インドに日本軍の感謝の記憶をとどめる村がある | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

youtubeに興味深い動画がアップロードされていました。
第二次世界大戦の日本軍の記憶をとどめる、インド・インパールの北方18キロにあるマパオの村の映像です。
 


確かに第二次大戦下の日本軍も、軍政司令官によっては、過酷な要求をしたこともあったようです。
 しかし、総じて、道徳教育や武士道を重んじた日本軍は、中国や北朝鮮、韓国の左派の主張するような「鬼の集団」ではありませんでした。
戦争という狂気の沙汰では、時には鬼畜となり己の身を守ろうとするのが人間です。

この動画のように、東南アジアでは、良い意味での記憶をとどめている村も存在していることを、我々は忘れてはならないでしょう。

 インド北東部アッサム地方に位置し、ビルマから近いインパールは、インドに駐留するイギリス軍の主要拠点でありました。
ビルマ-インド間の要衝にあって連合国から中国への主要な補給路(援蒋ルート)であり、ここを攻略すれば中国軍(国民党軍)を著しく弱体化できると考えられたのだそうです。
インパール作戦は、三個師団を基幹とし、参加将兵およそ90000名で実施されました。
しかし、日本軍の得意な山岳地帯での機動急襲も、英軍の頑強な抵抗に撃退され、結果として攻勢は頓挫。 攻勢転移した英軍によって、逆に日本軍が駆逐される結果となりました。

日本軍劣勢の一番の原因は物資量の絶対的不足で、さらに英米の近代的兵器を駆使した戦闘に対して、日本の兵器戦略は日露戦争当時のままであり、結果は戦わずとも明らかであったといいます。
インパール作戦では、そのような不利な情勢に加えて、アラカン山脈という険しい山地を行軍する戦いだったため、戦闘による戦死者だけでなく、疲労や栄養失調、感染病などの病死者も多く、生きて日本に帰ってこれた者は2割くらいだったといわれます。
「物資面では劣っていた日本軍ではあったが、兵士の質、気概の面ではどの国よりも優っていたと私は思う。」とこの作戦に派兵された元日本兵は言います。

このように、作戦自体は、かならずしもインド独立を主目的としておこなわれたわけではありませんでしたが、多くのインド国民軍とともに、日本軍が、インドを抑圧していたイギリス軍と真摯に戦う姿が現地の人の心に残ったようです。

 果たして、北朝鮮や中国がプロパガンダ目的で歪んだ日本軍を描く姿が正しいのか。それとも、別の側面が存在していたのか、この動画をご覧になれば容易に判断できると思います。

 私たちは、彼等のプロパガンダ思想の意気が弱まりつつある今、真摯に、冷静に、かつての戦争時の日本に、また、仏神に根ざした道徳観や武士道を重んじた明治・大正生まれのご祖先様たちに、今、温かい光を当てなければならないのではないかと、そんな気がします。