古代の人々は大山(だいせん)のことを

偉大な神のおわす山大神岳(おおかみのたけ)と呼んで崇敬していたそうです。

遥か昔から大山は信仰の対象して崇められてきた霊峰です。

大神山神社奥宮は古より続く大山信仰の中心にある古社です。

 

大山は、古くから神に捧げられた山として数多くの神社や寺院がありました。

大神山神社奥宮は、神仏習合であった大山寺において

地蔵菩薩の化身である大智明権現を祀った本社で、長く地蔵信仰を核とする

大山信仰の中心施設でしたが、明治初期の神仏分離によって

大山寺が解体された際に、大神山神社奥宮となり現在に至っています。

 

大神山神社奥宮への参道の入口は、大山寺の山門(仁王門)付近にあります。

◆一の鳥居

◆大神山神社 奥宮

鳥取県西伯郡大山町大山

【社格等】

式内社、伯耆国二宮、旧国幣小社、別表神社

【ご祭神】

●大己貴命(おおなむちのみこと)・・・大国主神、大穴牟遅神、出雲大社の御祭神、

【大神山神社の由緒】

大神山神社の「大神山(大神岳)」というのは大山の古い呼称です。

奈良時代に編纂された「出雲風土記」には、大山は大神岳と記載されており、

それ以前から信奉されていたことを物語っています。

元々は修験者が大山に登り、標高900mほどの場所に簡易な遙拝所を設けるように

なったのが神社としての始まりとされています。

平安時代には修験道場として著名な山となっていましたが、冬期は積雪により祭事に支障が

生じるため、山麓の地に社を建て、これを冬宮と称し、本来の大山の社を夏宮としました。

その後、三度遷宮して冬宮となったのが現在の大神山神社本社(里宮)です。

大山は神体山として大己貴命が鎮まるとされてきましたが、神仏習合が広まると、

当社は大智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とするようになりました。

その後、三院にして百八十坊の規模となり、三千人の僧兵を擁するようになりました。

「勝見名跡誌」には大山の大智明権現と因幡・鷺峰山の鷺岸大明神の仲が悪く

戦をしたとの伝承が記されています。

元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行っています。

明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(大山寺は後に再興)、冬宮を本社とし、

山腹の智明大権現の仏塔を廃し、本尊の地蔵菩薩も移され大神山神社の奥宮と改名されました。

現在、本殿には大己貴命(オオナムチ)が祀られています。

この一の鳥居をくぐると、その先に約700mの自然石を敷き詰めた石畳の参道が現れます。

また左手には何社かわかりませんが祠があります。

その右手には鎌倉初期の武将佐々木高綱の等身地蔵があります。

◆佐々木高綱等身地蔵

この杉の老木と岩とは、不思議なほど自然に調和しているので「和合の岩」と呼ばれています。

◆和合の岩

一の鳥居から約700m続く石畳は昭和初期に自然石を使って造られたもので日本最長の石畳です。

◆参道の石畳

江戸中期、会見郡(伯耆国、現・鳥取県)の長者吉持甚右衛門が

経悟院住職豪堅に仲を持ってもらい寄進したものです。

◆吉持地蔵

石畳の参道を外れて阿弥陀川の流れる河原の方へ少し歩くと賽ノ河原に出ます。

◆賽ノ河原から大山北壁を望む

何処が賽ノ河原なのか金門なのかわからなかったので画像はありません。

◆賽ノ河原

◆金門地蔵

金門から再び石畳の参道に戻り二の鳥居を抜けて奥宮へ向かいます。

◆二の鳥居

二の鳥居の両側には杉やブナの巨木の並木が続いています。

二の鳥居から少し歩くと御神水が湧き出る手水舎があり、その先にご神門が見えて来ます。

◆手水舎

この日は気温が高く登山で持参した水をほぼ飲み切ってしまったので

御神水をペットボトルに入れさせてもらいました♪

◆御神水

この広場の後方、森の中に西楽院がありました。

西楽院は慶長10年(1605年)頃に大山寺の本坊となりましたが、御成門、出家門、武家門の

三門を有し壮大な建物でしたが、明治8年(1875年)大山寺廃絶により建物の維持が不能と

なり院は徐々に崩壊しました。

◆本坊西楽院跡

この門は、大山寺本坊西楽院の表門にあったものが神社側に引き渡されたものです。

その際、そのままの向きで移転したため後向きの形となりました。

◆後向き門(逆さ門)

後向き門(神門)の横に手水鉢があります。

関東周辺の江戸狛犬を見慣れているので伯耆や出雲の狛犬を見るのは新鮮です。

◆狛犬

 

神門(後向き門)を抜け長い石段の先に奥宮(拝殿)見えてきました。

文化2年(1805年)に再建された奥宮の社殿は、正面の長廊が両翼約50mあり

西日本最大の権現造の建物で、神仏混交の様式を伝えています。

◆拝殿

御祭神は大己貴命(オオナムチ)で出雲大社の御祭神である大国主神(オオクニヌシ)の
お若いときのお名前です。大己貴命(オオナムチ)は「古事記」「日本書記」「出雲風土記」

などの神話に登場し、国造りをされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、

邪気退散の神様として有名です。

◆拝殿

現在、御祭神は境内にある下山神社にお移りされ、社殿の修復工事を行っています。

奥宮本殿の修復工事が終わり、元の本殿に遷座されるのは令和6年10月13日の予定です。

内部の柱等の金色は日本最大級の白檀塗りで彫刻や色彩壁画で囲まれています。

残念ながら建物内部は撮影禁止のため画像はありません。

この拝殿前の高台から神門(後向き門)にかけての長い石段は

大山の山頂からの風が社殿のある境内を通って神門へと吹き抜けていくため

奥宮屈指のパワースポットとなっています。

◆拝殿前から参道を望む

奥宮の周囲には、下山神社、弁財天社などの境内社が鎮座しています。

下山神社は、昔、大智明大権現の末社で、御祭神は備中浅口郡江原荘の

郡司・渡辺源五照政の霊を祀っています。

社殿は、文化2年(1805年)に再建されたものです。

◆下山神社 拝殿

◆狛犬

 

現在は大神山神社奥宮の御祭神である大己貴命がご遷座されており仮殿となっています。

◆下山神社 本殿

主祭神は宗像三女神(多紀理比売命、市寸姫比売命、多岐都比売命)を祀り、

山の神である大山津見神を相殿神として祀られています。

◆弁財天社

御祭神である大己貴命(大国主神)は、言わずと知れた出雲大社の御祭神ですが、

この大山の地を拠点として国造りを始めたという伝説が残っています。

◆大神山神社 奥宮 本殿

◆大神山神社 奥宮 御朱印

鳥取県にある標高1,729mの山で中国地方の最高峰です。

角盤山(かくばんざん)と呼ばれる他、伯耆大山、伯耆富士、出雲富士とも呼ばれています。

日本百名山や日本百景にも選定され、鳥取県のシンボルとされています。

◆大山

◆大山寺旧境内案内図

◆大山周辺マップ

<参考文献>

・大神山神社公式ホームページ

・現地案内看板

・鳥取大山観光ガイド

・トラベルjp

・ウィキペディア