今年の正月休みは『長谷川等伯』のお勉強三昧です。 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

松林図-等伯
長谷川等伯筆 松林図屏風(国宝 東博蔵)

 


 2017年1月3日も半日過ぎました。
1日には昨年7月に結婚した長男夫婦が、今年も毎年と変わらず、正月なのに一人で工房に居る私のところに挨拶をしに来てくれ、3人で近くの松尾大社に一緒に歩いて初詣でしました。
元旦は穏やかな良い天気で、ダウンのコートを着ると汗ばむほど暖かい日で、お詣りの人でいっぱいでした。

 昨年は義母が7月に亡くなり、喪中ということで、神社へのお参りは穢れを持ち込まないようにと何かに書いてありましたこともあり、神仏や皆さまへの新年のご挨拶は控えるつもりでした。
でもよく調べますと50日を過ぎれば良いとも書いてありましたので、例年のように破魔矢をいただいて初詣でを済ませることができました。
神道では、人の死は「穢れ」なんですね・・・。

 実は、年末に、美術ファンなら誰でも知っている「NHK日曜美術館」の制作を担当するディレクターが、工房に訪ねて来られ、2月5日に放送する『長谷川等伯(1539~1610)』を語る番組の中で使うビデオに私の仕事の紹介とコメントも欲しいとのことなのです。

 なぜ、仏画を生業にする私のコメントを必要とされるのか、聞いてみますと、『等伯』は能登半島の七尾出身。
当時の平均寿命が40歳そこそこだったはずなのに、33歳にして都に出て、当時の御用絵師であった狩野永徳を押しのけ、御用絵師のトップにまで上り詰めた才能豊かな絵師なのですが、その七尾時代に、武士の家で生まれたにも関わらず、なぜか染物屋の長谷川家の養子となり、家業であった「染」と「仏画」を描いて生活していたというのです。

 そのことを初めて聞かされた私は、彼の若い頃の絵に関する環境が「染」と「仏画」という点では私とよく似ているなぁ・・・と感じたまでは良いのですが、それまでの私は等伯の若い頃にはほとんど関心がなく無知も同然です。

 このテレビ番組で全国に恥を晒さない為にも、タイミング的にもちょうど時間の有るこの正月休みを利用し、一人で工房に来て、改めて彼の作品と生い立ちや時代背景等を興味をもって深く調べている真っ最中なのです。

染と伝統仏画と等伯作品の関係・・・。この番組、結構おもしろくなりそうです。

正月が明けたら、東京から収録に来られることになっています。