6月4日(火)から2泊3日で予てから希望していた

出雲に一人旅へ出掛けました♪

今回の一人旅の目的は『私が死ぬまでに行きたいところ』にリストアップした

出雲大社と松江城、そして大山登山の3つをクリアすることでした。

 

特に出雲は『古事記』『日本書記』など日本神話ゆかりの場所が多いので

2泊3日の日程では全て周り切ることはできないので

何処まで周れるかは出雲の神様にお任せすることにしました(笑)

 

今回の旅行を計画した時、

最初に飛行機と宿泊先、そしてレンタカーを早割りで予約しました。

スケジュールを決めるうえで最優先に考えたのが天気でした。

特に大山登山と松江城は雨の日は避けたかったので

利用する空港は出雲縁結び空港ではなく、米子鬼太郎空港にしました!

旅行前日の天気予報では

4日(火)雨のち曇り、5日(水)晴れ、6日(木)曇りの予定でしたので

5日(水)午前中に大山へ登り、午後から松江城を周ると言う強行スケジュールになりました。

 

出雲旅行で周った場所と思い出を残したいと思ったので

日記形式のブログにしましたので宜しければお付き合いください。

羽田空港を9時10分発のANA383便で米子鬼太郎空港へ飛び立ちました!

約15分遅れて米子鬼太郎空港へ到着したときは小雨が降っていました。

当初の計画通り初日は松江近郊の神社を周る予定でレンタカーを借りてスタートしました!

◆米子鬼太郎空港

先ずはお腹を満たすためお魚で有名な境港でランチを食べようと思いました。

ネットで探したお目当てのお店は中野港にある『魚山亭』さんです。

◆境港 中野港

『魚山亭』さんで特上魚山丼を食べました♪

◆『魚山亭』さんでランチを食べたブログはこちらです

境港でランチを食べてから島根半島の先端に位置する美保神社へ向かう途中

男女(めおと)岩の辺りで雨がやみ、所どころに青空が見えて来ました♪

◆男女(めおと)岩

美保神社に到着したときには青空が広がっていました♪

美保神社は、出雲大社のご祭神である大国主神の御子の事代主命(えびす様)と

大国主神の后である三穂津姫命を祀っています。

日本神話ゆかりの神社でもあり「えびす様の総本宮」になります。

◆美保神社

こちらの神社で素敵な御朱印帳を購入しました♪

◆美保神社 御朱印

美保神社から次に向かったのが松江市内にある佐太神社です。

出雲国二ノ宮で、古くは出雲国三大社の内の1つとして「佐陀大社」とも呼ばれた古社です。

旧暦10月には出雲大社に集まった八百万神が次に訪れる社が、この佐太神社だと言われています。

◆佐太神社

佐太神社の境内にあるこのお墓は伊邪那美命(イザナミ)が葬られた

比婆山から遷座されたものと伝えられています。

◆母儀人基社(はぎのひともとしゃ)

◆佐太神社 御朱印

天気が回復したのでここから予定を変更して松江城へ向かいました。

松江城のお濠の北側に小泉八雲記念館や武家屋敷が並んで建っていますが

その並びに松江で人気の〝出雲そば〟の『手打 神代そば』さんへ行きました♪

13時30分頃に到着するとお店の人が暖簾を下げているところでしたが

何とかお願いして『手打 神代そば』さんで割子そばを食べることができました♪

◆『手打 神代そば』さんでランチを食べたブログはこちらです

本当に運が良く、初日に松江城を周ることができました♪

松江城は十八万六千石の城下町松江のシンボルです。

全国に現存する12天守の内の1つで国宝に指定されています。

◆松江城

最上階にある天守からは松江市街や宍道湖が360度展望することができます。

◆松江城 天守(国宝)

松江市街が広がりその向こうに宍道湖が見えます。

◆天守から南を望む

初日に松江城を周ることができたので以降のスケジュールが楽になりました♪

◆松江城 御城印

松江城内には松江開府の祖 堀尾吉晴、松江藩主の松平直政・松平治郷(不昧公)、

徳川家康を祀る松江神社が鎮座しています。

◆松江神社

◆松江神社 御朱印

松江城を回ってからホテルへ行く前に神魂(かもす)神社へ参拝しました。

神魂神社には伊弉諾神(イザナギ)と伊弉冉神(イザナミ)を祀っています。

日本最古の大社造りの社殿は国宝になっています。

◆神魂神社 社殿

◆神魂神社 御朱印

初日の最後に参拝へ行ったのが八重垣神社です。

素戔嗚尊(スサノオ)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時、

稲田姫命(イナダヒメ)を佐久佐女の森(現境内の奥の院、鏡の池がある森)の

大杉を中心に八重垣を囲って稲田姫命を隠されたところとされています。

◆八重垣神社

八岐大蛇を退治された後、須賀の里より戻って来てお住まいになったのがこの地になります。

稲田姫命の避難地であった当地に宮造りをされ、

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」と和歌を詠んだのも

この地になります。御歌の八重垣をとって「八重垣の宮」と呼ばれるようになりました。

◆八重垣神社 御朱印

今回の旅行で宿泊したのは松江城にも歩いて行けて宍道湖を望む

松江しんじ湖温泉『夕景湖畔すいてんかく』さんに2泊しました♪

伯耆富士と呼ばれる大山や出雲大社へも車で約1時間の距離でした。

露天温泉もあり1泊2食付きで13,000円の安さがこの宿に決めた理由です!

建物はかなり年季が入っていますがこの立地の良さが魅力です。

部屋は寝るだけなので宍道湖の見えない街側のお部屋です。

値段が安いのはそのためです(笑)

夕食も朝食もこちらの食事処「詩食味亭」で食べました。

◆詩食味亭

◆ホテルの「詩食味亭」で1泊目に食べたブログはこちらです

2日目は予報通りに天気が晴れたので鳥取の大山へ登山に行きました!

大山(標高1,709m)は中国地方最高峰の山で日本百名山にも選ばれています。

北西側からの姿が別名「伯耆富士(出雲富士)」と呼ばれています。

 

6月2日に山開きとなったばかりで天気も回復し絶好の登山日和となりました♪

夏山登山道入口から近い南光河原駐車場は既に満車となっていたので

少し戻った場所にある第4駐車場に車を停めスタートしました。

最高点は剣ヶ峰になりますが、弥山から剣ヶ峰に至る登山道が立入禁止になっているため

2番目に高い弥山(標高1,709m)が頂上となっています。

前日に訪れた島根半島の先端にある美保神社方面も綺麗に望めました。

下山途中に大神山神社の奥宮と大山寺を参拝してから駐車場に戻りました。

◆大山から北西(米子)方面を望む

大山の中腹に鎮座する大神山神社奥宮は、文化2年(1805年)に再建された

西日本最大級の権現造の建物で国の重要文化財に指定されています。

再建された当初は大智明権現(地蔵菩薩)を祀る大山寺の本社でしたが

明治初期の神仏分離令によって大神山神社の奥宮となりました。

◆大神山神社 奥宮

◆大神山神社 奥宮 御朱印

中国地方最高峰の大山は、天平5年(733年)の『出雲風土記』に

「火神岳(または大神岳)」として登場するなど、古くから神の宿る山でした。

神の宿る山にいつしか仏教が伝わり、地蔵菩薩への信仰か根付いていきました。

大山寺は養老2年(718年)に金蓮上人が始めたとされており、その伝説も残されています。

◆大山寺 本堂

◆大山寺 御朱印

大山から下山してから予想外だったのが大山寺参道のお店の殆どが

水曜日に定休日となっていたことでした。

下山後に予定していた日帰り温泉や手打ち蕎麦屋さんも休みだったのはショックでした!

◆大山火の神岳豪円湯院

大山周辺には食べるところがなかったので軽くでもお腹に入れようと

営業中のお店を探していると『大山時間Shop』がありました!

◆大山寺参道の『大山時間shop』さんでランチを食べたブログはこちらです

旅行中に利用した約安のレンタカーでトヨタのパッソです。

レンタカー代をケチったのでETCカードが使えず、ナビも更新されていませんでした(笑)

鳥取県の大山から島根県松江市の温泉ホテルへ戻る途中、

鳥取県南部町に鎮座する日本神話ゆかりの赤猪岩神社へ行きました。

兄弟の八十神に騙されて、真っ赤に焼いた大岩に潰されて命を落とした大穴牟遅神(大国主神)が、それを悲しんだ母神の力によって生き返ったとされる神話の舞台となった神社です。

◆赤猪岩神社

◆赤猪岩神社 御朱印

赤猪岩神社から次に周った先が初日に周る予定だったところで

松江市東出雲町に鎮座する揖夜神社です。

出雲国造家ゆかりの意宇六社の1社で式内社です。

この神社の近くには『古事記』『日本書記』に登場する黄泉比良坂があります。

◆揖夜神社

◆揖夜神社 御朱印

黄泉比良坂(よもつひらさか)は、日本神話において

生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂で

伊邪那岐神(イザナギ)が亡くなった伊邪那美神(イザナミ)に会いに行ったシーンと

大国主神(オオクニヌシ)が妻の須世理姫(スセリヒメ)と共に須佐之男命(スサノオ)から

与えられた試練を克服して根の国(黄泉)から脱出するシーンで有名な場所です。

◆黄泉比良坂

『古事記』によると、国生みを成し遂げたイザナギは、亡くなってしまった最愛の妻、

イザナミを泣きながら出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬ったと記されています。

明治33年(1900年)、宮内庁は神話に記された比婆山について大規模な調査を行いました。

その結果、岩坂陵墓参考地が特定されました。全国にイザナミの墓所とされる地は

数10ヶ所ありますが、ここ岩坂陵墓参考地が最も有力な候補地とされています。

◆岩坂陵墓参考地

出雲国には珍しく一の宮が2社存在します。

熊野大社は古くから出雲大社と並ぶ出雲国の大社として知られる由緒ある古社です。

◆熊野大社

 

◆熊野大社 御朱印

熊野大社の後に行ったのは日本神話の「八岐大蛇」ゆかりの須我神社です。

須佐之男神が八岐大蛇を退治した後、稲田姫との新居に相応しい場所を探して

辿り着いたのがこの地です。

心が清々しくなったと言われるので「スガ」を地名にしたとされています。

日本初の神社であり、和歌発祥の地という事で「日本初之宮」とされています。

◆須我神社

須我神社から2㎞程行ったところに八雲山の登山口があり、そこから400mほど

登った中腹に須我神社の磐座であり奥宮の夫婦岩が鎮座しています。

◆須我神社 奥宮(夫婦岩)

◆須我神社 御朱印

 

須我神社からホテルへ戻る途中に〝勾玉の里〟として有名な玉造温泉にも立ち寄りました。

神話に登場する少彦名命が発見したと伝えられ、日本最古の湯の一つに数えられています。

◆玉造温泉

三種の神器の一つとされる勾玉は、古くから魔除けの象徴して伝わり、

松江市を含む出雲地方は、勾玉の生産が盛んな地域でありました。

「玉造」の名前の通り、ここ玉造温泉でも勾玉作りが行われていました。

◆玉造温泉のシンボルである姫神像

嫁ヶ島は宍道湖で唯一の島で全長110m、幅約30m、周囲240mの小さな島です。

嫁ヶ島の美しい夕焼けは日本夕日百選に選らばれています。

◆宍道湖の夕景(嫁ヶ島)

◆宿泊したホテルでの食事(2泊目)のブログはこちらです

3日目の最終日、ホテルをチェックアウトしてレンタカーで出雲大社へ向かうと

約10分後にスマホが無いことに気が付き、急いでホテルに引き返しました(笑)

当初の予定通りに出雲大社へ到着しました。

 

神々の国と呼ばれる出雲国で、その象徴なのが出雲大社です!

出雲大社の正式な読み方は「いづもおおやしろ」と言います。

◆出雲大社

『古事記』『日本書記』に記されている国譲り神話ゆかりの神社で

出雲大社のご祭神である大国主神(オオクニヌシ)が

高天原の天照大御神(アマテラス)に国を譲られる物語です。

そのときに造営されたのが出雲大社の始まりと伝えられています。

◆出雲大社  拝殿

『古事記』では、大国主神の前に海の向こうから

「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」という魂が現れたシーンを表現した像です。

この幸魂と奇魂の「おかげ」を受け取ったことで、大国主神は

生き物が幸福になるための「縁」を結び「縁結びの神」になったと伝えられています。

◆むすびの御神像

出雲大社の神楽殿の大注連縄は、日本一の大きさを誇る注連縄で有名です。

◆神楽殿

◆出雲大社と神楽殿 御朱印

 

出雲大社の近くにあり、江戸時代後期の天明年間の創業で240年以上続く

出雲そばの店として最古の蕎麦屋と言われる『荒木屋』さんで割子そばを食べました♪

◆『出雲そば 荒木屋』さんでランチを食べたブログはこちらです

出雲大社の東側に出雲教(北島国造館)と書かれた宗教施設があります。

出雲大社の宮司(出雲国造)は南北朝時代まで一子相伝でしたが、

それ以降に千家と北島の二家に分裂しました。

明治初期の神仏分離令の頃に千家さんは出雲大社教を、北島さんは出雲教を設立しました。

北島国造館は神社ではなく、出雲教の神殿になります。

◆北島国造館(出雲教)

◆北島国造館(出雲教) 御朱印

 

『古事記』『日本書記』などの日本神話の舞台となった海岸です。

高天原の使者である建御雷神(タケミカヅチ/鹿島神宮のご祭神)が

この浜に剣を立てて大国主神と国譲りの談判をしたことでも有名です。

◆稲佐の浜

大国主神と高天原の使者である建御雷神(タケミカヅチ)がこの岩影で

国譲りの話し合いをした場所になります。

◆屛風岩

日が昇る東の伊勢神宮、日が沈む西の日御碕神社。

伊勢神宮が日本の昼を護る神社であり、日御碕神社は夜を護る神社です。

日御碕神社は、下の宮「日没宮」と上の宮「神の宮」という上下2社からなり、
両本社を総称して『日御碕神社』と呼ばれています。

◆日御碕神社

◆日御碕神社 御朱印

最後に立ち寄った神社が万九千神社(まんくせんじんじゃ)です。

出雲の神在月(旧暦10月)に八百万神がお集まりになり、

出雲で最後にお立ち寄りになるとの神話を今に伝えている神社です。

◆万九千神社(まんくせんじんじゃ)

◆万九千神社 御朱印

万九千神社の後にどうしても行きたかったのが出雲市にある御井神社ですが

帰りの飛行機の時間から逆算すると時間がなかったので米子鬼太郎空港へ向かいました。

ナビに従い車を運転していると、何と!道路に御井神社の案内看板を見つけたので

思わず矢印に従って御井神社へ参拝してきました♪

◆御井(みい)神社

『古事記』に記された大穴牟遅神(大国主神)の神話に登場する

八上姫神とその御子の木俣神にまつわる伝承のある神社です。

◆ご祭神の木俣神と八上姫神

この日は宮司さんが不在でしたが御朱印をご送付していただきました。

◆御井神社 御朱印

米子鬼太郎空港のターミナルビル2階にある海鮮居酒屋の

『海鮮問屋 村上水産 鮮魚部』さんで出発間際に食事をしました♪

◆『海鮮問屋 村上水産 鮮魚部』さんで晩ご飯を食べたブログはこちらです

米子鬼太郎空港から羽田空港へ飛び立つ滑走路から大山の山容が見えました♪

この日は朝からずっと曇っていましたが帰る直前頃から青空が広がりました。

今回の出雲旅行では初日から最終日までずっと出雲の神さまに歓迎されているかのように

天気にも恵まれ本当にラッキーなことが続きました。

トラブルもなく無事に東京へ戻ることができ本当に感謝しております。

<注釈>

このブログで登場する神様のお名前はそれぞれの神社で表記されているお名前を

記しています。簡単な説明は以下になります。

※イザナギは、『古事記』では伊邪那岐神、『日本書記』では伊弉諾と表記されます

※イザナミは、『古事記』では伊邪那美神、『日本書記』では伊弉冉と表記されます

※オオクニヌシは、多くの別名があります。一般的には大国主神ですが、大穴牟遅神、

 八千矛神、大己貴命、蘆原色許男、大国魂神などと表記されています

※スサノオは、『古事記』では須佐之男命、建速須佐之男命、『日本書記』では素戔嗚尊と表記