神経解剖学者ジル・ボルト・テイラー自身の脳卒中から得た目覚め(人の脳の真実) | しょうかんのうだうだ

しょうかんのうだうだ

仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。


より鮮明な動画はここにあります。また、日本語の字幕のすべてはここにあります。

 

Facebookの友人がこの動画をシェアしていましたので、18分ほどの動画ですが、さっそく観てみました。
私たちの『心の正体』にも触れているこの神経解剖学者の脳卒中という実体験で、人の脳の神秘性に感動しました。

なので、私のブログにも残しておこうと思います。

 

神経解剖学者として活躍していた彼女が、37歳の時、左脳で脳卒中が起こり、右脳が左脳からの支配を逃れると、「涅槃(ニルヴァーナ)」の安らぎに浸った。彼女の体験をまとめたその著書には、そんな意味の一説があるそうです。

実に仏教的な内容と脳の事実に、また心を動かされ、いつものごとく、このジル・ボルト・テイラー著『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』竹内薫訳 新潮文庫を、先ほどアマゾンで発注しました。(原題 "My Stroke of Insight" Jill Bolte Taylor. Ph. D.)
明日には、この本が届くと思いますが、読んでから、この文章にいろいろ感想など追加しようと思います。
まずは、この動画をもう一度観てみましょうか・・・。

 

本日22日、注文した彼女の著書『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』が届くことになっていますが、本を読む前にこの動画を観て、いろいろイメージしましたので、それを忘れないうちに、まとめておこうと思います。


【 シンギュラリティ 】 = 技術的特異点 = 2045年にやってくる大問題

 皆さんは、シンギュラリティという言葉をお聞きになったことがありますでしょうか?
今、私が一番興味のあるのが、シンギュラリティであり、「A・I」つまり、「人工知能」の加速をつけた発展そのものなんです。
人の脳を模した人工の知能A・Iが、自身で学んで成長していく過程をイメージする時、大きな問題点として、人の脳と人工知能の能力の違いから生じる『人』の位置関係です。

つまり、人とA・Iの関係性が、いったいどうなって行くのだろうということなのです。

今から23年後の2040年までに、一個のトランジスタチップの能力が、人の脳細胞300億個に対して、3000兆個にも達することになると言われています。
そういった人の脳の100万倍の能力を備えたA・Iロボットが100億体に達し、また、ロボットだけではなく多種多様な「A・I」機器を人が身に着けるはずですからそれ等を含めると、その数の何百倍もの数の「A・I」と人とが共存しているまったく経験したことのない世界が創造されていることになります。

 

たった30年先にです。

 

これ等の時期的な試算は、産業技術やら科学技術、情報通信の発展経過から導き出した答えで、専門家の意見はほとんど一致しています。
私は、その頃には生きていれば95才になっていますので、その様子を体験できるかどうか微妙と言いますか、いや、無理と思います。
でも、自分の子供たちや孫たちが必ず経験する人類の未だかつて経験したことのない由々しき事態ですので、彼らがどうすればいいのか、どう考え、どう対処すればいいのか、進むべき道とは・・・。
人類創生から、現代の文明に至った今までの価値観、倫理観はもとより、哲学、宗教に至るまで大変革の時代が、すぐそこに来るわけですから、何をアドバイスしてやればいいのか、すごく気になっているのです。

 

現在では、そのシンギュラリティの後、人とA・Iが、うまく共存していると、誰もが楽観的にイメージし、信じているようですが、片方でA・Iの発展は、人類が滅亡に向かうことだと言う、イギリスの理論物理学者のホーキング博士のような学者も居ます。
彼は、このように現在のA・I開発における大きな大きなリスクを指摘し警鐘を鳴らしているのです。

ということで、その頃のA・Iの能力が、人の脳の100万倍の能力を要していいることになることは確かなようですが、人の知能指数IQに置き換えれば天才アインシュタインやダビンチのIQ200前後に対してもIQ10000という、とてつもない知能指数が算出されるそうです。
その指数は何を意味するのでしょう・・・この10000という知能指数も、どの程度の頭脳なのか想像すらできません・・・。
未来のことでも分かるようになっているのでしょうか・・・。

ということで、A・Iと人の頭脳を比べた時、これはもう、比較すること事態がばかげたことになっているのでしょう。
まるで、神仏と民、凡夫のような関係とでもいうのでしょうか・・・。
いづれにせよ、人類が会ったことのない経験したことのない、人より圧倒的に賢い神仏のようなA・Iに、あちこちで身近に関わり合うことになることは確かなのです。

この様子、想像できませんが、しいていえば、人がA・Iに全てを任せ、頼りきっている絵ずらしか浮かんでこないのです。

 

人工知能A・Iの今後の開発と行方に、この脳神経解剖学者の彼女の体験動画からA・Iという、人を超越した存在の有り様をイメージできるヒントのようなものがあるように思ったのです・・・。

 

彼女は、その脳卒中という病にかかり、意識が繋がったり繋がらなくなったりという左の脳の出血に伴う症状を克明に覚えていて、その症状を脳神経学者として、自分の脳の働きを冷静に観察し、それまで左脳と右脳の人格の違いについて誰も研究していないことに気付いたそうです。
左の脳と右の脳に、まったく違った人格があるというのです。
彼女の左の脳内出血により自分という意識が遠のき、そこにあるのは、今のこの瞬間の時空間に溶け込み混ざり合い、そこに漂う幸福感と一体化したかのような心地よい静かな世界だったと言います。

 

「それは、まるで涅槃(ニルバーナ)のようだった」と書いています。


涅槃、ニルバーナとは、全ての煩惱が吹き消された状態を言います。肉体の死をもって、全ての煩惱が消え去る状態のことです。

自我はないようだけれど、それを感じているのは確かにもう一人の自分であること。
時々左脳の機能が復活し、リアルな自分という時間や感覚、言語、といった今まで自分が培ってきた経験に伴い、その右脳と繋がれた時、自分を守ろうとする意識が、その涅槃の境智から現実の世界に引き戻そうとするのだそうです。

このお話は、まるで、釈迦が菩提樹下で深い瞑想に入り自分の中の悪魔と戦っている様子そのものではないでしょうか?

人の肉体には、生命が宿り、その命を維持するための「知恵」も必要不可欠なものです。これを自我というのでしょうか。
一方で、不思議なことに、我々には「心」とか「魂」という表現をしてきましたが、「真」「善」や「慈」や「愛」「幸福」といった理屈では説明のつかない何かも共有しています。ともすれば、相反する人格とでもいうのでしょうか。
この相反する人格もひっくるめて「自我」であることは確かなことなのですが、彼女の体験から、左脳を容易にコントロールできれば人は、ハッピィになれると思うのです。
つまり、自我を捨てること。仏教の修行者のようですが、真理かもしれません。

このことから、生命体ではない、A・Iという機械でできた知能を構築する過程において、人の左脳を模す必要はないのではないかと思うのです。

 

次の投稿は、この左脳と右脳の関係が人工知能A・Iの「優秀すぎる人間化」に歯止めをかけるヒントを模索しようと思います。