桜谷小学校の大規模改修は、東西桜谷地区にとって、なんとかして欲しいのに、予算がとれず解決がつかない課題でした。
ですがそのころ国の景気を良くするために
町がたくさんの公共事業を行いたくなる仕組みを、国が打ち出していました。
ざっくりいうと、
「町で100の公共事業を行えば、事業費を超えるおカネがくる」
というものでした。
たくさん公共事業を計画するほど、国から補助金が得られるというのは、とても信じられないおいしい仕組みでした。
このころ、桜谷小学校の大規模改修の計画は、、1年目に学習棟を改修して、2年目管理棟、3年目に給食棟を施工する、という事業計画でした。
ですが、この3年計画だと、1年目の学習等の改修にしか、有利な補助制度が使えなかったのです。
そのため、私は桜谷小学校を訪ねました。
私:校長。3年計画でやるのか1年でやるのかどちらがいいか?
当時の校長:1年がいいですね
とのことで
私はすぐに町役場に帰って、桜谷小学校の改修事業を行う建設課に
「1年でやれるか」と尋ねました。
即座に「やります」と返事が返ってきました。
それを受け、教育委員会事務局と話し合い、もともと3年計画だった桜谷小学校の改修の全てを1年で行うことを決定。
その年の12月末の国の補正予算を確認して、2月上旬にははっきりとした方針を決めました。
どのようなことかと言いますと、
この時の地方自治体=町にとって、とても有利な補助制度を活用して、小学校へのエアコン設置、農道舗装など10億円を超える事業を予算化したのです。
後は、日野町議会にて、町役場の作った事業計画とその予算案を議会に承認してもらえば、スタートできるはずでした。
ですがなんと、議会多数派が予算委員会で否決してしまったのです。
これは、日野町の歴史に残る出来事だったと思います。
当時、議会多数派は、小学校の給食が自校方式であることに反対していました。
民営化すべきと考えていたのです。
私はこれに対して
「給食は各学校に給食室を置いて、給食室で働く人も町が直接調理員を雇って、昼前になったらおいしそうな匂いがしてきて、温かい給食を食べられる給食の姿こそが、食育である」
と打ち出し、自校方式を進める立場にありました。
そのため議会多数派は、私のとる立場が気にいらない、などとして、国が打ち出したおいしい仕組みをフル活用できる事業計画と予算案を、あっさり否決してしまったのです。
日野町の議会多数派は、自民党員や自民党の考えに賛同する議員が多いのですが
このときばかりは、国の与党である自民党が打ち出した政策に、自民党の町議会議員が否決するという、とても不思議な状態が起こり私も大変驚きました。
しかし、町のことを自ら考える人の多い日野町です。
小学校の大規模補修ができる公共事業計画と予算案が否決されたことは、すぐに保護者や地域の方に伝わりました。
待ち望んだ小学校の大規模工事が、もともと3年計画だったのが、1年で行われ、かつ、その費用の多くを国が出してくれるというのに、その計画を否決してしまうとは何事か、との批判が広まりました。
保護者は地域の方からは、「事業を進めて欲しい。」という署名があっというまに、数日で集まりました。
地域住民の皆さんのチカラは素晴らしく、私もその中で否決した議員さんとも直接交渉をしましたし、地域住民の方自らも、否決された議員さんに、要望を届けに行かれました。
否決した議会多数派の議員さんは、まさかそのようになるとは思われず驚かれたでしょう。
結局、計画を進めて欲しいという地域住民の皆さんの声が大きかったため、最終日には全会一致で可決されました。
それは、まるでドラマのよう出来事でした。
私は「少数与党」の町長です。
ですから、私や町役場から、いくら素晴らしい事業計画や予算案を議会に提案しても、議会で否決されてしまえば、何もできません。
それは、地方自治体である町が、権力をかさに着て暴走しないためにつくられた「議会制民主主義」という、民主主義を大切にするための素晴らしい仕組みです。
ですが、住民の味方であるべき町議会議員が、住民の声を聞くことなく暴走してしまうこともあるのです。
日野町では、平成の大合併の時がそうでした。
しかし、平成の大合併の時もそうでしたが、この、小学校大改修の時も、議会多数派に対して行動を起こし、町をよくする計画が無事に行われました。
私はこのようなことができることこそが、地方自治のすばらしさだと思っています。
この有利な制度を活用し、あわせて大谷公園広場の舗装やグランドゴルフ場等を造成も行いました。
このように、
補助金は制度によって交付されるものです。
人脈やパイプで左右されるものではありません。
それは、利益誘導であり国民が望むものもありません。
た。国の予算の状況をキャッチし、住民の要望があるにもかかわらずなかなか実施できない事業を、進めてゆくことをいつも心がけています。
また、このように、タイミングを逃さずに事業ができるのは、タイムリーに事業計画を作ることができる職員の頑張りがあればこそです。