前回のブログでは、八千矛神(ヤチホコノカミ=大国主神)が、

新たな妻を探すため越国に出掛け、沼河比賣(ヌナカワヒメ)と歌を交わしましたが

今回は、妻の須勢理毘売(スセリヒメ)と交わした歌をブログにしました。

 

【原文】

又其神嫡后 須勢理毘賣命 甚爲嫉妬 故其日子遲神 和備弖

自出雲將上坐倭國而 束裝立時 片御手者 繋御馬之鞍 片御足

蹈入其御鐙而 歌曰

 

奴姿多麻能 久路岐美祁其遠 麻都夫佐爾 登理與曾比

淤岐登登理 牟那美流登岐 波多多藝母 許禮姿布佐波受

幣都那美 曾邇奴岐宇弖 蘇邇杼理能 阿遠岐美祁斯遠

麻都夫佐邇 登理與曾比 於岐都登理 牟那美流登岐

波多多藝母 許母布佐波受 幣都那美 曾邇奴岐宇弖 

夜麻賀多爾 麻岐斯 麻多泥都岐 曾米紀賀斯流邇

斯米許呂母遠 麻都夫佐邇 登理與曾比 淤岐都登理

牟那美流登岐 波多多藝母 許瓦與呂志 伊刀古夜能

伊毛能美許等 牟良登理能 和賀牟禮伊那婆 比氣登理能

和賀比氣伊那婆 那迦士登波 那波伊布登母 夜麻登能

比登母登須須岐 宇那加夫斯 那賀那加佐麻久 阿佐阿米能

疑理邇多多牟叙 和加久佐能 都麻能美許登 許登能

加多理碁登母 許遠婆

爾其后 取大御酒杯 立依指擧而歌曰、

 

夜知富許能 加微能美許登夜 阿賀淤富久邇奴斯

那許曾波 遠邇伊麻世婆 宇知微流 斯麻能佐岐耶岐

加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻母多勢良米

阿波母與 賣邇斯阿禮婆 那遠岐弖 遠波那志

那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯多爾

牟斯夫須麻 爾古夜賀斯多爾 多久夫須麻 佐夜具賀斯多爾

阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 多久豆怒能 斯路岐多陀牟岐

曾陀多岐 多多岐麻那賀理 麻多麻傳 多麻傳佐斯麻岐

毛毛那賀邇 伊遠斯那世 登與美岐 多弖麻都良世

 

如此歌 卽爲宇伎由比而 宇那賀氣理弖 至今鎭坐也 此謂之神語也


◆出雲大社 大国主神像

 

【書き下し】

又、其の神の嫡后 須勢理毘売命 甚だ嫉妬為たまひき

故 其の日子遅の神わびて 出雲より倭国に上り坐さむとして

束装ひ立ちし時に 片つ御手は御馬の鞍に繁け 

片つ御足は其の御鐙に踏み入れて 歌ひて曰はく

 

ぬばたまの 黒き御衣を ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 

はたたぎも 是は適はず 辺つ波 そに脱き棄て 鴗鳥の 青き御衣を 

ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 是も適はず 

辺つ波 そに脱き棄て 山県に 蒔きし茜舂き 染め木が汁に 染め衣を 

ま具さに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも 是し宜し 

愛子やの 妹の命 群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 我が引け往なば 

泣かじとは 汝は言ふとも 山処の 一本薄 

項傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 霧に立たむぞ 

若草の 妻の命 事の 語り言も 是をば

 

而して、其の后、大御酒杯を取り、立ち依り指し挙げて、歌ひて曰はく

 

八千矛の 神の命や 吾が大国主 

汝こそは 男に坐せば 打ち廻る 島の崎崎 かき廻る 

磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 

女にしあれば 汝を除て 男は無し 汝を除て 夫は無し 綾垣の 

ふはやが下に むし衾 和やが下に 栲衾 騒ぐが下に 沫雪の 

若やる胸を 栲綱の 白き腕 腕そ叩き 叩き愛がり 真玉手 

玉手指し枕き 股長に 寝をし寝せ 豊御酒 奉らせ

 

如比歌ひて、即ち盃結ひして、うながけりて、今に至るまで鎮まり坐す。

此れを神語と謂ふ

 

◆出雲大社 大神大后神社

須勢理毘売命を祀った出雲大社の摂社の大神大后神社

【現代語訳】

八千矛神(ヤチホコノカミ=大国主神)の正妻である須勢理毘売(スセリヒメ)は、

大変嫉妬深い女神でした。

そのため、八千矛神は煩わしくなり、出雲国から倭国に逃げようと旅支度を整え、

片手を馬の鞍に掛け、片足を鐙に掛けて歌にして伝えました。

 

黒い衣装をすっかりと着こなしてみたと思っていたが、

水鳥のように胸元を見るように袖を振ってみても、どうも似合わない。

岸辺に寄せた波が引くように衣装を後ろに脱ぎ捨て、

カワセミにも似た青い衣装をすっかりと着こなして袖を振ってみても、

やはり似合わない。

岸辺に寄せた波が引くように衣装を後ろに脱ぎ捨て、

山畑に蒔いた茜で染めた衣装を着こなして袖を振ってみると

これは似合うようだ。

 

愛しい妻よ、私が群れる鳥のように皆と共に去ってしまえば

あなたは泣かないと言うかもしれないが、

きっと山の一本のススキのように項垂れて、泣いてしまうだろう。

そのあなたの悲しみは、朝の霧のように立ち込めるだろう

我が妻よ。

 

須勢理毘売はその歌に対し

大きな盃を捧げて、八千矛神の傍に立つと、

八千矛神を留める歌を返しました。

 

八千矛神よ、私の大国主神よ。

あたた様は男でいらっしゃいますから

どこにあっても若々しい妻をお持ちになることでしょう。

しかし、私は女ですから、あなた様を除いて男は居ません。

あなた様以外に夫は居ないのです。

綾織の絹織物の帳の下で、絹の柔らかな寝具の下で

私の白い腕、沫雪のような柔らかい胸をそっと触れ、撫で、

玉のような私の手を枕にして、足を伸ばして休まれるといいでしょう。

 

淡雪のような白い胸を、白い楮の綱のような腕を

愛撫し絡み合い、

私の手を枕にして、足を伸ばしてゆっくりお休みになってくだされば

よろしいでしょうに。

どうぞ、この美味しいお酒をお召し上がりください。

 

そして、夫婦はすぐに盃を交わして、契りを交わして

互いの腕を首に掛け合って仲睦まじくされ、今に至るまで鎮座しています。

 

八千矛神が、須勢理毘売沼河比賣と交わされた歌を

神語(かむがたり)といいます。

 

◆春日大社 夫婦大黒社

日本で唯一、大国主神と須勢理毘売命の夫婦を祀っている社。

【解説】

八千矛神(大国主神)は恋多き神ですが・・・。

様々な女神との間に多くの子供をもうけており、

『古事記』『日本書記』『出雲国風土紀』などに記載されています。

子供の数は『古事記』では180柱、『日本書記』では181柱と記載されています。

古代日本では、女神が統治する土地が多く、女神と結婚することは

その土地を支配下に置くことと意味したようです。

そのために、大国主神は精力的に各地を巡ったとも云われています。

沼河比売(ヌナカワヒメ)との間には、建御名方神(タケミナカタノカミ)。

宗像三女神の次女の神屋楯比売(カムヤタテヒメ)との間には、事代主神(コトシロヌシ)。

この二柱の神も、このあとの国譲り神話で登場する大国主神の子神になります。

須佐之男命(スサノオ)の娘で正妻の須勢理毘売命(スセリヒメ)の心中は、

きっと穏やかではなかったと想像します。

しかし、各地で多くの子を儲けたことで、大国主神の国は盤石になっていきました。

ある意味で、国造りとなります。

 

<参考文献>

・現代語訳 読みやすい古事記

・やまとうた

・Anahita Style

・ウィキペディア