狭窄は、心臓に負荷をかけないと気付かない | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

善峯寺の阿弥陀堂と書院
善峯寺の阿弥陀堂と書院(2014年撮影)

 


今回の経皮的冠動脈カテーテル形成術を何故受けることになったのか、よく聞かれますので、自分の為にも、また同じような世代の方の為にも、振り返りながらまとめておこうと思います。

3年ほど前から、雨さえ降っていなければ車での通勤はやめて、自転車で7Km離れた工房まで通っていました。
自宅を出るとすぐ、ひと丘越さなければならないのですが、これがけっこう頑張らないといけない登り坂なんですが、一昨年の秋に買った電動自転車ですと難なく、ちょっと力を入れるだけで登れたのです。
ところが昨年の秋ごろから、電動自転車でもその坂がきつく感じられるようになったのです。

私の日常は、仏画を描いている以外は、ほとんどPCの前に座って、ペンタブレットで描画しています。
大作でない限り、どちらもまず、ほとんど動きません。

万歩計を身に着け、車で来た日には、220歩しか歩く必要がないという、まるで病院生活のような、そんな環境で毎日を過ごすのが日常だったのです。

というわけで、車での通勤回数が増えるようになり、秋の終わりごろには、好きだった自転車通勤もしなくなりました。
その頃は、まだ年のせいだと思っていたのです。

私は、4月から12月まで9ヶ月間、2週間に一度、善峯寺で仏画教室の講師を勤めさせていただいています。
善峯寺の境内は西山の高低を利用し、立体的に構成されています。
この善峯寺教室の会場は、その境内の中腹にある阿弥陀堂の横にある大書院です。

講師の私は、お参りの方々と違う急な坂道を登って会場に行くのですが、この坂がなかなかきつく若い頃(といっても50歳台)には一気に駆け上がることができたのですが、特に最近では一度の休憩が2度になり、3度になり、胸に痛みまで感じるようになり、なかなか会場まで到達できないという情けない状態でした。
心の中では、「来年度は、もう教室も辞め、講師も引退する時期かも・・・」と思っていました。

いやいや、老いのせいと思うにはまだ早い。まだ65歳。

65歳でも元気な人は元気なのです。

そんなことで、ついに、お世話になっている医師に、カテーテル検査を薦められることを覚悟して、そのことを相談したのです。

もし、善峯寺の急な坂を無理して登る必要がなかったら、心臓に負荷をかけていなかったら普通に生活できていたわけですから、まったく心臓血管の狭窄に気付かなかったはずです。 

いづれ、心筋梗塞で倒れていたかもしれません。

やはり、善峯寺の観音様や阿弥陀様が忠告してくれたのかもしれません・・・。合掌、感謝!