大山は中国地方の最高峰で自然にも恵まれ、大山隠岐国立公園の核をなす山です。
古より信仰の対象とされ、日本四名山(他に富士山、立山、御嶽山)にも数えられる霊山で
鳥取県のシンボル的な存在です。
飛鳥・奈良時代以降、山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄え
平安時代以降は、山岳信仰の仏教化が進むにつれて寺院が増え
最盛期には100を超える寺院と三千人以上の僧兵を抱えるほどになり
一大勢力として、比叡山、吉野山、高野山に劣らないほどの隆盛を極めていました。
しかし、明治初期の神仏分離、廃仏毀釈をきっかけに衰退の一途をたどり
数多くあった寺院も現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみとなってしまいました。
博労座駐車場(第4駐車場)から大山寺まで大山寺参道を約5~600m登って行きます。
大山寺参道(御幸参道本通り)には、昔ながらの老舗のお店や新しくできたカフェ、
日帰り温泉の他、登山で利用するアウトドアショップなどが並んでいます。
◆御幸参道本通り(大山寺参道)
大山の至る所でお地蔵様に出くわします。
◆地蔵尊
博労座駐車場から参道を約16分ほど歩くと大山寺の入口に着きます。
◆仁王門(山門)
◆大山寺(だいせんじ)
鳥取県西伯郡大山町大山9
山号・・・角磐山(かくばんざん)
宗派・・・天台宗
寺格・・・別格本山
創建・・・養老2年(718年)
開基・・・金蓮
本尊・・・地蔵菩薩
【大山寺の由緒】
大山は、『出雲風土記』に火神岳あるいは大神岳と記された古くからの信仰の山で、
約1300年以上も前から修験道の荒修行の場所として崇敬され、奈良時代となる
養老2年(718年)、出雲国造俊方(金蓮上人)によって「大山寺」が開創・創建された
ことに始まります。開山時は真言宗の寺院でした。
平安時代の貞観7年(865年)に天台宗となり、天台宗別格本山角磐山大山寺として
指定されました。寺には地蔵菩薩の顕現として大智明権現が祀られました。
鎌倉時代から室町時代にかけての大山寺は尼子氏や毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、
盛んに寄進や造営がなされ隆盛を極めました。その後は、高野山金剛峯寺や比叡山延暦寺と
並ぶ大寺となり、「大山僧兵3000人」と言われるほどの勢力になりました。
江戸時代に入ると幕府から3000石の寺領が安堵され、西明院谷、南光院谷、中門院谷の
三院谷の上に本坊である西楽院が支配する一山三院四十二坊の体制がとられました。
明治時代に入ると神仏分離と廃仏毀釈が起こり、明治8年(1875年)に大山寺の寺号も
廃絶され寺領の多くも没収となりました。
本尊であった大智明権現が大神山神社奥宮に移され、本堂には従来の本尊に代わって
米子市内の大神山神社の御祭神が祀られました。
明治36年(1903年)に大山寺の寺号は復活したものの、42あった子院は
現在10を残すのみとなりました。
◆山門(仁王門)
手水鉢は宝歴11年(1761年)に奉納されたもので、そこから流れ出る水は大山の湧水です。
◆手水舎
仁王門(山門)には寺号である「角磐山」の扁額が掲げられています。
大山寺縁起によると、天空遥か彼方の兜率天の角が欠けて大きな盤石が地上に
落ちて来ました。盤石は3つに割れて、その1つは熊野山になり、
2つは金峰山になり、3つはこの大山になりました。
こうしたことから、大山を角磐山(かくばんざん)と名付けられました。
◆仁王門(山門) 扁額
仁王門には仁王像(金剛力士像)が安置され境内を守護しています。
◆金剛力士像
この苔むした石段を見ると長い年月が経っていることがわかります。
◆参道の石段
下山観音堂の御本尊は十一面観音菩薩像で白鳳期の金銅仏で国の重要文化財に指定され
現在は霊賓閣に安置され、観音堂には御本尊の控仏が安置されています。
◆下山観音堂
その昔、日本海を航行する船が難航の折、この杉の頂から閃光を発し、
方向を教えたために難を逃れたといわれる霊木です。
◆灯明杉
◆灯明地蔵尊
御本尊の不動明王のもとで、天台密教の修法「護摩」をたきます。
◆護摩堂
大山は、古くから牛や馬の守り神としても信仰されていました。
平安時代に全国から牛や馬を売り買いする人が集まり、自然と牛馬市として整備されました。
◆畜魂碑
牛の霊を慰めるために「宝牛」という像が祀られています。
この像は別名を「撫で牛」と呼ばれ、1つの願いだけを心に念じて撫でると、
その願いを叶えてくれるという縁起の良い牛だそうです。
◆宝牛(撫牛)
◆法華塔
水子供養のための水かけ地蔵が祀られています。
◆水かけ地蔵
昭和3年(1928年)に鐘楼は本堂と共に一度は焼失しましたが
昭和25年(1950年)に再建されました。
◆鐘楼
「開運鐘」と呼ばれる朱塗りの鐘楼があり、開運スポットになっています。
梵鐘には天女が描かれていますが、撞くことは禁止されていました。
◆梵鐘
大山寺の開祖である長谷川俊方(金蓮上人)の後裔が、玉造温泉で松江藩から湯之介と
呼ばれる温泉を管理する役職を任されており、俳優の長谷川博己もその子孫にあたります。
◆慰霊碑
本堂の裏手には多くの地蔵尊がありました。
明治36年(1903年)に大山寺が再興された際、大山寺中門院の大日堂が新本堂となりました。
その本堂が昭和3年(1928年)に焼失したため、昭和26年(1951年)に再建されたのが
現在の大山寺本堂です。神仏分離によって旧本社から取り除かれた地蔵菩薩を祀っています。
◆本堂
本堂は天台宗の古刹で、今の大山の地蔵信仰の中心をなす堂宇です。
◆本堂
訪れたときは扉が閉まっており建物内を見ることは出来ませんでした。
◆賓頭盧様
この日の大山寺は無人のため下山観音堂で御朱印をいただくことになりました。
◆下山観音堂
◆大山寺 御朱印
古くから信仰の道である大山道(だいせんみち)が整備されていました。
大山へ通じる道は、大山へ向かう方向により「坊領道」「尾高」「溝口道」「横手道」
「川床道」とよばれており、これらの道を総称して「大山道」と呼んでいました。
◆大山寺参道
『大山寺縁起』によると、俊方(後の金蓮)はある日、大山で鹿を弓で射ましたが、
その対象が鹿ではなく地蔵尊だったと知りました。俊方は殺生は罪深いことだったと悟り、
出家して「金蓮」と名乗り、草庵をむすび地蔵菩薩を祀りました。
この草庵が大山寺の起源とされていますが、この説話が影響しているのか
現在でも、大山の周辺には石造りの地蔵尊が数多く見られます。
◆地蔵尊
後醍醐天皇が京へ帰る足がかり船上山の戦いで貢献した信濃坊源盛の功績を称え、
宮家御下賜金によって明治24年(1891年)に建てられたものです。
◆信濃坊源盛の碑
売買された牛の供養のために建てられたのが牛霊碑です。
◆牛霊碑
書道家、画家および詩人として名人であり、円流院の住職となった
嗒然(とうねん)の記念碑です。
◆嗒然の碑
大山寺の宝物館です。国の重要文化財の観音像4体、鉄製厨子をはじめ
多数の仏像などが展示されているようです。
◆霊宝館
大山寺内に現存する三体の「立像石仏地蔵」の1つで、江戸時代末期に作成されたものです。
◆弘化の大地蔵
日帰り温泉「豪円湯院」の向かい側に、昨年9月に開設された
「大山火の神岳温泉足湯」があります。
◆大山火の神岳温泉足湯
日帰り温泉「豪円湯院」の横に「餓しん地蔵」があります。
天保8年前後に、大飢饉で大くの亡くなったため、将来二度とこのような災難が
起きないように、祈りと弔いを込めて天保12年に建立されたものです。
◆餓しん地蔵
残っているのは本殿の礎石と鳥居が、江戸時代の社殿の面影を伝えています。
◆三宝荒神跡
大山寺に現存する寺院の中では最古の建築物になります。
寺伝によると貞観7年(865年)慈覚大師の創建と伝えられていますが、
現在の建物は山津波で倒壊後、天文21年(1552年)に再建されたと言われています。
◆阿弥陀堂 ※重要文化財
本尊は阿弥陀如来で両脇には脇侍の観音と勢至の菩薩が安置されています。
播磨国山崎藩(兵庫県西部)の藩主であった池田輝澄と妻の天性院の墓です。
◆殿様墓
承安の頃(約800年前)天台の密教をもって、天下に名を知られた高僧で
後に臨済宗を開いた栄西も師事し、密教の戒律を伝授されました。
◆基好上人の墓
鎌倉初期の武将佐々木高綱の等身地蔵です。
◆佐々木高綱等身地蔵
江戸中期、会見郡(伯耆国、現・鳥取県)の長者吉持甚右衛門が
経悟院住職豪堅に仲を持ってもらい寄進したものです。
◆吉持地蔵
◆金門地蔵
山岳信仰に帰依する修行道場として栄えた古刹を舞台に、3年ごとの5月、博労座駐車場から
大山寺参道、そして大山寺を舞台に繰り広げられる御幸(みゆき)は、古の装束をまとった
男たち、また煌びやかな御輿が参道を練り歩くこの地方独特の時代行列です。
平安時代に始まったと言われる大山寺の祈願法要で、地元の人からは「大山さん」と
呼ばれ親しまれるなど長きに渡り受け継がれてきた伝統行事です。
◆賽の河原から大山を望む
大山寺の地蔵菩薩は「牛馬守護の仏」とされ、農業神としても大山信仰が盛んでした。
また、大山寺参道麓の博労座では、江戸時代から牛馬市が開かれており、
明治時代には西日本一と言われるほどの盛大な牛馬市が開催されていました。
明治の中頃には年間1万頭以上の牛と馬が売買される、国内最大の市になるほど栄えました。
◆博労座駐車場
大山寺付近の広大な牧野周辺で開催されていた牛馬市が、享保11年(1726年)から
改革が始まり、組織や制度が整えられました。
大山寺境内の前方に広がる広大な草地が牛馬取引会場の博労座と定められ、
昭和12年(1937年)までこの場所で多くの牛馬の取引が行われました。
※上記画像は日本遺産 大山公式ホームページからお借りしました
◆大山
◆大山寺旧境内案内図
◆大山周辺マップ
<参考文献>
・大山寺公式ホームページ
・現地案内看板
・鳥取大山観光ガイド
・日本遺産 大山公式ホームページ
・開運おすすめパワースポット
・ウィキペディア