かの有名な陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明(あべのせいめい)がその昔住んでいた場所とされる晴明神社を訪れました。




一条天皇が創建した頃の境内は広大だったそうです。



境内には安倍晴明公が祀られています




安倍晴明は「光る君へ」にも登場していますが、平安時代の代表的な陰陽師。


名前の読みは「せいめい」「はるあき」「はるあきら」「はれあきら」なのか定かではありません。 




『大鏡』や『古事談』『今昔物語』『宇治拾遺物語』などによれば、晴明は「式神(しきがみ/識神)」の扱い方が上手かったそうです。


式神とは陰陽師が善悪を見極めるために使う(鬼)神で、普通の人間には見えません。


晴明はこれら式神に屋敷内の雑用から気になる場所の偵察までやらせ、従者として大いに利用したとか。




晴明は呪詛(じゅそ:呪い)返しをすることはあっても、誰かを呪詛あるいは式神を使って害したことはなかったそうです。陰陽師として超えてはならない一線を守っていたとされます。


勤務態度も真面目。陰陽師としての実力も広く世に認められていました。


「光る君へ」で藤原道長と安倍晴明の関係がこれからどのように描かれてゆくのか興味津々です。


ところで、陰陽師は現在も存在するのでしょうか。実際には陰陽師が所属する「陰陽寮」が明治維新で廃止されたため、公式の陰陽師は存在しません。


しかしながら、占い師の中には陰陽師を名乗っている人も複数いるみたいです。


わが職場では人事に風水が活用されています。名前、住所、生年月日からその人の適正を判断。入職時期も風水師の指示を活かしています。


嘘の様な話かもしれませんが、これは現代版陰陽師でしょうか。


また、某有名大学の外科教授は、手術の日程を決める際、同じ風水師に指示を仰いでいたそうです。