昨日の夜の演説会で、子育て世代の女性から、励まされる応援演説をいただきました。

 

市町村合併しなかった時や、中学校給食をスタートしたときに感じておられた率直な思いを聞き、そして、今の思いを聞いて、

 

16年の間、少数与党で、大変なこともありましたが、ブレることなく、住民の皆さんと一緒に、日野町を作ってきてよかったなあ!と思います。

 

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私はこの地域で生まれ育ちました。

 

結婚して甲賀市に住んでいましたが、2年ほど前に主人と子どもと一緒にふるさと日野町に帰ってきました。

「日野町は何もない田舎」と思って育ちましたが、帰ってきて気付いたことは、近所の人達のあたたかさと、日野町の自治のすばらしさです。

ちょうど私が高校に上がった時に、日野町は合併しないことを決めました。

 

そのことに対し、学校で現代社会の時間に批判するようなことを教師に言われました。

 

今なら、教師の政治的な考えや国の教育方針をきちんと理解して、その話を聞くべきであったと分かります。

 

しかし(その教師の話を聞いた当時の)わたしは、(日野町が市町村合併を選ばなかったことが)とてもショックで日野町の未来に不安を覚えました。

 

ですが、日野町の方達は、国の圧力に負けず、きちんと自分達の頭で考え、行動し、私達に、住民の声がきちんと届くあたたかい町を残してくれました。

 

 

町のみなさんにお礼が言いたいです。

本当にありがとうございます。


また、中学校の給食についても話を聞いて感動しました。

 

私は当時もう大人でしたが、子どももいなくて若かったので、あまり政治に興味がありませんでした。

 

なので、「中学校のお母さん達がお弁当作るの嫌になったんかなー?」というくらいにしか考えていませんでした。

 

実際はお弁当を作ってもらえず肩身の狭い思いをしている子ども達の存在を知った町長さんをはじめとする町の大人達が、

 

全ての子どもが等しく安心して大人になれる町にしたいと熱い気持ちで作ったものだと知りました。

 

町の大人達が町で育つ全ての子どもを責任を持って見守り育てる

 

そのために絶対に自校方式、直営でとこだわり、貫いた。

 

そんなあたたかい町の人達の愛情を知り、この町で育ててもらったことを嬉しく思い、感謝しています。

 

そして、この愛情が、私よりも若い給食を食べてきた世代の人達にきちんと伝わっているといいなぁと思います。

私は、この町の愛情をきちんと子どもにも伝えたい、残したい です。

藤沢町長は4期町長を務めて下さったことで、長いと言われる方もいると聞きました。

 

ですが、4期続けて下さったからこそ今の福祉に充実した日野町があると思います。

 

この16年間、町の人達が応援し続けたからこそ今の日野町があります。

「うちの町の子は高校生になったら歯医者に行かないから虫歯を悪化させて困ってる子が多いらしい。だから高校生まで医療費を無料にして歯医者に通いやすくしよう。」

 

そんな理由で「高校性まで医療費無料化する」との公約を考えられたという話を聞きました。

 

子育て世代へのアピールや他の町がやっているから、ではなく、町の子どものことを見て税金の使い方を考えてくれる。

私はこのあたたかい町を子ども達に残していきたいです。

そして、国の進める合理主義、経済優先の政策に納得いかない時にはNO!と言って子どもを守れる町であり続けてほしいです。

(30代女性より)
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他にも、女性の皆さんからたくさんのご支援をいたいています。

ありがとうございます!
 

 

【連載】
「平成の合併」をひっくり返した住民のチカラ!2004年(平成16年)に私が町長になった理由とは。

 

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