83歳の母と二人暮し | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

先の日曜日朝、田舎に1人で住む母を迎えに行った。

妻が長女の出産の為にワシントンに行っている間、私が1人で自炊しながら暮らしていることに、いろいろ心配して、自分が行って、助けてやらねば といったところなのだが、準備周到な母だから、妹曰く、迎えに行く3日も前から、きちんとこちらに持参するものは用意したあったそうな。

実は、私が工房に来ている間、自宅で1人で居るのだが、前にも書いたように、83歳の母は耳が遠い上に、足腰もおぼつかない。外を歩く時には老人車が欠かせない。
重いものは一切持つことが出来ないし、それどころか箸さえも落とすことがある。
おまけに、狭心症という、性格と微妙な関係のある心臓発作を持病としている。もちろんニトロ持参だ。

私の帰る時まで、何かあったらいけないので、家の中で1人で過ごしている。玄関の引き戸の鍵がきつくて弱い握力では、鍵を回せない為、そう約束してある。

私は、仕事をしながらも、母の様子が気になり落ち着かない。

今頃、何をしているのだろう・・・。テレビをつけても、音が聞こえないので、おもしろくないらしい。
実家の母のテレビは字幕が出るのだが、我が家のテレビは古いし、BSも映らないのだ。

日曜日と昨日の夜、母と2人で過ごした。

スカイプでワシントンの嫁にも孫夫婦にも曾孫にも会った。

便利な時代になったと、ひとしきり感心し、今の世の中の便利さに感謝したり、「ついていけん」と嘆いたり。

しかし、驚いたことに母は、しんんみりとこんなことも言った。

「こんなに便利になって、長生きさせてもろて、年金を死ぬまで貰ろて、病院で貰う薬も格安やし・・・。」役に立たん身体で、生かされているんやから、若い人には申し訳ないなぁ・・・。」と言った。

さらに、「長生きさせてもろてることには感謝せなあかんけど、長生きして何をせい言うんやぁ? この身体さえまともやったらまだまだ何でもできるんやけど・・・・もう、あかんわァ・・・。」

革新的な科学技術や医療の進歩に、この先、人間がどこに向うのかといったようなことも言っていた。

ちょっと前に私がこのブログで書いた「大いなる意思」の存在を考えさせるようなことも言っていた。

自力で買い物にいけないので、たいした物はできないが、冷蔵庫の中に入っているものでいろいろ作ってくれる。

「醤油はかけるな」「塩分は控えめ」「野菜を食べろ」相変わらずうるさい。

ここのところ、忙しくて何年も故郷で泊まったことがなかったが、一晩で、何十年も前の母親と息子に戻った。

想ってくれるのはありがたいが、やはり、いざ、一緒に過ごしてみると、43年のギャップは凄い。
いや、私は、15歳から、別棟の離れで暮らしていたから、46年も前に母とは一緒に暮らしていないことになる。

お互いの生活リズムが合わない。

旨かったはずの、お袋の味が・・・・いまひとつ。 私の好みをまったく忘れている。

B型の母は自分勝手なリズムで、A型の私の面倒を見てくれている・・・。

今度の日曜日まで、母と私と二人暮しだ。 正直、ちょっと疲れた・・・。

今日も、ちょっと早めだが、買い物もあるし、そろそろ帰ることにしよう。