日常生活で起源が良くわからないものってありますよね?
 
お地蔵さんもその一つではないでしょうか・・・・
 
以下抜粋しますね。
 
人々を地獄から救済する仏
 
「お地蔵さん」「お地蔵さま」と親しみを込めて呼ばれることも多いが、正式な名前は地蔵菩薩。地蔵の「地」は大地、「蔵」は蓄える。「菩薩」は「悟りを求めて修行する人」という意味。つまり、豊かな大地のようにあらゆる物を生み、人を救う力として蓄え、修行を重ねる存在。
 
地蔵信仰が日本に伝来したのは8世紀頃で、初期の信仰を記録した奈良時代の書物『十輪経』に、民衆に寄り添うことを釈迦から委ねられた者―それが地蔵菩薩とされている。当初はそれほど篤く信奉された形跡はないが、平安時代(794年〜)の初期に、没落した貴族が地蔵に救いを求めた。
 
平安時代は摂関政治の全盛期で、摂政・関白を歴任した藤原氏が栄華を極める一方、下級貴族たちの身分は低く、冷遇されていた。彼らは、現世(藤原氏中心の社会)に絶望し、それが次第に「六道思想」(りくどうしそう)へと転化していった。
 
六道思想とは、人は天上道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの世界を輪廻転生するという考え方で、なかでも地獄道は最も過酷で、厳しい苦しみを与える世界と恐れられた。
 
現世で没落し希望もない。なおかつ死んでも地獄でもがき、現世に転生しても、また苦しむ。そこで、地獄から人間道に戻った時、救ってくれる存在が必要と考え、その願いを地蔵菩薩に託したのである。
 
地方の集落の入り口などで、お地蔵さまが6体並んでいるのは、六道思想に基づくもの。死んで、それぞれの世界に転生する者たちを温かく送り出し、苦しみから守ってくれる存在とされる。それが集落を悪霊・疫病などの災いから防ぐという信仰につながっていった。
 
以上抜粋しました。
 
摂関政治の全盛期の平安時代。
それは藤原氏が栄華を極めていた時代。
そこで没落した下級貴族が地蔵菩薩に救いを求めたとは・・・・・
 
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」とは、平安時代の権力者、藤原道長による和歌。
 

そんな藤原道長ですが、晩年は病に苦しんだという。現代の糖尿病ではないかという説が濃厚で、望月の歌を詠んだ頃には既に、糖尿病に伴う視力の悪化や胸の痛みなどに苦しんでいたといわれている。

 

強引な手を使って政敵を排除してきた藤原道長。いつか仕返しをされるのではないかと、物の怪(もののけ)を非常に恐れていた。さらに姉・藤原詮子(せんし)の死去前後から、仏教にも傾斜していったといわれている。

 

勝手にコピペしました。建材おじさん 日本史の知識が薄いもので。

 

その当時で藤原氏は、いいものばかり食べていたんでしょうね。

糖尿病なんてありえないでしょ。

それとも遺伝性の糖尿病だったのでしょうか・・・・・

 

まぁいつの時代も大なり小なり似てますよね。

人間って絶対に生まれた時から、かなりの差がありますから。

 

その人なりのポジションに落ち着けばいいのですけどね。

 

良い休日を~~~~~