GWの帰郷の時、札幌から芦別へ向かう途中
夕張で「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」に立ち寄った後、
国道452号線を車で走っているとシューパロ湖の手前の左側に
三菱大夕張鉄道南大夕張駅跡があり、当時使用されていた
ラッセル車、客車、石炭貨車が保存されていたので思わず車を停めて見学しました♪
夕張市は、かつて日本を代表する炭鉱の街でした。
産出した石炭を室蘭港や小樽港に向けて積み出す運炭鉄道に端を発する鉄道が
市内を縦横無尽に大夕張炭礦専用鉄道二股駅として開業する走っていました。
しかし、1960年代にエネルギー政策が石炭から石油中心へと転換されると
炭鉱の街は徐々に活気を失い、人口減少とともに鉄道も消えていきました。
南大夕張駅跡は保存車両とともに近代産業遺産に認定されています。
保存されているラッセル車「キ1」と客車、石炭貨車は一般公開され
令和6年は4月21日(日)から11月初旬まで無料で公開しています。
「南大夕張」の駅名標も冬の間は外しておりGW前に取り付けたそうです。
子供の頃、雪が降るとこのラッセル車が雪を両側に飛ばしながら走る姿をよく見ました。
◆ラッセル式雪かき車 キ100形式キ1形貨車
◆ラッセル式雪かき車 キ100形式キ1形貨車
◆スハニ6形客車(スハニ6)
客車内は無人で自由に見学できるようになっていました。
客車内に一歩足を踏み入れると子供の頃に乗った記憶が蘇ってきました。
◆スハニ6形客車(スハニ6) 車内
木製の背もたれと肘掛けに壁、窓枠、ビニールの椅子、木の床など
懐かしさでいっぱいになりました。
荷物棚の網、白く丸い屋根と丸い照明。
大夕張炭鉱の開発に伴い、明治39年(1906年)に馬車鉄道が開通しました。
その後、炭鉱の発展により専用鉄道が敷設されました。
南夕張駅は明治44年(1911年)、大夕張炭礦専用鉄道二股駅として開業しました。
大正7年(1918年)、三菱鉱業に移管後労務係詰所を大夕張駅と称し、
昭和4年(1929年)、南大夕張駅に改称されました。
昭和20年(1945年)には南大夕張駅隣接の南部貯木場~下夕張の下夕張森林鉄道も開通し、
石炭だけでなく、木材の搬出にも活躍しました。
昭和48年(1973年)、南大夕張駅~大夕張炭山駅間の廃止により終着駅となり、
昭和62年(1987年)、三菱南大夕張炭鉱閉山を待たずに全線廃止となりました。
◆オハ1形客車(オハ1)と駅名標
スハニ6の車内とオハ1の車内はどちらも同じ仕様のように見えました。
◆オハ1形客車(オハ1) 車内
こちらの客車内へは入ることが出来ませんでした。
◆ナハフ1形客車(ナハフ1)
子供の頃、石炭が零れ落ちるほど山盛りに積んだ石炭貨車が毎日何往復も走っていました。
バケツを持って線路を歩くとすぐ石炭がいっぱいになりました。
◆セキ1形貨車(セキ1)・セキ2形貨車(セキ2)
石炭貨車の前には、旧三菱鉱業バスもありました。
残念ながら鍵がかかりバスの中を見ることは出来ませんでした。
◆三菱鉱業バス
◆南大夕張駅跡案内マップ
夕張岳を背景にした美しい風景のシューパロ湖の湖底には
閉山した三菱大夕張炭鉱で栄え、最大2万人が暮らしていた鹿島地区が水没しています。
◆シューパロ湖