日ユ同祖論のなぞを解く | ふじくまさんのブログ

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あぜ道・けもの道は歩いても人の道は踏み外すな!

一昔前の右翼のドンと呼ばれた人は
「世界は一家、人類は皆兄弟」と叫んでいた。
今、こんなこと言う右翼って見かけないですよね。

しかし、この理念は決して間違いではない。科学的に見ても。

私はクリスチャンでは無いですが、仮に人類始祖をアダムとイブとする。別に太郎と花子でも構わないのですが。
どういう経緯で生まれたかは別として、人類初の男性をアダム、女性をイブ。
聖書を見れば、アダムとイブに子供がいて、そこからどんどん人類は生み、増えていったわjけです。

簡単に言うとユダヤ民族というのはアダムの直径の民族。その他の民族は傍系の民族。
アダムとイブに多くの子供がいて、その子供にも多くの子供がいて、そしてそれぞれが各地に散らばり、子孫を増やしていった結果、一つの民族として成長していったわけです。

だから、「世界は一家、人類は皆兄弟」というのは科学的にも正しいわけです。


さて、タイトルの日ユ同祖論ですが、
よく、日本の伝統的お祭りの掛け声が日本語としては意味が不明だが古代ヘブライ語として捉えると意味のある言葉になるとか云々。

ここで人類始祖アダムとイブに一旦、戻る。
アダムとイブは何語を話していたんでしょうか?
アダム語?
今更、そんなことわかるはずが無い。

アダムとイブとその子供たちは何語で会話をしていたのか?
仮に、古代ヘブライ語を話していたとしましょう。
当たり前の話ですが、アダムが古代ヘブライ語を話していたら、その子供、その孫もまた、古代ヘブライ語を話していたはずですよね。

その古代ヘブライ語を話しアダムの子孫達がそれぞれ独立していって各地へ散らばってそこで
子孫を産み増やした場合言葉はどうなっていくか?
もちろん、当初のベースは古代ヘブライ語かもしれませんが、その土地土地で新しく言葉が生み出されたりしていくわけですね。
それが長い年月を経て一つの新しい言語となっていくわけです。

日本国内でも方言というのがあって、方言で話されると何を言ってるのかわからないというケースも多々ありますが、その方言がさらに進化したものがそれぞれの言語だと考えればいい。

しかし、出発が古代ヘブライ語だとすると、名残というのがあるわけですね。
それが日本の場合、古くからのお祭りの掛け声であったりするのかもしれない。

結論を書けば、日ユ同祖は間違いでは無いが正確ではない。
全人類、ユダヤと同祖なんですね。