〝将門伝説〟東京の神社めぐり第五弾は、将門信仰の象徴的神社と云われる
ところから名前がついたと伝わる「築土神社」へ行って来ました
都営新宿線九段下駅から徒歩1分のところにあります
この神社は、過去に何度も社称を改称・移転を繰り返しています
京都でさらし首にされていた将門公の首を「首と胴を一つにしないと崇りが起きる」と
説得して首を取り戻してたと云います
平将門公終焉の地・下総国猿島郡(現在の茨城県岩井市)の神田山(かだやま)に
埋葬されていた将門公の胴体を掘り出して、首と一つに供養しました
ところが『御府内備考』その他の史料によると、950年首塚が鳴動し、異形の武将が
出現したため、別の場所に塚を築いて祀ったところ鎮まったと云います。
これが世継稲荷神社(千代田区九段北1-14-21)境内のここ筑土神社であり、
ここに第二次世界大戦まで将門公の首を入れた首桶が存在したと伝えられています。
◆築土神社 鳥居
現在の築土神社は、近代的な九段アイレックスビルに鎮座しています
参道の入口には、神社のシンボルとして「モチの木」が植えられています
◆築土神社
東京都千代田区九段北1-14-21
主祭神は天津彦火邇々杵尊で、平将門公、菅原道真公を配祀されています
創建は天慶3年(940年)、津久戸村(現在の千代田区大手町付近)の観音堂に
平将門公の首を祀り「津久戸大明神」として創建されました
江戸時代の文献によりますと、社内には平将門公の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが
安置されていたと云われ、数ある将門公ゆかりの社寺の中で、将門信仰の象徴的神社と
なっていました
明治に教部省の指示により将門公は相殿に格下げされ、現在は天津彦火邇々杵尊が
主祭神となっています
戦災で社殿が焼失するまで、将門公の首を納めたという首桶、将門公の肖像画(束帯姿)、
木造の束帯坐像等が社宝として伝わっていました
昭和20年4月、戦災により社殿とともにそれらは焼失し、現在は一部の写真が残るのみです
拝殿の装飾や絵馬などには、巴紋のほか平将門公に因んだ繋ぎ馬の紋が使用されています
創建時の祭神は平将門公で、武勇長久の神社として親しまれ、
千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもあります
安永9年(1780年)に元飯田町の氏子により奉納されました
千代田区内最古の狛犬です
◆狛犬の説明文
◆社殿
◆扁額
◆力石
◆社殿
◆世継稲荷神社(田安稲荷)
倉稲魂神を祭神として、嘉吉元年(1441)頃、飯田町に創建された稲荷神社です
当時はこの辺一帯を田安村と云ったことから、「田安稲荷」と称されていました
二代将軍秀忠が社に参内し「代々世を継ぎ栄える宮」と称賛し、これ以降「世継稲荷」と
<築土神社の歴史>
・天慶3年(940年)6月、江戸の津久戸村(現在の千代田区大手町付近)に平将門公の首を
祀り「津久戸明神」として創建されました
・文明10年(1478年)に、太田道灌が江戸城の乾(北西)、田安台に鎮守として社殿を
造営しました
以降は、田安明神、江戸明神と呼ばれた時期もあり、山王・神田明神とともに江戸三社の
一つに数えられました
・元和2年(1616年)に江戸城外堀の拡張により筑土八幡神社隣地(現在の新宿区筑土八幡町)へ
移転し、「築土明神」と呼ばれました
・明治7年(1874年)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称します
・第二次世界大戦の戦災による焼失(1945年)まで約300年以上の間、筑土八幡神社と
並んで鎮座していましたが、戦後、現在地へ移転しました
・平成18年築土祭では、安政6年(1859年)の神田明神以来、実に147年振りに神輿渡御行列
の江戸城入りを果たしています
〝将門伝説〟によると、筑土八幡神社には、将門公の足を祀ったという風説がありますが
確かなことはわかっていません
<筑土八幡神社>
東京都新宿区筑土八幡町2-1
祭神:応神天皇、神功皇后、中哀天皇
筑土八幡神社は嵯峨天皇の時代(809年-823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった
老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であると云われています
その後、円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を立て(850年前後)、伝教大師(最澄)の
作と云われた阿弥陀如来像をそこに安置したと云います
元和2年(1616年)にそれまで江戸城田安門付近にあった田安明神が筑土八幡神社の
隣に移転し、築土明神となり、約300年以上の間、並んで鎮座していました
その後、1945年に第二次世界大戦による戦災で全焼し、
築土明神の方は千代田区九段北に移転し、築土神社として現在に至ります
八幡神社の方は現在でも当地に鎮座しています
◆鳥居
石造りの明神型鳥居で、享保11年(1726年)に建てられた新宿区内最古の鳥居です
◆筑土八幡神社 境内
◆庚申塔
庚申塔は寛文4年(1664年)に奉納された舟型(光背型)の庚申塔で
高さ186cm、太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔です
三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が
きわめて珍しいと云います
ご祭神は宮比神で大宮売命、天細女命とも云われてます
古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったもので、明治40年に現在地に
1.将門の首塚
2.神田神社(神田明神)
3.兜神社
・築土神社公式ホームページ
・千代田区観光協会ホームページ
・宮元健次「神社の系譜」
・ウィキペディア