こんにちは
TrueStoryです。
今回は古事記での神武天皇の
東征が出雲王家 富家の伝承では
どのような史実だったのか
紹介したいと思います
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徐福は中国へ戻った後
3度目の渡来をします
3度目は北九州であり
ここで出雲王家 神門臣家
第6代大王の子供である
宗像家の市杵島姫と結婚します
その後 徐福の子孫にあたる人物が
ヤマトに都を移す事を考案
それが古事記の神武天皇
東征の物語になっているようです
徐福の子孫の兄弟は
イツセとウマシマジといい
イツセは紀伊上陸時に
大彦という葛城王朝の皇子の
矢に当たりなくなります
この大彦が 古事記でいう
ナガスネヒコらしいです
その後 出雲王家 富家分家の
太田タネヒコがウマシマジを
ヤマトまで導きます
太田タネヒコとしては
自分の権力を強化したい思いが
あったようです
彼が古事記での八咫烏
という事でした
そしてヤマトに九州勢が
上陸しましたが
その頃の王族は力もなく
地方へ逃げてしまったそうです
ただ ヤマトの人達は
九州勢には従わず
太田タネヒコの姉の
大和百襲姫がその後
大神神社の巫女として
祭事を行った為
そちらを主体にまとまって
いったようです
また大彦(ナガスネヒコ)は
伊賀に移り その後北陸から
東北へいったそうです
この時アラハバキを祀りながら
移動していったようです
ナガスネヒコが東北に行った話は
東日流外三郡誌という東北地方の
古文書にも書かれている内容です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/東日流外三郡誌