松江城は18万6000石の城下町である松江のシンボルで

全国に現存する12天守の1つであり、平成27年(2015年)に国宝に指定されました。

 

松江城が築かれたのは関ヶ原の戦いが終わり、江戸幕府が開かれたのち

徳川家康側についた堀尾吉晴・忠氏(吉晴の子)が慶長12年(1607年)から

5年の歳月をかけ完成させ堀尾3代、京極1代、松平10代の居城だったお城です。

標高28mの亀田山(城山)の丘陵上に築城された平山城です。

姫路城の〝白鷺城〟に対し〝千鳥城〟と呼ばれていました。

 

大手前の駐車場(有料)に車を停めて

大手門跡から一般的なルートで松江城を見学することにしました。

松江城の大手前には松江開府の祖である堀尾吉晴の像が立っています。

◆堀尾吉晴像

大手前から城内に入ると広いスペースがありここが馬溜跡になります。

馬溜は一辺46m程のほぼ正方形の平地です。

◆大手前

馬溜には隠れるところがないので侵入した敵を大手門や高さ13mの石垣の上にある

狭間から鉄砲や弓矢で集中攻撃ができ敵の侵入を防ぐことができます。

◆馬溜跡

◆井戸跡と太鼓櫓

◆松江城碑

大手門は現存していませんが、かつては2階建ての櫓門式で

全国最大級の大きさだったと言われています。

◆大手門跡

◆大手門跡から天守を望む

本丸(天守)東側、最下段の曲輪で、中曲輪の下にあり外曲輪とも言われました。

東西100m、南北210mの広大な平地で江戸時代には米蔵がたくさんあったそうです。

◆外曲輪(二之丸下ノ段)

◆外曲輪(二之丸下ノ段)から天守を望む

二之丸上ノ段東側には南櫓・中櫓・太鼓櫓が復元されています。

◆二之丸上ノ段に建つ復元された櫓

大手門を入り本丸(天守)へと続く本坂を登って行きました。

◆本坂

松江城の見どころの1つでもある石垣は、築城時に有名な石積み職人によって築かれました。

全体の6割を「打ち込み接ぎ」という崩れにくい石積み手法が使われています。

◆本坂から天守を望む

石垣の「打ち込み接ぎ」は、石の角や面を割って平たくした石が特徴的です。

本坂を登ったところに三ノ門跡があり、その南側にかつて二之丸がありました。

◆三ノ門跡

明治時代になると二之丸御殿など取り壊された後、明治31年(1898年)に松江神社が、

明治36年(1903年)に興雲閣が建てられ、平成13年(2001年)に3つの櫓(太鼓櫓・

中櫓・南櫓)が復元されました。

◆二之丸

二之丸の北東に位置するところに太鼓櫓が復元されています。

◆太鼓櫓

太鼓櫓の建物内に入ることができました。

◆太鼓櫓 建物内

太鼓櫓にはその名の通り太鼓が置かれ、時を告げる役割を担っていたと思われます。

◆太鼓櫓から本坂を望む

◆太鼓櫓から馬溜(外曲輪)を望む

二之丸の東側に位置するところの太鼓櫓と南櫓の間に中櫓が復元されています。

◆中櫓

中櫓は「御具足蔵」とも呼ばれ、武具などを保管していた倉庫と考えられています。

◆中櫓 建物内

二之丸の南東に位置するところに2階建の南櫓が復元されています。

◆南櫓

建物内に入ると中央に階段があり、自由に上まで登れました。

◆南櫓 建物内(1階)

南櫓は、おそらく城下町の監視をしていたと思われています。

◆南櫓 建物内(2階)

南櫓の南側を望むと島根県庁が建っているのが見えます。

ここはかつて三之丸があり藩主の御殿が建っていたところです。

◆南櫓から南を望む

◆南櫓から東を望む

南櫓横の石段を下ると南ノ門があり、その先の千鳥橋を渡ると島根県庁(三之丸)です。

◆南ノ門

この碑は「西南の役」(明治10年)と島根県民との関わりを示す貴重なものです。

明治19年(1886年)当時の島根県知事の呼びかけによって建立されたものです。

明治36年(1903年)に皇太子(後の大正天皇)の山陰行啓の際の御座所となる

興雲閣(迎賓館)が建てられました。

◆興雲閣

二之丸には歴代藩主や徳川家光を祀る松江神社が鎮座しています。

松江城が国宝に指定されたのは、松江神社で発見された完成年(1611年)が書かれた祈禱札が

天守地階の跡とピッタリ一致したため完成した年代が特定されることとなりました。

◆松江神社

◆松江神社 御朱印

一ノ門を抜けると、いよいよ本丸(天守)のエリアになります。

◆一ノ門

一ノ門の先には券売機があり、ここから先が有料となります。

目の前に広がるエリアがかつて本丸だったところで現存する天守だけが建っています。

江戸時代は武者走りをもつ細長い多聞櫓が各櫓を連結し防御を固めていたそうです。

初期の頃には本丸に御殿、御台所、御薬蔵もあったとする資料が残っています。
◆天守(本丸)

一ノ門は戦後に復元されたものです。

◆一ノ門

一ノ門の隣に見晴らしの良い場所(本丸東南側)がありました。

本丸の高台から南側を望むと二之丸広場の先に島根県庁がみえます。

◆本丸の高台から南を望む

本丸の高台から東南を望むと正面に太鼓櫓、その奥に松江市街が広がっています。

◆本丸の高台から東南を望む

本丸の高台から東を望むと二之丸下ノ段の広場が見え、その右側の建物は松江観光案内所です。

◆本丸の高台から東を望む

天守は外観4重、内部5階、地下1階で、天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属します。

形式上は望楼型天守に分類され、二重の櫓の上に二重(3階建)の希楼を載せた形になります。

松江城の天守は、千鳥が羽を広げたような曲線の屋根を「入母屋破風」と言い、

それが東西南北の四方に乗っていることから別名「千鳥城」と呼ばれるようになったそうです。

◆天守

天守は地下1階、地上5階の構造となっており、地階が入口となり順路に従い見学しました。

◆天守入口

現存する天守では唯一、天守内に井戸があります。

名古屋城や浜松城にも天守内に井戸がありましたが、現存している天守では松江城のみです。

◆天守地階

天守地階には「祈祷札」のレプリカが飾られています。

天守の柱にしっかりと打ち付けられた当時の姿を再現しています。

◆天守地階

松江城は木彫り銅板貼りの鯱2棟、天守の頂上に鎮座しています。

天守に向かって左手は鱗が洗い雄、右側が雌であり、高さは2.08m(雄)もあります。

何と日本で現存する木造の鯱の中では日本一の大きさです。

◆旧鯱

◆石打棚

◆天守1階

1階には松江城ゆかりの品々や、甲冑や兜などが展示されています。

◆天守1階

地階から1階の東西2本の遠し柱は包板を持たない松江城天守最大の柱で、

天守国宝化の決め手となった祈祷札もこの柱の地階部分に打ち付けられていました。

◆天守最大柱

◆天守2階

番付は、木造建築で建物を組み立てるために予め部材につける符号です。

松江城天守の番付には彫込と墨書の2種類があり、彫込番付は地階から2階で柱の根元等に

刻まれているのを9カ所確認することができます。

◆彫込番付

鉄砲足軽を真似た顔パネが天守2階に置いてありました。

松平直政は、慶長19年(1614年)からの大坂の陣に出陣し、

兄の越前国北庄藩藩主松平忠直の陣に加えられ、

冬の陣では真田信繁(幸村)が守る真田丸で戦ったことは有名な話です。

◆大坂の陣で初陣を飾る松平直政

二之丸にあった太鼓櫓で使用されていた太鼓が展示されていました。

天守3階は、本丸の模型や全国のお城の写真などが展示されていました。

◆天守3階

天守4階は改修工事中でした。

◆天守4階

現存する天守の階段はどのお城も急な勾配の階段になっています。

天守最上階は「天狗の間」と呼ばれ、室内には壁がなく城下町を360度展望できます。

◆天守5階(天狗の間)

東の方向には左に嵩山、その右に和倉羅山が見えました。

◆天守5階から東方向を望む

南東の方向には松江市の中心街が広がっているのが見えました。

◆天守5階から南東方向を望む

南の方向には島根県庁、その向こうに宍道湖が見えました。

◆天守5階から南方向を望む

◆天守5階から南西方向を望む

西の方向には朝日山が見えます。その向こうには見えませんが出雲大社があります。

◆天守5階から西方向を望む

◆天守5階から北方向を望む

本丸の天守周辺には桜が植えられており春は桜の名所としても有名で

「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

◆北ノ門

本丸から北ノ門を抜け、かつての北之丸へと向かいました。

◆桝形

◆虎口から天守を望む

本丸の北側を下って行くと水ノ手門跡があります。

水ノ手門跡周辺の石積みは「野面積み」と呼ばれる自然の石を加工せず積んだものです。

◆水ノ手門跡

北之丸の東側に築城時から残る馬を洗うための馬洗池があります。

◆馬洗池

かつての北之丸として築城時は堀尾吉晴が仮の御殿を築いた場所には

松江護国神社が鎮座しています。

◆松江護国神社

松江護国神社の近くには松平直政が夢枕のお告げを聞いて創建されたという

城山稲荷神社が鎮座しています。

多くの狐の像があり、小泉八雲もこの神社を詣でるのを日常としていたそうです。

◆城山稲荷神社

稲荷橋を渡って松江城の北側を散策しながら塩見繩手へ向かいました。

◆稲荷橋

内堀(堀川)沿いに歩いていると「堀川めぐり」をしている遊覧船が近づいて来ました。

ブロ友さんが松江城を訪れたときに「堀川めぐり」をしたと聞いたことを思い出しました♪

新橋を渡り、塩見縄手に合流した交差点の近くに松江で超人気の出雲そばのお店

「手打 神代そば」さんがあります。松江城を見学する前にここで割子そばを食べました♪

◆手打 神代そば

◆松江城を見学したルート

「手打 神代そば」さんの直ぐ近くに小泉八雲記念館があります。

◆小泉八雲記念館

松江城北側の堀沿いに小泉八雲が妻のセツと共に暮らした小泉八雲旧居があります。

◆小泉八雲旧居

小泉八雲旧居の向かい側の塩見縄手に小泉八雲の胸像がありました。

◆小泉八雲像

明治4年(1871年)の郵便事業創業当時に使用していた書状集箱と

同じ型のものがありました。

◆書状集箱

◆田部美術館

塩見繩手は松江城北側の堀沿いの明々庵から小泉八雲旧居までの約500mの通りです。

松江城築城の際に城下町が造成されたときに造られた道路で、

江戸時代当時の面影が今も残っています。

◆塩見繩手(旧武家町)

江戸時代、中級武士たちが入れ替わり住んでいた武家屋敷もあります。

◆武家屋敷

内堀は一部埋め立てられたり、狭くなったりしていますが、ほぼ当時の姿を残しています。

◆内堀(堀川)

宇賀橋で内堀を渡り再び松江城内に入りました。

◆宇賀橋

明治時代「廃城令」によって全国の殆どの城が取り壊されることになり、

松江城天守は180円(当時は米1俵3円)で売却される予定でした。

その窮地を救ったのが、地元の豪農家・勝部本右衛門父子と旧藩士・高木権八たちでした。

自らの私財を投じて天守を買い戻し、見事に松江城を守ったそうです。

その後、市民の寄付で天守の大修理が行われ、地元の人達の支えによって現在まで残っています。

◆宇賀橋から天守を望む

◆松江歴史館

北惣門橋を渡り、再び松江城内を通って大手前駐車場まで戻りました。

◆北惣門橋

◆御城印

【松江城の概要】

所在地:島根県松江市殿町1-5

形 式:輪郭連郭複合式平山城

築城年:慶長16年(1611年)

築城者:堀尾吉晴

別 名:千鳥城

構 造:複合式望楼型 4重5階地下1階(木造1607年築 現存)

天守:亀田山(標高29m)、高さは石垣を含め約30m、天守は22m

敷 地:南北 560m、東西 360m

 

【松江城の歴史】

1600年(慶長5年)   堀尾忠氏(吉晴の子)が関ヶ原の戦功により浜松より出雲隠岐24万石を

           得て月山富田城に入城するも、統治の勝手が悪く城地移転を計画。

1607年(慶長12年) 松江の地の湖畔にあった亀田山に築城を開始する。

1611年(慶長16年) 正月に松江城が完成、同年6月吉晴死去。

1633年(寛永10年) 堀尾忠晴死去、嗣子なく堀尾氏は3代で改易。

1634年(寛永11年) 京極忠高が若狭小浜藩から入封。三之丸を造営し、松江城の全容が完成。

1637年(寛永14年) 忠高死去。嗣子なく改易。

1638年(寛永15年) 松平直政が信濃国松本藩から入封。以後、明治維新まで続く。

1639年(寛永16年) 城内に「御城内稲荷八幡両社(現・城内稲荷神社)」が遷座される。

1871年(明治4年) 廃藩置県により松江藩は松江県へ移り廃城となる。

1873年(明治8年) 廃城令が公布され、場内の櫓や門、御殿なども取り壊され売り払われる。

          天守にも180円で売却されることとなったが、地元の豪農・勝部本右衛門や

          旧藩士の高城権八らの尽力で買い戻され、保存されることとなる。

1889年(明治22年) 当時の島根県知事・籠手田安定によって「松江城天守閣景観維持会」が組織

          される。

1894年(明治27年) 明治の大修理が行われる。

1899年(明治32年) 城内に「松江神社」が遷座される。

1903年(明治36年) 城内に「工芸品陳列所」という擬洋風の建物が作られる(現・興雲閣)。

          明治天皇の山陰行幸の際の行在所の目的だったが日露戦争直前の緊迫した

          中で行幸は中止となる。

1907年(明治40年) 当時の皇太子(後の大正天皇)が山陰行啓にお越しになり、「工芸品陳列

          所」にご宿泊される。

1935年(昭和10年) 天守が当時の国宝保存法に基づき国宝(旧国宝)に指定される。

1950年(昭和25年) 国宝保存法から文化財保護法に法改正に伴い、天守は重要文化財に改まる。

1960年(昭和35年) 本丸一ノ門と南多門の一部を復元。

1994年(平成6年) 三之丸と二之丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)と二之丸下段の北惣門橋を復元。

2000年(平成12年) 二之丸南櫓と塀を復元。

2001年(平成13年) 二之丸に中櫓・太鼓櫓と塀を復元。

2015年(平成27年) 天守が完成した際に使われた「祈禱札」の再発見により、完成年のわかり

          歴史的価値のある建物として認定され国宝に指定される。

 

◆松江城案内図

◆松江城周辺マップ

<参考文献>

・松江城公式ホームページ

・現地案内看板

・しまね観光ナビ

・トラベルjp

・ウィキペディア