大国主神(オオクニヌシ)は、須勢理毘売命(スセリビメ)を正妻にし、

八上比売(ヤガミヒメ)と契りを交わし、新しく沼河比売(ヌノカワヒメ)

娶った大国主神(オオクニヌシ)は、これで妻は3柱になりました。

※ただし、八上比売(ヤガミヒメ)には逃げられましたが…

これからも大国主神(オオクニヌシ)は、どんどん妻を娶り、多くの子供をもうけます。

 

【原文】

故、此大國主神、娶坐胸形奧津宮神、多紀理毘賣命、生子、阿遲鉏高日子根神。

次妹高比賣命。亦名、下光比賣命。此之阿遲鉏高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。

大國主神、亦娶神屋楯比賣命、生子、事代主神。

亦娶八島牟遲能神之女、鳥耳神、生子、鳥鳴海神。

此神、娶日名照額田毘道男伊許知邇神、生子、國忍富神。

此神、娶葦那陀迦神、亦名、八河江比賣、生子、速甕之多氣佐波夜遲奴美神。

此神、娶天之甕主神之女、前玉比賣、生子、甕主日子神。

此神、娶淤加美神之女、比那良志毘賣、生子、多比理岐志麻流美神。

此神、娶比比羅木其花麻豆美神之女、活玉前玉比賣神、生子、美呂浪神。

此神、娶敷山主神之女、青沼馬沼押比賣、生子、布忍富鳥鳴海神。

此神、娶若尽女神、生子、天日腹大科度美神。

此神、娶天狭霧神之女、遠津待根神、生子、遠津山岬多良斯神。

右件自八島士奴美神以下、遠津山岬帯神以前、称十七世神。

 

◆出雲大社 むすびの御神像(島根県出雲市)

 

【書き下し】

故、この大国主神、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘命を娶して生める子は、

阿遅鉏高日子根神。次に妹高比売命。またの名は下光比売命。

阿遅鉏高日子根神は、今、迦毛大御神と謂ふぞ。

大国主神、また神屋楯比売命を娶して生める子は、事代主神。

また八島牟遅能神の女、鳥耳神を娶して生める子は、鳥鳴海神。

この神、日名照額田毘道男伊許知迩神を娶して生める子は、国忍富神。

この神、葦那陀迦神、亦の名は八河江比売を娶して生める子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神。

この神、天之甕主神の女、前玉比売を娶して生める子は、甕主日子神。

この神、淤加美神の女、比那良志毘売を娶して生める子は、多比理岐志摩流美神。

この神、比比羅木の其花麻豆美神の女、活玉前比売神を娶して生める子は、美呂浪神。

この神、敷山主神の女、青沼馬沼押比売を娶して生める子は、布忍富鳥鳴海神。

この神、若尽女神を娶して生める子は、天日腹大科度美神。

この神、天狭霧神の女、遠津待根神を娶して生める子は、遠津山岬多良斯神。

右の件の八島士奴美神以下、遠津山岬帯神以前を、十七世の神と称す。

 

◆糸魚川市の海望公園にある沼河比売(奴奈川姫)と建御名方命の像

【現代語訳】

大国主(オオクニヌシ)の神は、胸形の奥津宮に鎮座している女神

多紀理毘命(タギリヒメ)を娶ってお産みになった子は、

阿遅鉏高日子根神(アジスキタカネヒコネ)

次に妹、高比売命(タカヒメ)、またの名を下光比売命(シタテルヒメ)といいます。

この阿遅鉏高日子根(アジスキタカネヒコネ)の神は、

今、迦毛大御神(カモノオオミカミ)といわれています。

大国主(オオクニヌシ)の神がまた、神屋楯比売命(カムヤタテヒメ)を娶って

お生みになった子は、事代主(コトシロヌシ)の神。

また、八島牟遅能(ヤシマムヂ)の神の娘、鳥耳(トリミミ)の神を娶って

お生みになった子は、鳥鳴海(トリナルミ)の神。

この鳥鳴海(トリナルミ)の神が日名照額田毘道男伊許知迩(ヒナテルヌカタビチオイコチニ)

の神を娶ってお生みになった子は、国忍富(クニオシトミ)の神。

国忍富(クニオシトミ)の神が葦那陀迦(アシナダカ)の神、

亦の名は八河江比売(ヤガワエヒメ)を娶ってお生みになった子は、

速甕之多気佐波夜遅奴美(ハヤミカノタケサハヤジヌミ)の神。

この速甕之多気佐波夜遅奴美(ハヤミカノタケサハヤジヌミ)の神が、

天之甕主(アメノミカヌシ)の神の娘、前玉比売(サキタマヒメ)

娶ってお生みになった子は、甕主日子(ミカヌシヒコ)の神。

この甕主日子(ミカヌシヒコ)の神が、淤加美(オカミ)の神の娘、

比那良志毘売(ヒナラシヒメ)を娶ってお生みになった子は、

多比理岐志摩流美(タヒリキシマルミ)の神。

この多比理岐志摩流美(タヒリキシマルミ)の神が、比比羅木の其花麻豆美

(ヒヒラギソノハナマヅミ)の神の娘、活玉前比売(イクタマサキタマヒメ)の神を娶って

お生みになった子は、美呂浪(ミロナミ)の神。

この美呂浪(ミロナミ)の神が、敷山主(シキヤマヌシ)の神の娘、

青沼馬沼押比売(アオヌウマヌオシヒメ)を娶ってお生みになった子は、

布忍富鳥鳴海(ヌノオシトミトリナルミ)の神。

この布忍富鳥鳴海(ヌノオシトミトリナルミ)の神が、若尽女神(ワカツクシヒメ)

娶ってお生みになった子は、天日腹大科度美(アメノヒバラオオシナドミ)の神。

この天日腹大科度美(アメノヒバラオオシナドミ)の神が、天狭霧(アメノサギリ)の神の娘、

遠津待根(トオツマチネ)の神を娶ってお生みになった子は、

遠津山岬多良斯(トオツヤマサキタラシ)の神。

右の件の八島士奴美(ヤシマジヌミ)の神以下、

遠津山岬帯(トオツヤマサキタラシ)の神以前を、十七世(トオマリナナヨ)の神と称す。

 

◆大国主神の系図(十七世神)※青は男神、赤は女神、黄は性別不詳

【解説】

須勢理毘売命(スセリビメ)

 須佐之男命(スサノオ)の娘、大国主神の正妻

・八上比売(ヤガミヒメ)

 大国主神の最初の妻、正妻となった須勢理毘売命(スセリビメ)の嫉妬を恐れ、生まれた

 ばかりの子の木俣(キマタ)の神を残し因幡国へ帰ってしまいました。

  『先代旧事本記』では稲羽八上姫(イナバヤガミヒメ)と言う名で「因幡の白兎」で登場。

・沼河比売(ヌノカワヒメ)

 『古事記』では、八千矛神(大国主神)が高志国の沼河比売(ヌノカワヒメ)を妻にしよう

 と思い、家の外から求婚の歌を詠み、それに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚。

 新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主神と沼河比売との間に生まれた子が建御名方(タテ

 ミナカタ)の神とされています。

・多紀理毘命(タギリヒメ)

 天照大御神と須佐之男命の誓約によって誕生した「宗像三女神」のうちの1柱。

 『古事記』では別名を奥津島比売命(オキツシマヒメ)、『日本書記』では田心姫

 (タゴリヒメ)、田霧姫(タキリヒメ)と表記。

・神屋楯比売命(カムヤタテヒメ)

 親神や神格などは不明。ただし『先代旧事本記』では高津姫と言う名で宗像の辺津宮に

 坐す神と記されているので、多岐都比売命と同一神ということになります。

・鳥取(トトリ)の神

 八島牟遅能(ヤシマムヂ)の神の娘であり、大国主神の6番目の妻。

・十七世神(トオマリナナヨノカミ) 

 大国主神に連なる系譜の神々として『古事記』にのみ登場し、名義不詳、事績不明の神々で

 構成されています。十七世はその世代数を指していますが、総数は数えても15柱しか存在

 せず、なぜ十七世と形容するのかは不明です。

 

<参考文献>

・現代語訳 読みやすい古事記

・国学院大学「古典文化学」

・ウィキペディア