ウェストミンスター小教理問答 問27 | 日本人とキリスト教

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■ウェストミンスター小教理問答書を中心として

問27 キリストの低い状態とは、どの点にあったか。

 

答 キリストの低い状態とは、彼が生れられたこと、しかも、貧しいさまに生れられたこと、律法の下におかれ、この世の悲惨と神の怒りと十字架ののろいの死とを忍ばれたこと、葬られてしばらくの間、死の力の下にとどまられたことにあった。

 

 各福音書の大部分はこのキリストの「低い状態」について記されている。大教理問答の問46~50には、より詳しく具体的に書かれていてキリスト者に慰めを与える。「低い状態」の最重要のポイントは「律法の下におかれ」たことにある。「律法」とはモーセの十戒に代表される道徳律法だけではない。動物犠牲の律法も含む、すべての旧約の律法である。そしてそれは、「律法の下に」ある人間を贖う為であった。それではどのように人は律法の下にあるのだろうか。まず、人は律法を完全に守ることができないから、その律法違反の刑罰の下にあると云う意味で律法の下にある。又、永遠の生命に至る条件としての律法の積極的要求の下にあると云う意味で律法の下にある。キリストは律法の刑罰を人に代り受けて下さったのであり、堕落している人に代り律法を完全に実行し、律法の積極的要求を満たして下さった。このようにして「律法の下に」ある人を贖って下さったのだ。(1) それでは贖われた者にとって律法は、どのような意味があるのだろうか。(2) 贖罪の予型としての動物犠牲等の律法、即ち儀式律法と云うものは、現在は意味がない。しかし、十戒に代表される道徳律法は、贖われた者が、神の子として神の栄光を現わす為になお与えられている規範である。キリストが道徳律法を完全に守られたように、我々もキリストを模範として、この律法を守るように召されているのである。だからと云って、その行いによって神の前に義とされているのではない。

 



(1) cf. マーレー前掲書
(2) 詳しくは「十戒」の項参照