今回は、古典落語の代表的な演目のひとつ「堀之内」の舞台となった

杉並区堀之内にある『妙法寺』を紹介します。

妙法寺は、江戸時代から庶民の〝厄除けのお寺〟として

堀之内の「おっそさま」と呼ばれており、

全国各地から数多くの人々が〝厄除け〟に参詣されていました。

 

◆参道入口(環七通り)

私も今年は還暦を迎えます。年男でもあり、そして本厄となります。

妙法寺にお参りをすることで厄除けをして来ました!

◆妙法寺

杉並区堀ノ内3-48-8

山号・・・日円山

宗派・・・日蓮宗

創建・・・元和年間(1615年-1624年)

開山・・・日圓

本尊・・・三宝尊

【妙法寺の由緒】

当寺の由来は、元和年間(1615年-1623年)の頃、元々は真言宗の尼寺でしたが、

覚仙院日逕上人は老母妙仙院日圓法尼の菩提のため、日蓮宗に改宗し、老母を開山とし、

日逕上人自らは開基第二祖となりました。

山号は開山日圓上人に因み日圓山とし、寺号を妙法寺と号しました。

当初は、目黒碑文谷の法華寺(現・天台宗円融寺)の末寺となりましたが、法華寺が

徳川幕府の圧力で天台宗に改宗させられたことにより、元禄12年(1699年)当寺は

身延山久遠寺の直末となりました。この折に法華寺から六老僧・日朗上人作の宗祖尊像

(除厄け日蓮大聖人像)を当寺に遷座されました。

この像は、弘年元年(1261年)に日蓮聖人が法難にあい伊豆に流された折、同行を許され

なかった日朗上人が、鎌倉由比ヶ浜に流れ着いた霊木に日蓮聖人の姿を刻んだものと

言われています。2年後に赦された日蓮聖人がこれをご覧になり、開眼したと伝わります。

伊豆法難のとき日蓮聖人は42歳の厄年だったことから「厄除け祖師」と呼ばれ、

庶民の信仰を集めました。11代将軍徳川家斉、12代将軍家慶が当書院に立寄って休息

されたことから、いっそう有名になりました。

現在でも厄除けなどのご利益を求め多くの人が参拝に訪れています。

 

古典落語「堀之内」の題材にもなるなど、街の顔にもなっています。

大正15年(1926年)妙法寺貫首により、東京立正短期大学、東京立正中学校、

高等学校が設立されています。

元々は中本山でありましたが昭和27年に本山(由緒寺院)に昇格しています。

 

◆妙法寺境内案内図

境内の南正面に建つ仁王門は、天明7年(1787年)に再建されたもので

上層部の回廊には獅子・龍・華などの彫刻が施されています。

◆仁王門(山門)

江戸消防記念会の開宗七百年記念碑が山門の横にあります。

鉄門・大玄関への入口にあたる門の前には狛犬が守護しています。

山門前には江戸の鳶組が寄進した常夜灯が並んでありました。

第4代将軍徳川家綱が妙法寺の地頭所の日吉山王社(日枝神社)に寄進したとされる

金剛力士像(仁王像)が安置されています。

◆仁王像

  

◆仁王門の彫刻

仁王門をくぐると、正面に妙法寺の中心となる祖師堂が見えます。

◆御札御守場

手水舎には、天明2年(1782年)第17世日研上人の時、渇水のために掘った

井戸の水が使われています。

◆手水舎

〝天明の水〟は、天明の時代から枯れることなく湧いている銘水です。

◆手水鉢

手水鉢には文政二年巳卯歳正月吉日と刻まれています。

祖師堂は本堂ではありませんが、「おっそさま」と呼ばれる

日蓮聖人の姿を彫った厄除け祖師像が安置されているお堂です。

◆祖師堂と常香炉

◆青銅製常夜灯

鐘楼には享保10年(1725)に鋳造された梵鐘があります。

大晦日から元旦にかけての除夜の鐘は、この妙法の鐘が界隈に鳴り響きます。

◆鐘楼

梵鐘には「鐘の音は妙法の声、鐘を打てば仏と一つになる」という意味の文字が

刻印されています。

◆梵鐘

大玄関前には、明治11年(1878年)に完成した国指定重要文化財の鉄門があります。

鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂などを設計したことでも有名な、日本の近代建築の父と

言われる英国人ジョサイア・コンドル氏の設計です。

大玄関の奥には「御成の間」があります。当寺がある堀之内はその昔、徳川将軍家の

鷹場の中にあり、妙法寺は将軍の休息をとる御膳所として使われていました。

◆鉄門と大玄関

◆寺務所

祖師堂は文化8年(1811年)に建立されたものです。

◆祖師堂

境内の南東隅にある額堂は、文化11年(1814年)に建立されたものです。

◆額堂

額堂内のオープンエリアには奉納された巨大な絵馬が掲げられています。

◆参拝者休憩所

◆祖師堂

祖師堂の向拝には「波の伊八」と呼ばれる江戸時代後期から昭和にかけて房総半島を中心に、

五代にわたり、寺社の欄門や向拝を彫った宮彫師の彫刻が施されています。

◆波の伊八の彫刻

祖師堂には「感應法閣」と書かれた扁額が掲げられていますが、

感應法閣とは、おっそさまの胎内という意味で、お参りをするだけで

「おっそさま」と縁を結び厄が払われるということだそうです。

◆祖師堂 扁額

◆祖師堂から仁王門(山門)を望む

堂内は、天井や壁が金箔で覆われており、迦陵頻伽(仏教で極楽または雪山にいるという

想像上の鳥)の彫物がありまさに絢爛豪華なたたずまいをみせています。

祖師堂の右側奥の屋根付きの渡り廊下の先には

文政2年(1819年)に建立された本堂(三軌堂)があります。

「三軌」とは、如来の衣・座・室を表し、法華経を信じ説く人の三つの心構えを表しています。

堂内には、宗の如水作の宝塔を中心とした十界諸尊像があります。

◆本堂(三軌堂)

本堂には「三軌堂」の扁額が掲げられています。

◆本堂 扁額

本堂の西側(祖師堂の裏手)を北(奥)に歩いて行きました。

◆日朝堂 手水舎

日朝堂は文政11年(1828年)に建立され、身延山第11世の行学院日朝上人を祀っています。

◆日朝堂

室町時代に日蓮聖人の遺文の整備や法華経研究などで多くの学業を成し遂げた日朝上人は

眼病を患うほど勉学に精進されたと言われ、回復後、ご自身と同じように眼病を患った人々を

救いたいと大願をたてたところから「学問と眼病の守護」としても崇められるようになりました。

◆日朝堂 扁額

二十三夜堂には、お月様を神格化した神様の二十三夜尊大月天王を祀っています。

◆二十三夜堂

お堂の前には狛犬が守護しているのは神仏習合の名残りが残っています。

◆狛犬

 

◆二十三夜堂 扁額

二十三夜堂の右手には浄行様が祀られています。

◆浄光堂

浄行様のお身体に水をかけて清めたり、自分の体の悪いところと同じところを

タワシでよく磨くと平癒すると言われています。

◆浄光さま

◆浄光堂 扁額

当寺院の第3駐車場(無料)に車を停めると、ここから境内に入りました。

◆裏門

裏門には「報恩」の扁額が掲げられています。

◆裏門 扁額

境内の裏手に作家の有吉佐和子の碑がありました。

◆有吉佐和子の碑

境内の奥に子育観音が南を向いて祀られています。

「南無観世音菩薩 念彼観音力」と唱えれば男の子も女の子もすくすく育つと伝えられています。

◆子育観音

◆千部講中石塔

◆髪塚

◆高祖日蓮大菩薩の碑

◆五重塔

祖師堂の真裏に2基の石塔が建っています。

この2基の石塔は、寛政年間の祖師堂再建築時に建てられたもので、

江戸期の妙法寺が講中に支えられてきたことを知ることができます。

◆千部講中石塔

環七通りにある妙法寺の参道入り口には、平成14年(2002年)に建てられた

高さ4.5mの宝塔があります。

◆宝塔

御朱印は祖師堂内でいただきました。切り絵の御朱印もありました。

◆御朱印見本

◆御朱印

◆古典落語「堀の内」のあらすじ

あわて者の熊五郎は、自分のそそっかしい癖を信心で治そうとして堀の内の御祖師様へ

お参りに行くことにする。道を間違えたり、自分が何処に行くのかを人に尋ねたり、

落ち着こうと他人の家に勝手に上がったりと、あれこれ騒ぎを起こしながらようやく

堀の内に辿り着く。

賽銭箱に小銭を投げようとして財布を投げ込んだり、弁当を出そうとするとかかあの

腰巻や枕が出てきたりと、ここでもトラブル続き。腹を立てながら帰宅してかかあに

怒鳴りつけるがそこは隣の家だった。

気を取り直して息子の金坊と湯に行こうとするが、金坊をおんぶしようとしてかかあを

おんぶしたり、湯屋の隣の床屋に入って服を脱ごうとしたりする。

湯屋に入っても粗忽な行動ばかり。「しょうがねえなあ」などと言いながら金坊の背中を

流そうとするがいつまで洗っても金坊の背中が途切れない。

金坊が「父ちゃん、湯屋の羽目板洗ってらあ」。

 

◆妙法寺周辺マップ

<参考文献>

・妙法寺公式ホームページ

・現地案内看板およびパンフレット

・日蓮宗公式ホームページ

・ウィキペディア