(^-^; 五年に一度の国勢調査&ふるさと
再アップの記事ですよ
【私のふるさと】の、ことをチョット話そう…
今回はネットでも回答出来るとの事でしたが
オーソドックに郵送で提出しました
以前…何回か調査員をした事がありますよ
✩ ✩ ✩ ✩ ✩
✩ ある時~湖畔でパシャ
● 私が生まれたところ
富士山と湖のある歴史のふるさと勝山村
河口湖から富士山に向かい細長い高冷地の村で、行政面積は421haと全国でも
7番目ととっても小さい村だった。
永らく、およそ500世帯そして人口は づっと2200人位だった
111年の歴史ある村も十五年前の平成の大合併により、
現在は富士河口湖町の一部となった
リンク
●正面に富士山を仰ぐ地域
昔から富士山の溶岩台地やせ地の為、農業に不適地であり昔は生活の糧に竹ザル細工と
そして男達は家を長期間空け、全国浦々に其々に北海道~九州迄に反物を担ぎ行商に
出かけた貧しくも逞しい土地柄だった
痩せた土地柄で川は無くコメは作れなかった
昭和30年代の前半には土地改良区設立し(うえの写真・事業面積63ha)、河口湖の水を
延長1.6㎞離れた高所にポンプアップし区画整理した田圃に悲願の黄金色の稲穂を見た
土地改良事業の完結へ
区画整理工事は昭和40年前に完成したが、最後の換地処分登記(各個人名義へ)が難儀だっ
た 村当局も支援して、ようやく昭和50年半ばに祝賀会が盛大に開かれ完成を見た
(私も役場に奉職し、少したって土地改良事業完結に力を注げとの村長命を受け役場内に
入っていた事務所に出向、さらには換地処分事務の為に県の協力も貰い都留市の県出先
機関(南都留合同庁舎内の土地改良事務所)にあった換地事務協議会に1年半ほぞ通い
ようやく仕事の責務を果たした
※私にも子供も生まれ生き生きとしていた時代でした)
機会があったら何時か☆土地改良のこのことを綴りたいと思っています
今となっては懐かしい思い出です
今、その区画整理地も時代の変貌により宅地に適した地として発展している
今の住んでいる地域です
● 今日の道路状況
四連休でだいぶ観光客の入込があるようで道路が動いている
富士五湖の地域経済は死にそうですので
多いに万券を落としていってください
だが、コロナウイルスのバラマキだけはご勘弁を
いつも お時間割いて~




