鎌倉幕府初代将軍(鎌倉殿)源頼朝は、建久の昔(1190年代)

温暖な気候と風光の優れた三崎に3つの御所(別荘)を設けました。

「桜の御所」「椿の御所」「桃の御所」の三御所と呼ばれ、

現在、御所は残っていませんが、跡地はそれぞれ本瑞寺、大椿寺、見桃寺になっています。

 

「桜の御所」跡に建つ本瑞寺は、長い石段を登った小高い丘の上にあります。

◆本瑞寺 参道

◆本瑞寺

神奈川県三浦市三崎1-19-1

山号・・・海光山

宗派・・・曹洞宗

創建・・・応永元年(1394年)

開基・・・三浦義意

本尊・・・地蔵菩薩

【本瑞寺の由緒】

当寺は、北条氏に攻められて滅亡した戦国初期の三浦氏の菩提寺ですが、

元は海雲山(入舩の浪切不動堂の一帯)にありましたが、度々の類焼で

享保4年(1719年)に戦国初期の三浦氏の支城三崎城があったこの地に移されました。

三浦一族は鎌倉時代の宝治合戦によって北条氏により、その多くが滅ぼされました。

南北朝期に再興しますが、永正13年(1516年)、またしても後北条氏の北条早雲に

よって攻め滅ぼされました。

 

この山門は文政4年(1821年)7月に建立されたものです。

◆山門

三浦半島の最西南端に位置し海に囲まれた温暖な三崎らしく境内にヤシの木があり、

青い空とともに梅の香りを味わう素晴らしい風情です♪

ホトトギス派の俳人・松本たかしの墓がありました。

◆松本たかし墓所

近代美術の先覚者である岩村透の墓がありました。

◆岩村透の墓所

◆水子地蔵尊

桜の御所には頼朝だけではなく、二代将軍頼家や三代将軍実朝も訪れたと伝えられています。

◆本堂

◆本堂 扁額

◆大玄関

こちらで御朱印帳に御朱印をいただきました♪

◆庫裡

源頼朝はこの地に桜を植えて、城ヶ島に植えた桜と合わせて眺める

観桜の宴を催していました。

境内の鐘楼にある梵鐘とは別に、「康永3年(1344)甲申三月」の銘が入った

保存されています。

◆鐘楼

◆北門(裏門)

◆本瑞寺 御朱印

本瑞寺から西へ歩いて約10分のところに「桃の御所」跡に建つ『見桃寺』があります。

住宅街の中にあり、「鎌倉殿の13人 三浦一族ゆかりの地」のノボリがなければ

見過ごしてしまいそうでした。

入口の門扉から先には入る事ができませんでした。

◆見桃寺

神奈川県三浦市白石町19ー2

山号・・・紫陽山

宗派・・・臨済宗妙心寺派

創建・・・寛永5年(1628年)

開山・・・白室玄虎

開基・・・向井政綱

本尊・・・釈迦如来

【見桃寺の由緒】

当寺の開基は慶長18年(1613年)三崎船奉行の向井兵庫頭政綱が、

駿河国、興津の清見寺の僧・白室玄虎和尚を迎えて開山したと伝えられています。

桃林布袋尊は、当寺第7代住職の桃林和尚の信仰したもので、大きな袋を背負った

肥満鼓腹の温顔は、古くから近郷近在の人々に親しまれ、かつ敬われてきました。

この寺の墓地には、江戸初期お船奉行として東京湾の守備に当たった向井将監一族の

墓所があります。

『本瑞寺』から東に北条湾を回って徒歩9分、城ヶ島大橋のたもとにある『大椿寺』は、

源頼朝の三崎三御所の1つ『椿の御所』の跡であり、

北原白秋の居を構えた異人館が近くにあり、よく散歩に訪れていました。

◆大椿寺

神奈川県三浦市向ヶ崎町11-1

山号・・・金剛山

宗派・・・臨済宗妙心寺派

創建・・・建久10年(1199年)

開基・・・妙悟尼

本尊・・・十一面観音

【大椿寺の由緒】

当時、この御所には源頼朝の側室が住んでおり、庭内は椿の花で埋まるほどで

あったそうです。頼朝の寵愛を一身に受けていた側室が、頼朝の没後、尼となり

「妙悟尼」と称して、頼朝の菩提を慰め、30余年をここで過ごしたと伝えられて

います。

◆慈母観音

北原白秋が三崎を去って10年後に前田夕暮と再びこの寺を訪れたときの歌が

この寺が大椿寺ぞと入り来て 寂しと出でぬ日暮れを二人

◆本堂

本堂前には「鎌倉殿の13人 三浦一族ゆかりの地」のノボリがハタめいていました。

本堂には寺紋のササリンドウが掲げられていました。

御朱印帳に手書きの御朱印をいただきました♪

◆御朱印

大椿寺の境内で幼稚園を営なみ、子供たちの元気な声が響いていました。

◆椿の御所幼稚園

◆三御所周辺マップ

三崎三御所にゆかりのある歌人が北原白秋です。

大正2年(1913年)4月下旬、北原一家は東京からこの向ヶ崎に転居してきました。

「私等の新居はこの三崎向ヶ崎の浜にあった。時俗呼んで今でも向ヶ崎の異人館と

云うのがそれである・・・」と『雲母集』に書かれています。

北原白秋はここで6ヶ月暮らし、家族は東京へ白秋は妻と二人だけで見桃寺の一室へ転居しました。

寂しさに秋成が書読みさして 庭にいでたり白菊の花

見桃寺冬さりくればあかあかと 日にけに寂し夕焼けにつつ

◆北原白秋旧居跡(向ヶ崎)

<参考文献>

・現地説明看板

・鎌倉タイムス

・ウィキペディア