塩竃義弘師遷化 | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

私の所属する仏教クラブの元会員で、元知恩院文化財保存局長だった塩竃義弘師が先月13日にお亡くなりになっっていた。
仏教クラブの例会や小旅行には、いつもご一緒だった奥様に続き、あっという間の御遷化だった。
本日、午後二時より、五条河原町(塩竈町)のご自坊(上徳寺)で本葬が執り行われる。
当麻曼陀羅(観経変相図)の研究でも知られている師は、私の仕事にも興味を持っていただき、良くお話をさせていただいた。
鎮西派(知恩院)と西山派(光明寺)の観経変相図の微妙な解釈の違いを、『「観無量寿経」はひとつなのだから、同じでないとおかしい』と純粋に疑問に思っていらした師のお考えや意見が印象的だった。
また、仏教クラブの運営委員会で京都の仏教系大学に留学する留学生に奨学金を授与することになった時も、師と二人で仏教大学まで出向き、その旨を伝え、候補者の選別に協力をお願いしにいったことを思い出す。そうそう、その帰りに二人で今宮神社の茶店であぶりもちを食べながら、師が仏教大学に通っていた頃の昔話を聞き、和みのひと時を過ごした。
師は、元京都文教短期大教授で、城陽高校長なども勤められ、教育者として人生の大半を過ごされた後、知恩院執事、知恩院文化財保存局長などを務められたと聞く。

89歳。大往生である。

合掌