家族と組織 | ふじくまさんのブログ

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あぜ道・けもの道は歩いても人の道は踏み外すな!

今、東京都知事選挙の真っ最中
主要候補者には、その候補者を支援する組織がついている。
人間社会を形成する上で組織は必要不可欠。

その組織の最少単位に当たるのが家族であり家庭。

ただ、家族という組織は他の組織と多少色合いが違う。
例えば、家族の中に二人の子供がいて一人が重度の障害者。
四肢が不自由で知能にも言語にも障害があるとしよう。
そして、もう一人が頭脳明晰、スポーツ万能、性格明朗快活。
こういう二人の兄弟がいたとすれば。

これが会社だと前者は仕事は出来ない。逆にこの人の為に何人もお世話をする人を付けないといけないつまりそれだけコストがかかる。後者は安心して仕事を任せられる。
よって前者は企業組織としては必要ないと判断されてしまう。

これが家族となると全く違うわけですね。
母親は障害を持って生まれて来た子の為に労力を惜しまないわけです。
逆に優秀な子は、ほっといても大丈夫だってぐらいになる。

人間には能力差・個人差は当然のごとくある。
仕事のできる人、できない人。頭のいい人、悪い人。運動神経のいい人、悪い人。
口のうまい人、下手な人。絵心のある人、無い人。
顔のいい人、悪い人。

社会の組織にでは、この人は能力があるからいる。この人はいらないと振り分けられる。
しかしこれは、当たり前と言えば当たり前の話。一番わかりやすいのがスポーツ選手ですよね。
能力を評価され入団し活躍したが、年をとったり怪我とかで働けなくなると自ら引退するか、球団から戦力外通知なるものが出てやめさせられる。

しかし家族は違うわけですよね。
能力差、個人差なんて全く関係ないわけです。
親はどんな子供でも平等に愛するわけですよ。


しかし、一昔前の日本の企業は違っていた。家族型経営をしていた。
だからこその終身雇用制だったわけです。
今はそうではない。
利益優先の組織型企業経営。

昔の右翼はこう言っていた。
「世界は一家人類は皆兄弟」と
今、右翼を名乗ってる人たちで、こんなことを言う人はいない。
排他的民族主義に陥ってるケースが目立つ。それが愛国心だと勘違いしてる。

母親は自分を犠牲にして障害のある子のお世話をする。
逆もありますよね。
老いた両親の介護を子供がする。

そこには愛情があるから無償でできるわけですよ。
愛は自己犠牲ですから見返りなんてのも求めない。

しかし、今の日本でその家庭にさえ愛が無くなってきてる。
たとえば、社会ではじき出された人が唯一の寄り所となるべき場所が家族。
その家族に愛情が無ければ、もうその人は居場所は無くなってしまう。

そこが今の社会の大きな問題。