京の走り坊さん | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

先日、左京区の「大蓮寺」 に「走り坊さん」の絵を描いた。
 

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今日の夕刊に、その軸の完成記事が載った。

奇しくも、我が長女の最初の子供の臨月、つまり私の初孫がもう直ぐこの世に出てくることになっている。

この走り坊さん、たいした人で、京都中の妊婦にお守りを配って年がら年中走っていたという。
以下に京都新聞の記事から抜粋し、それを転載しておく。

『明治、大正時代に墨衣で京を駆け回った「走り坊さん」をイメージして描いた掛け軸(京都市左京区・大蓮寺)  お坊さんが走り回るほど忙しいとされる師走。約100年前の京には実際に、墨衣にずた袋を提げて市中を駆け回る「走り坊さん」が、大蓮寺(京都市左京区西寺町通二条下ル)にいた。安産のお守りを届け、もらった米は貧しい人に配った。
 名前は籏玄教。1890(明治23)年、18歳の時、当時は下京区五条通西洞院にあった大蓮寺に来た。寺男として寺の使いや安産のお守りを妊婦に配るために市内を駆け巡るうちに、「走り坊さん」と市民の人気者になった。

身長は143センチ。1年中、背中に番傘を担ぎ、右手に扇子を持って調子をとって駆けた。1日に15里(約60キロ)を走り、酒が好きで雑煮のもちは70個も食べた…。

 1918(大正7)年、流行性感冒で亡くなった時は新聞が大きく報じ、葬儀では老若男女の参列者が絶えなかったという。 』

と、いうことだ。
何かのご縁でこの走り坊さんの絵を描くことになったが、走り坊さんにあやかり、予定日を27日に控えた長女も無事出産を終え、初孫も健康でこの世に産まれてくる・・・と、信じている。