愛弟子のこと | しょうかんのうだうだ

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仏絵師藤野正観(66)の備忘録・・・っといっても、ほとんどどこにも出かけないので、ふだん、ぐだぐだ思ったり考えていることを書き連ねることになるのは必至。

昨日、私と同じ仕事を目指して、私の元で毎日修行している愛弟子が、我が娘に続いて結婚した。今日夕方、バリ島に旅立つ。

今からちょうど4年前のこと、洛西・西山にある善峯寺で仏画の展覧会を開催中の時のことだった。
一日中、私自身が会場に詰めていた、そんな時のこと・・・・。

息抜きにちょっと境内を散歩しようと、会場の表に出たところ、その会場を目指し、わき目もふれず、会場の玄関を目指し、こちらに歩いてくる、やけに背の高い若い女性が居た。

その彼女は、私の存在など目に入らない様子で、わき目もふらずというのか、大股に進み寄り、一直線に会場の中に入っていった。
私は、ただならぬ彼女の気配を感じたが、表に出たこともあり、予定通りに境内散策に出た。
そして十五分~二十分後に戻って来るのだが・・・。

あまり入場者が居ない時間帯だったこともあり、まだ居る長身の彼女は目立った。
展示されている仏画の前にいかにも興味深げに、たたずむその若い彼女に、私からおもわず声をかけた。

彼女は、某有名大で美術を専攻している学生で、来年には卒業するのだが、進路を決めていないと言う。
いろいろ話をする中、彼女は東京まで出かけ私の過去に納めた仏画を見に行ったという。仏画を描く仕事がしたいのだが、不安で踏ん切りがつかない と、いったそんな若い彼女の情熱と、よく分からない仏画の世界に対して、将来を心配する不安な想いが、私にビシビシと伝わって来た。当たり前である。将来への不安はつきものである。
普段の我が工房の様子や修行の形態など、彼女のたくさんの質問に答えた。

その日、帰宅した彼女から、丁寧で心のこもった、しっかりした礼節を踏まえた大人の文面で、お礼のメールが届いた。若いのにしっかりした娘さんだという印象は、その後、何度か交わしたメールの内容でも確信できた。

ちょうど、その頃、私の息子も娘も私の仕事を継ぐ意思がないことや、その当時、私の元で修行中の二人の若者も、「今ひとつ・・・。」将来をプロとして生きようとするにはちょっと覇気がないなぁと、感じていた。
この先も長時間かかるような大きな仕事を入れるべきかどうか、ちゅうちょしていたような、そんな、私にとっても消極的というのか、そう、トーンダウンしていた時期でもあった。

そこに、将来を夢み、まじめで、素直で率直で熱心な彼女に遭遇したことで、彼女ならやってくれるかもしれないといった、そんな期待が自分の内に膨らんで来るのを感じた。

どちらからともなく、当然のような流れで、そうなったと思うのだが、彼女は卒業後、私の工房で勉強することになった。

早いもので、彼女が、私の工房に通って、三年半になった。
その三年半の間に、私の仏画人生の中でも数少ない、新聞ネタになるような大きな仕事二作に携わった。
今、あの懸念していた二人の先輩はすでに居なくなり、その逆に、年上だが二人の後輩が居る。

昨年は、彼女が、実質スタッフのリーダーとなり、各新聞で大きく報道されることとなった西国札所会の御本尊三十三体の御影を完成させるという私にとって原点ともいえる大切な仕事を手伝ってくれた。

今回、人生の伴侶とめぐり会えたのも、こういった一途で一生懸命な彼女を応援する大きな何かが、そうさせたのかもしれない。 

今後は、今までに増して、安定した心持ちで仏画の勉強に精進できることと思う。
そう思いたい。

志半ばの前途有望な彼女を妻にした新郎には、彼女の想いが成し遂げられるよう、彼女の想いを、二人の共有の目標として、二人で達成すべく、ご協力をお願いしたい。

それぞれの大切な目標に向かって、時には譲り合い、バランスをとりながら、しっかりと歩んでくれるよう二人に期待し、心からそれを祈念している。