祈り | kengo machine

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kengo machine(デンジャーデンジャー/FREAKY MACHINE/ZION/松本音響)

まずは3月10日 藤沢サウスブロックパーティーありがとうございました。
藤沢が音楽で埋め尽くされた一晩でした。

ボクたちは音楽で愛や平和や自由を表現して行きます。
今回の売り上げの1/3は東北で使ってもらえるようにします。

「音楽は平和への武器になる」


明けて11日
何もしないと決めていた11日。
ピースウオークやアチコチのデモを感じながら心穏やかに。

思い起こせば去年の11日は全てが麻痺してましたね。
電車が止まり帰宅困難者が駅に溢れる中、菜音を解放して沢山の人で不安な一夜を過ごしました。
次の日には救援物資を集め始めてビックリ。
あっと言う間に2トン車1台分の物資が集まりました。

東京の団体に送るつもりが「これなら行った方が早い」と判断して高速道路も分断されている中をやっとの思いで燃料を確保してブラザーつかさ君と2人で東北に向かいました。

茨城でシェイキンと合流して案内してもらい物資を降ろした帰り道、忘れられない電話がかかってきました。

「kengo兄さん!オレ福島浜通りの避難所に居るんだけど、ここから出たくて気が狂いそうだ! kengo兄さん福島に居るんだろ?迎えに来てくれないか?」

福島に移住してサーフライフを送っていた仲間からの電話だった。

茨城を抜ける直前で車をUターンさせてみたものの半端じゃないガソリンスタンド渋滞で動く気配もない道路。
3号炉が爆発した直後。
同乗者の家族の顔が浮かんで来た。
くやしい位に涙が出て止まらなかった。
くやしくて叫んでいた。

やっと次の電話が避難所に繋がった
「すまないとてもじゃないけど辿り着かない!頼むから自転車で出て来てくれ!!」
元々原発反対だったおかげで原発事故対応マニュアルが頭に入っていた。
「原発事故の影響から自転車なら1日、歩いても2~3日で影響圏外に出られる」

次の日悶々とした気持ちで過ごしていたら「kengo兄さん!おれ自転車で東京出て来て今は仲間と名古屋に向かってるよ!!」

その後は何回か仲間たちと東北ボランティアに行った。
泥かき出しながらも東北の人たちに沢山の目に見えない力を頂いた。
津波の威力の凄まじさに原発事故さえ怖くなかった。

まだ復興の真っ最中。
政府は9ヶ月たってようやく復興省を立ち上げた。
どじょう総理は金で頭が一杯でみんなの幸せは考えていない。

これから最低でも2万4千年は管理しつづけなくてはいけない原発やMOx燃料、なのに、たかだか西暦2012年に生きるオレたちが40年で寿命の原発を60年動かすかどうかで揉めてやがる。
ウランの燃えカスも再処理が夢だったと分かっても増える一方。
もうすぐ保存場所も無くなるのに計画ゼロのまんま。

311にどじょう総理は「再稼働させる」と明言した。
どじょう総理は後何年生きるんだ?
いい加減にしろよ。

縄文時代でも4000年前だ。
それプラス2万年も誰が管理するんだ?

責任なき政治家はもう出てこなくて良いよ。

こんな事書きたい訳じゃない。
楽しく行きたいだけなんだ。

ただ何時も祈っているよ。
世界中が仲良く暮らせますように。