クリスマスの頃 No2 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

オードリー・ヘプバーン

 


クリスマスと聞くと幼い頃のある光景を思い出します。

我が家の座敷の縁側に一枚だけ干してあった大きなズロース。ポパイのオリーブが穿いていたあれです。
そのズロースが昼間の前栽を背景に逆光でシルエットとなっていたのです。

縁側に洗濯物が干してあるという我が家では見慣れない光景だったのです。

私の故郷は近江の国は五個荘(現東近江市五個荘町)。近江商人の出身地として有名(なのかどうか知りませんが)、繖笠山の西は信長が築城した安土。
その安土桃山時代には、時の権力者信長の庇護を受けたキリスト教が栄えた土地柄でもあります。

その流れか、安土付近には宣教師や修道女(シスター)が多く住んで活動していたようで、その名残なのか、昭和30年~35年頃には、クリスマスが近くなると、広場に大きなテント小屋が建ち、臨時教会としていました。

そのテントの中に子供たちを集めて、いかにも清楚で美しい(尼僧物語のオードリーのようなというには言い過ぎと思いますが)修道女(シスター)たちが、キリストの誕生について、紙芝居やら幻灯(今のスライドのようなもの)やらを駆使し、なんとも優しくて清らかなお声でキリストさんの話をしてくれました。

どんな方法で我々を集めたのか記憶はありませんが、家々にチラシでも入ったのでしょうか、近所の男のガキどもと早めに出かけ、帰りに貰える駄菓子に期待し、一緒に席を陣取り、その聖なるキリスト誕生のお話を聞くのです。

キリスト教の布教は、このように全世界の未開の地で物量作戦で広めていったようですが、この日本では、キリストも八百万の神々のお一人となられたわけですから、イエズス会、ちょっと計算違いだったかもしれません。

話が逸れましたので戻します。

大きなテントの中は暖房があって暖かいのですが、やはり真冬です。シスターのお話も佳境に入った頃、たくさんの子供たちで埋まった後ろの席がざわざわと騒がしのです。入口に近いので冷えたのでしょうか、幼い女の子がおしっこを漏らしたらしいのです。
あまりにザワザワが続くので薄暗い後ろを振り向くと、そのおしっこを漏らした女の子というのは、近所のお姉さんたちと一緒に来た私の3歳年下の妹だったのです。私は小学校の4年生ぐらいだったのでしょうか・・・・。

妹が周りに迷惑をかけている・・・と、認識するや、私はとっさに他人の顔を決めこみ、一緒に連れて来て貰った高学年のお姉さんたちに「よろしくお願いします」と心で願い、良く言えば、その事件の処理を委ねたのを覚えています。

悪く言えば、他人の顔をして、知らないフリをしたのです。悪い薄情なお兄ちゃんでした。

でも、ちょっと言い訳をさせてもらいますと、ほんとうは妹の居る処まで駆けつけ連れて帰ろうと思ったのです。
でも、前に座る私から妹たちの居る後ろの席まで、他の子供たちでギッシリ。足の踏み場もなかったのです。

キリスト誕生のお話も佳境に入り雰囲気を壊すわけにはいかなかったのです・・・。

そんなことで、妹のその後のことは、お隣のお姉ちゃんに任せて、たくさんの駄菓子を貰い、寄り道をしながら、すっかりそのことを忘れ、何もなかったように家に帰ったのです。

そこで、目に入ったのが、その座敷の縁側に干してあった真っ白で大きなズロース。

幼い少年の私にも、その大きなズロースが、今日の出来事から察してあの修道女のうちの誰かのだと理解できたのです。

妹はその小さな体に大人の女性の穿く大きなズロースを穿かせて貰い、家に帰ってきたようです。

すぐさま、お袋が洗って干していたということです。

優しい目線の清楚で美しい大人の女性の穿いていたズロースを目の前にした小学校4年生の男の子は、オスとしての初めての何ともエロチックな感覚を覚えたのです。

これが私の幼い頃のクリスマスの不謹慎な淡い思い出・・・なのです。