humans are designed with a short genetic code. 

From now on, science will clarify the existence of consciousness and the mind. I want to know the truth. To know may be to radiate the brilliance of the philosophy that leads to life and the universe. Many people aspire to serve the truth, even if just a little, in their finite lives.

I respect and love Marcus Aurelius, the philosopher emperor of the ancient Roman Empire. I really want to live like him. Marcus Aurelius did not write a book. A collection of short documents he wrote only for himself, compiled as "Meditation". His twelve books were edited by others. "I am not allowed to read," he laments. Despite the heavy responsibility of being an emperor, he was still trying to think and seek the truth. He may not have had enough time as a philosopher. Only a very small amount of time may have been spent on philosophy. But in that short time he imprints eternal life. His document is short. Even in those few lines of Kotodama, the philosophy of seeking eternal time is hidden.

"You have the power to strip away many superfluous troubles located wholly in your judgment, and to possess a large room for yourself embracing in thought the whole cosmos, to consider everlasting time, to think of the rapid change in the parts of each thing, of how short it is from birth until dissolution, and how the void before birth and that after dissolution are equally infinite."