今年の8月に行った諏訪高島城のブログになります。

諏訪高島城は以前にも訪れていますが、

今回は御城印をいただきに約8年ぶりに訪れました。

 

諏訪高島城は、諏訪湖の南東に位置し、

最寄り駅はJR中央本線の上諏訪駅から徒歩10分、

車の場合は中央自動車道の諏訪ICで下りてから15分程度で着きます。

 

諏訪高島城は、日本三大湖城(松江城、膳所城、高島城)の1つと言われています。

慶長3年(1593年)、豊臣秀吉の臣下、日根野織部正高吉により築城され、

諏訪氏の居城してこの地の人々に愛されてきました。

築城当時は、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり堀の役目をつとめ、

別名を「諏訪の浮城」と呼ばれていました。

諏訪市役所の駐車場に車を停めて、お堀沿いに歩きながら

諏訪高島城への入口がある冠木門へ向かいました。

◆角櫓

高島城は、衣之渡川と中門川などの川を掘として、諏訪湖と阿原(沼沢地)に囲まれ、

繩手だけが城下町に通じていました。

◆高島城天守

冠木橋を渡ると正面入口の冠木門があります。

◆冠木橋と冠木門

当初は冠木門であったものが、後に楼門に建て替えられ、

名前だけが残されているようです。

◆冠木門

本丸は高島公園として整備され、本丸の石垣および北側と東側の堀が残っています。

◆高島公園(本丸御殿跡)

◆高島城本丸絵図

高島公園の中央には池があります。

この亀石は、元々 城内の庭園にありましたが、明治8年(1875年)廃藩の時に

城外へ移されましたが、平成19年、132年ふりに高島城公園に戻った由緒ある石です。

水をかけると、まるで亀が生きているようになり願いが叶うと云われています。

◆高島城亀石

高島城は桜の名所して有名です。

高島城公園には、ソメイヨシノを中心に約90本の桜が植栽され、見頃を迎えると

桜と天守閣が堀の水に映る光景が見られます。

現在の天守閣は、昭和45年(1970年)に復興されたものです。

天守閣に入るには有料になっており、大人310円、こども150円になっています。

天守閣の1・2階は郷土や高島城の資料室になっており、3階は展望室になっています。

◆天守閣

1階の郷土資料室には、毎週楽しみに見ていた大河ドラマの「武田信玄」で

湖衣姫役を演じた若かりし頃の南野陽子のポスターが貼ってありました。

高島藩主 諏訪氏の家紋は、「丸に諏訪梶の葉」です。

それは諏訪大社の神紋と深く関係しています。諏訪大社上社の神官は諏訪氏であり、

武士化してこの地を治めるようになったため、上社の流れをひき、梶の葉紋に丸の

ついた家紋が藩主の家紋となったようです。

最上階の3階からは、かつての城の堀の役目を果たした諏訪湖や、

天候が良ければ富士山や北アルプスを見ることができます。

◆天守展望台

現在は街の向こうに諏訪湖が見え、かなりの部分を埋め立てしたのかがわかります。

北アルプスの穂高連峰は雲に隠れて見えませんでした。
◆天守展望台から西を望む

この方角に見えるのが下諏訪になり諏訪大社の下社春宮と秋宮が鎮座しています。

◆天守展望台から北西を望む

◆天守展望台から北を望む

晴れていましたが、残念ながら富士山は見えませんでした。

◆天守展望台から東を望む

◆天守展望台から南を望む

◆藤棚

◆庭園

ここは、かつて御川渡門と呼ばれた門があった場所で、

城が湖に面した頃はここで湖の船に乗ることができました。

◆三之丸御殿裏門(川渡門)

明治33年(1900年)に諏訪招魂社として創建され、諏訪出身の英霊が祀られています。

◆諏訪護国神社

◆多門跡

◆持方月櫓跡

高島城の東側には築城当時からの堀が残されています。

◆持方月櫓跡からお堀を望む

本丸、二の丸、三の丸などの主要な郭をほぼ一直線上に連続配置した連郭式で、

諏訪湖と数条の河川に囲まれた、水を守りとする難攻不落の水城でした。

築城当時の石垣が、自然石を加工せずに積み上げた野面積でした。天明6年の

大掛かりな補修によって大部分は整備されましたが、現在でもその一部が残されています。

◆現在の高島公園

◆高島城御城印

◆諏訪高島城

天正18年(1590年)、当時の諏訪領主・諏訪頼忠が徳川家康の関東転封に

従って武蔵国へ移った後、豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉が諏訪に転封、

2万7千石を与えられ諏訪の領主となりました。

高吉は安土城や大坂城の築城にも携わった築城の名手です。

転封の翌年、天正19年(1591年)には既に城地の見立てと設計を終え、

翌文禄元年(1592年)に着工、慶長3年(1598年)に完成しました。

その後、関ヶ原の戦いで徳川軍に属した諏訪頼水(頼忠の子)は、

慶長6年(1601年)徳川家康の恩恵によって旧領諏訪に帰り藩主となり、

以後、10代藩主忠礼に至る270年の間、諏訪氏の居城としてその威容を誇りました。

しかし、明治4年(1871年)、廃藩置県により封建制のシンボルである城郭の

撤去が決定。明治8年(1875年)には天守閣の撤去が終了。

翌明治9年(1876年)、本丸跡が高島公園として一般に解放されました。

諏訪住民の高島城に寄せる愛着は強く、昭和45年(1970年)、天守閣が復興されました。

同時に、冠木門、角櫓なども復興されたほか、当時の石垣の一部も残るなど

今も往時を偲ぶことができます。

 

◆諏訪高島城周辺マップ

<参考文献>

・現地案内看板およびパンフレット

・ウィキペディア