先日、昭和天皇のお墓がある武蔵陵墓地へ行って来ました。

今年2月に奈良県橿原市にある神武天皇陵(畝傍山東北陵)へ参拝して以来の

御陵(天皇や皇后など葬る所)めぐりとなりました。

御陵は奈良や京都などの近畿地方を中心に、北は山形県から南は鹿児島県まで

1都2府30県にわたりありますが、武蔵陵墓地は東日本で初めてつくられた天皇陵です。

昭和天皇陵が造営されてからは、多摩御陵、武蔵野御陵と別々に呼ばれていますが、

今でも総称として〝多摩御陵〟と呼ばれることが一般的です。

 

最寄り駅は、JR高尾駅北口・京王高尾駅から徒歩15分。

車の場合、八王子から甲州街道(国道20号線)を高尾方面に向かい

多摩御陵入口の交差点を右折し、直進すると武蔵陵墓地があります。

 

◆武蔵陵墓地 正門

正門を入って左側に無料駐車場があります。

◆駐車場

参拝可能な時間は9時~16時(参入は15時30分まで)までとなっています。

◆案内板

総門を入るとトイレがありませんので、事前に駐車場横にあるトレイを

済ませておいたほうがいいと思います。

◆武蔵陵墓地 総門

武蔵陵墓地には、大正天皇陵の多摩陵(たまのみささぎ)、貞明皇后陵の多摩東陵、

昭和天皇陵の武蔵野陵(むさしののみささぎ)、香淳皇后陵の武蔵野東陵の4陵があります。

この地(横山村)が御陵に選ばれた理由は、地震など地盤が強いことに加え、

万葉集に「多摩の横山」と詠まれたことなどと言われています。

「赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山かしゆかやらむ」 宇遅部黒女「万葉集」より

◆総門から表参道を望む

御陵までは正門から約500m~約600mあります。

墳丘の形式などは、伏見桃山陵(京都府伏見区)が参考にされたそうです。

◆武蔵陵墓地案内図

コロナ対策も施され柄杓は撤去されていました。

◆手水鉢

手水鉢の後方に緑に囲まれた美しい池がありました。

◆池

手水鉢の向かい側に建物がありましたが、敷地内へ入ることは出来ませんでした。

表参道を歩き御陵に向かいました。

参道は玉砂利が敷き詰められ、両側にケヤキや北山杉の並木が続きます。

◆表参道

多摩陵を造成したとき、京都から取り寄せた北山杉を植林したそうで

その北山杉が成長し、立派な杉並木が形成されています。

総門から3分ほど歩くと分岐があり、右手が昭和天皇陵がある武蔵野陵、

直進すると大正天皇陵がある多摩陵になります。

先ず初めに昭和天皇陵に参拝しようと思い武蔵野陵へ向かいました。

分岐を右折して少し歩くと正面に武蔵野陵(昭和天皇陵)が見えて来ました。

◆新参道

正門に武蔵野陵(昭和天皇陵)、その東(右)側に武蔵野東陵(香淳皇后陵)があります。

◆武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)

表参道から新参道を進み正面に昭和天皇の御陵である

武蔵野陵(むさしののみささぎ)があります。

◆昭和天皇 武蔵野陵

昭和天皇(第124代)。御名は裕仁(ひろひと)。

大正天皇の第一皇男子として明治34年4月29日誕生。

昭和64年1月7日、皇居で崩御(御年87歳)され、平成元年2月24日大喪の礼・大喪儀

(斂葬の儀)が行われました。

◆昭和天皇

陵形は上円下方で、大正天皇の多摩陵と同形です。

墳塋は上円部が3段、下方部が3段、総高8.75mとなっています。

「武蔵野」は、古く万葉集にも見られますが、昭和天皇は、御製にも「武蔵野」をお詠みになり、

またその自然を愛されたことで由縁があることから「武蔵野陵」と定められました。

香淳皇后陵である武蔵野東陵(むさしののひがしのみささぎ)です。

昭和天皇の武蔵野陵の東方に設けられたので武蔵野東陵と定められました。

◆香淳皇后 武蔵野東陵

昭和天皇の皇后。御名は良子(ながこ)、久邇宮邦彦王の第一王女として明治36年3月6日誕生。

大正13年1月26日皇太子裕仁親王とご結婚、大正15年12月25日皇太子裕仁親王(昭和天皇)の

即位とともに皇后となられ、昭和64年1月7日の天皇崩御の後は皇太后としてお過ごしでした。

平成12年6月16日吹上大宮御所で崩御(御年97歳)され、平成12年7月25日大喪儀(斂葬の儀)

が行われました。

◆香淳皇后

陵形は上円下方で、昭和天皇の武蔵野陵と同形ですが、規模が少し小さくなっています。

◆香淳皇后 武蔵野東陵

墳塋は上円部が3段、下方部が3段、総高6.25mとなっています。

武蔵野陵の参拝を終え、来た道(新参道)を戻り手前の分岐を右に進みました。

この分岐を左折(北参道)すると総門、直進(新参道)すると分岐に出ます。

私は右折(西参道)して大正天皇の御陵がある多摩陵に向かいました。

分岐から少し歩くと多摩陵に到着しました。

手前右に貞明皇后陵(多摩東陵)、その右奥に大正天皇陵(多摩陵)があり、

その奥へは入れませんでしたが、上皇と上皇后の御陵予定地があります。

武蔵陵墓地の一番奥に大正天皇の御陵である多摩陵(たまのみささぎ)があります。

万葉集などに出てくる「多摩の横山」及び日本霊異記・続日本後紀などに見られる

武蔵国の中心「多摩郡」にちなみ、「多摩陵」と定められました。

◆大正天皇 多摩陵

大正天皇(第123代)。御名は嘉仁(よしひと)。

明治天皇の第三皇男子として明治12年8月31日誕生。

大正15年12月25日、葉山御用邸附属病院で崩御(御年47歳)され、昭和2年2月7日・8日

大喪の礼・大喪儀(斂葬の儀)が行われました。

◆大正天皇

陵形は上円下方で、明治天皇の伏見桃山陵と同形です。

墳塋は上円部が3段、下方部が3段、総高10.61mとなっています。

貞明皇后陵である多摩東陵(たまののひがしのみささぎ)です。

大正天皇の多摩陵の東方に設けられたので多摩東陵と定められました。

◆貞明皇后 多摩東陵

大正天皇の皇后。御名は節子(さだこ)、公爵九條道孝の第四女として明治17年6月25日誕生。

明治33年5月10日皇太子嘉仁親王とご結婚、明治45年7月30日皇太子嘉仁親王(大正天皇)の

即位とともに皇后となられ、大正15年12月25日の天皇崩御の後は皇太后としてお過ごしでした。

昭和26年5月17日大宮御所で崩御(御年66歳)され、昭和26年6月22日大喪儀(斂葬の儀)が

行われました。

◆貞明皇后

陵形は上円下方で、大正天皇の多摩陵と同形ですが、規模が少し小さくなっています。

墳塋は上円部が3段、下方部が3段、総高6.25mとなっています。

◆武蔵陵墓地

参拝を終えると総門の横にある多摩陵墓監区事務所に御陵印をいただきに立ち寄りました。

◆多摩陵墓監区事務所

御陵は宮内庁が管轄しています。

御陵印とは、御陵に参拝した記念としていただける印のことです。

受付で御陵印をいただきたいと伝えると、

「ご自分で押されますか、こちらで押しますか」と尋ねられたので

御陵印帳を渡し、押印してもらいました。

◆受付

多摩陵墓監区事務所では大正天皇と昭和天皇の2つの御陵印があります。

御朱印と違い無料でいただけます。

◆御陵印

私の御陵印帳に大正天皇と昭和天皇の御陵印が記されました。

◆武蔵陵墓周辺マップ

<参考文献>

・現地案内看板およびパンフレット

・おもてなし八王子

・ウィキペディア