こんばんは!学習塾オイカゼ、塾長の藤島です。

 

2020年にオイカゼを卒業したKくん。

見事第一志望校に合格し、学校では学年でトップ10に入る成績を出し、大活躍中。

そんなKくん、実は中学1,2年生時に学校に通うことが出来ませんでした。

それでも志望校があったKくん。合格を目指し、中学3年生になってから学校に通い始め、そのタイミングでオイカゼに入塾をしてくれました。

 

勉強を0からやり直し、伸びる度に自信をつけ、志望校に向かって頑張り続けたKくん。

そんな彼のエピソードを載せさせて頂く事で、きっと勇気を貰える保護者様、生徒さんがいると思い、先日Kくんのお母様にインタビューをさせて頂きました。

 

快く承諾して頂いただけでもありがたいのですが、重ねてありがたいことに長文で頂きましたので、そのままの文を3回に分けてブログに載せたいと思います。

 

ぜひ最後までご覧ください。

 

 

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Kくんのお母様より

 

 

我が家の次男は現在、工業高校の2年生として充実した学校生活を送っています。

3年前はこのような未来は想像すらできない状況で、毎日を鬱鬱と過ごしていたのが懐かしく感じられます。

 

次男は中1の夏から中2の2月まで不登校でした。理由は分かりません。

勉強は小学校時代からなんとかついていっている程度で、優秀とは言い難いレベルだったので中学校での学習量の多さに疲れてしまったのかもしれません。

些細なことに不満を漏らし、一時は「一生、中学校には行かない」と言っていました。

 

不登校の間も将来への不安は大きかったようで、数ヶ月に1度は夜中に自らの思いをポツポツと語っていました。

私はこの時間だけは絶対に付き合おうと、また彼の思いを否定せずに聞き入れ、広い選択肢があることを少しずつ伝えるようにしました。

 

感情の波にこちらが振り回されて悔し涙を流し、それを次男に非難されることもありました。

それでも少しずつ彼の気持ちが変わっていったのか、好きな映画を観に行きたいと言ったり、親戚の集まりに顔を出したり、不登校当初は頑なに拒んでいたことをするようになってきました。

 

中2の12月頃から、友達とスキー場で合流して遊ぶようになり2月末に「友達と約束したから」3月から学校へ行くと告げられました。同時にコロナ禍の家庭学習となってしまい、出鼻をくじかれたとヒヤヒヤしましたが「俺に行くなってことか」と言いながらも決められた登校日にきちんと出席し始めました。3年に進級してからも時差登校が続きましたが休むことなく、卒業まで通い切ることができました。

【②に続く】