今日で、故郷・熊本の大震災から5年が経ちました(熊本地震は2016年4月14日夜に「前震」が、2日後の16日未明に「本震」が起きました。震度7を2度記録した初めての地震でした)。

 

県民の1割に相当する18万人が一時避難し、20万棟が被害を受け、276人の方々の尊い生命が奪われました。このうち、災害関連死が犠牲者全体の8割を占めたことも大きな課題として残されました。

 

今でも思い出すのは、本震の前日に故郷の友人からメールが入り、大きな地震があったと言う報告でした。余震は続いており、恐ろしくて車で寝ているという連絡でした。

そしてその翌日、ニュースで巨大な地震があったことを聞きました。メールを見ると避難していた友人たちから現場の大きな被害のことが記されていました。

 

私は当時、7月に参議院選挙を控えていましたが、急遽スケジュールを変更し、熊本へ向かいました。

ボランティアとして避難所に地元の企業から提供された納豆を届けたり、飲料水を届けた事は今でも明確に覚えています。

 

また、体育館に避難された方々が自身の体験を話してくださったことも鮮明に覚えています。特にシニアの方々は、話し相手を求めていたという気がしました。

 

今でも思い出すのは熊本大震災特別措置法案のことです。

当時私は、野党だったため、被災された方々からの声を自民党の国会議員に相談していました。

特に野田たけし先生は財政のプロであり、熊本の復旧・復興予算の確保について様々な面から考えておられました。

今でも忘れられないのは、当時私は民進党の政調会長代理しており、「熊本震災特別措置法」を東日本大震災と同じように作ろうとしていました。

しかしながら、野田先生に相談に行くと「特別措置法の提案はやめてほしい」と言われました。

それは、「特別措置法を作るとそれだけで最低1ヶ月の時間がかかる。復旧復興の予算は様々な政府の財布からかき集めてくるから新たな法律で予算の手当てをする必要は無い。」という理由からでした。

この言葉を聞いて、地元の松野頼久衆議院議員(当時)と相談し、熊本震災特別措置法案の提出を取り止めました。

また国会においても安倍総理大臣(当時)に対して、道路や鉄道などのインフラの大至急の復旧や、熊本のシンボルである熊本城の復興を強く提案し、聞いてもらったことも記憶に新しいです。

 

震災から5年が経過し、ようやく熊本のシンボルである熊本城の天守閣は、今月26日から一般公開が行われます。

しかしながら、まだまだ熊本大震災の復興は道半ばです。これからも多くの仲間と連携し、故郷熊本の復旧・復興を進めるため、最善を尽くしてまいります。