人間って救う値打ちがあるんでしょうか? | しょうかんのうだうだ

しょうかんのうだうだ

仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

この無料ブログは、一ヶ月間更新がないとCMが入る。
何か書かないとこのままなので、ちょっと書いてみることにした。

今、ワシントンD.C.の近郊に住む娘婿が一人で帰って来て我が家に泊まっている。
実家がニュージーランドなので、日本の嫁(我が長女)の実家に泊まっているわけだ。実家がニュージランドといっても、国籍は日本。京都生まれの誰よりも日本を愛する日本人である。

彼は、NIH(National Institutes of Health)アメリカ国立衛生研究所という施設で、日本国より学費を貰ってウィルスの研究員として勉強している。日本を離れて、もう4年半が過ぎたそうだ。

研究者として、そろそろ、次の段階に進みたいということで、3週間の日程で、日本の大学や製薬関連企業、研究施設を回り、今後の進路として、職場のリサーチをしているのだ。
現実は、彼の今までの研究内容やスキルは評価してもらえるのだが、やはり、どこも景気が悪く、すぐに来て下さいとはいかず、苦戦しているようだ。
いや、彼曰く、例え来てくださいと言われても、今はまだ行けないのだそうだ・・・つまり第Ⅰ志望ではないらしのだ。

帰国後2日目の外出時のこと、吉野家の牛丼が旨かったと感激のメールを送ってきた。アメリカの食事は、何を食ってもまずいらしい。

その彼が、私と二人きりになった時、ポツリとつぶやいた。「義父さん、人間ってほんとに救う値打ちがあるんでしょうか・・?」
「いきなり、何やねん!」と私。
「義父さんは、仏画を観る人の心に慈悲の心を触発できたらいいなぁ・・・そんな仕事がしたい。と言っていましたね。」
「あぁ、そうや、人の本質は、悪魔や。でも僅かな仏のような慈悲の心も持ち合わせている。その僅かな慈悲心を仏画と言う媒体を通して視覚を通じて呼び覚ましたいのや。」と、私が仏画を描いて生活することの言い訳(大儀)を格好をつけて吐露した。

「義父さん、イスラム社会では、レイプされた娘がその父親に石を投げられ、父親にたとえ殺されても誰もが納得するそうですが。知っていましたぁ?」

「えぇ・・・、そんなはずはないやろぉ・・・。そんなばかなことがあるわけがないやないかぁ・・・。」

疑問全開で調べると、http://www.bllackz.com/2011/12/blog-post_03.htmlに書いてあるように、信じられない事実があった。 ショックだった。
慈悲心は人の心の普遍的なものだと信じていた私は、何が何だか分からなくなった・・・。

つまり彼は、私に何が言いたかったのか、自分が研究することは、人が少しでも長く生き延びることを目的としている研究であること。
自分は人の役に立つ仕事をしている。と、信じていたこと。

私が慈悲心を触発できることが、人にとってより良い社会を構築できると信じて仏画を制作していること・・・。この人の為に良かれと思ってやっていることが。実は万人に通用しないという、まことに厄介な現実をぶつけてきたわけだ。

イスラム社会のことは良く知らないが、慈悲心とは何なのか考えさせられた。 
慈悲の心、他の生命に対して自他怨親のない平等な気持ちを持つ。
慈しむ心は、レイプされた娘には生じないものなのか、それともその慈悲の心を超えたところに、イスラムの教えや観念があるのか・・・。

仕事に理由や大儀が必要に思う娘婿は偉いと思う。

たぶん今まで自分が好きで研究畑を歩んできたが、複雑な人の価値観に、救わなくても良い人まで救うことになるかもしれないこと・・・。そのことから、自身の歩みに疑心暗鬼になっているのだろう・・・。理解できる。

こういった現実から、なるべくなら遠ざかりたい・・・。
アメリカに残り、世界的先端規模の研究機関に正式に雇用されたいのが本音らしい。

日本に帰り、大学で教える立場になることも、製薬会社に就職することも2番、3番目の希望のようだ。
しかし、家族のことを思うと、父として家長として安月給の研究員よりも高給取りの製薬会社を選ぶべきではないか・・・。
と、いった3番目の志望コースを選ぶこともある・・・。これは、今までの自身の大儀を崩すことになるので、まずは私に予防線を張っておこうと思ったのかもしれない。

しかし、高給を頂戴できるということ、製薬会社が成り立っているということは、世の為に役に立っているという証なのだが・・・。
私としては、父親として学者として、なんとか心を整理し再出発して欲しい。
娘婿に心よりエールを送りたい。