こんにちは!

 

今日は12月11日、今年も残すところあと20日、ついこの間まで暖かかった明野も急に真冬の陽気に早変わりして、玄関前の水盤に氷が張りました。今シーズン3回目の氷です。

今日も腰痛で、無理せずブログに凝ってます。


さて、この旅も今回が最終章です!

前回紹介しきれなかった残りの部分から、帰国の日、25日の帰国までの様子をお話ししたいと思います。


 カレル橋を渡りきってからカレル通りを抜けてプラハで一番にぎやかな旧市街広場へと向かいました。




トラムの軌道が走る全面石畳の目向き通りを渡り、クラシカルな道をしばらく歩くと・・・



左側に旧市庁舎の塔と正面にティーン聖母教会のゴシック様式の塔が見えてきます。


 


旧市庁舎・・・旧市街広場の南西に立つゴシック様式の建物で高さ70mの塔を持つ。

壁にある天文時計には毎正時、12使徒が交互に現れる仕掛け時計を見るために観光客が集まる。

この仕掛け時計の他に天文時計とカレンダー時計が据えられている。

 

旧市庁舎の塔とティーン聖母教会のゴシック様式の塔 


旧市庁舎の天文時計、カレンダー時計や仕掛け時計


旧市街広場・・・ヴルタヴァ川東岸の旧市街地区の中心で一日中観光客でにぎわう場所で、レストランやショップ、露店が軒を連ねる。

広場の中央にはボヘミア出身の宗教改革者、ヤン・フス像がある。フスの没後500年を祈念して1915年に建てられたとのこと。


旧市街広場の様子・・・広場中央に座すヤン・フス像、左後方は聖ミクラーシュ教会


旧市街広場から旧市庁舎聖ミクラーシュ教会


プラハ城聖ヴィート大聖堂カレル橋旧市街広場などを順に見て回り、昼を過ぎた頃、広場でガイドさんとお別れして解散となりました。


午後は自由行動、昼食やショッピングを楽しんだ後、一旦ホテルに戻り、夕食は再び出直し、プラハナイトディナークルーズを楽しみました。



昼食はレストランが2時間ほども待たされると聞いて、簡単に済ませようと、プラハのファストフードとも言えるトルデルニークを食べて済ますことにしました。


 

トルデルニークはご覧の様な円筒形に焼いたパンのような食べ物。

直径5cm位の棒の表面に小麦のパン生地を少し柔らかくしたようなものをくるくると巻き付け、こんがり焼いて、棒から抜いて全体に砂糖をまぶした、お菓子のようなパンのような食べ物です。


街の至る所で焼きたてを売っていて、ガイドさんもお薦めでした。


ガイドさんは砂糖だけの単純な物が美味しいと言っていましたが、チョコがかかっているのが旨そうに見えたので、まずはそれにしました。

旨かったのですが、チョコが垂れて手や口の周りを汚すのには閉口しました。でも旨かったです。


ツアーで一緒だった○○さんと一緒に頬張りました!



お腹を満たしてから火薬塔市民会館の方にショッピングセンターがあるとのことで、お土産を探しに向かいました。


遠方に見える火薬塔目指して・・・



ショッピングセンターは火薬塔と隣り合った市民会館のはす向かいにありました。

おみやげ物などショッピングを楽しんだ後、再び旧市街広場に向かい、最寄りの地下鉄駅からホテルに戻りました。



ホテル・ドン・ジョバンニの全景・・・左の角4階の部屋が泊まった部屋です。


ホテルに戻り一休みした後、ロビーに集合、夕食はヴルタヴァ川ナイトクルーズを楽しみました。 


船上から見る夜景を楽しみながら夕食を頂きました。

 

23日プラハに入った夜に見た夜間照明に浮かび上がる国民劇場


アーチが美しく映えるカレル橋


カメラに目線を向けてくれたトランペット奏者

 

照明の中に浮かび上がるプラハ城聖ヴィート大聖堂

 

クルーズを終えてヴルタヴァ川の夜景


帰りは専用バスのお迎えが有り、バスで眠い目をこすりながら無事ホテルに帰還!



24日の夜は久しぶりにゆっくり出来たようにおもいます!



ここでちょっぴりヴルタヴァ川について一言!



ヴルタヴァ川はドイツ語でモルダウ川、チェコ国内最長の川で、ボヘミア盆地の水を集めてプラハを南から北に流れ、北ドイツ平原に流れでてエルベ川に合流し、黒海に注いでいる。

また南に遡ると、ボヘミアの森を抜けてドナウ川に至り、これも黒海に注いでいる。

プラハでは川幅約500mで、プラハの旧市街と城下町とを隔てている。


日本ではモルダウ川として曲と共によく知られていますが、チェコの作曲家であるスメタナにとっては我が祖国の川「ヴルタヴァ川」として知ってほしかったでしょうね!

 

25日はプラハを発つ日、ホテル出発集合時間13時半まで自由行動。

 

30分券を往復用に2枚購入し、ミュシャ美術館に行くことにしました。

 

 

 

ムーステク駅まで地下鉄で行き、美術館に向かいました。


ミュシャ美術館前の通り


ミュシャ美術館・・・アルフォンス・マリア・ミュシャは、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。そのミュシャの創作を広く深く見ることが出来る美術館。

パリの女優、サラ・ベルナールのために制作したポスターはじめ、パネル画、彫刻、版画、、写真などが展示されている。


我が家にあるミュシャの花瓶と同じ絵柄の原画を見つけました。



館内は撮影禁止なので残念ですが作品の紹介は出来ません!



美術館の窓に飾られたミュシャの作品



美術館を出た後、前日も訪れた市民会館に向かいました。

会館でミュシャの肉筆画を見ることが出来ると聞いたので、早速向かうことにしました。


市民会館・・・旧市街に立つ、外観はネオ・バロック風、内部はアール・ヌーボー建築の傑作。ガラスのドームをいただくスメタナホールは1200人収容可能なコンサートホール。

2階のサロンにはミュシャの壁画など華麗な装飾が見事。建物正面はカレル・シュピラルのモザイク画で飾られている。



市民会館の正面入り口。左の黒い塔は、火薬塔


火薬塔・・・名前を聞くとなんとも物騒な塔だが、元々は11世紀に旧市街の出入り口の門として建てられた塔とのこと。

元々は質素な塔だったが15世紀にゴシック様式の塔に建てかえられて、当時は隣接する宮殿に釣り合う立派な建物だったが、宮殿がプラハ城に移ってからは荒廃し、その後、1757年にプラハがロシア軍に包囲されたとき、火薬庫として使われたことから火薬塔と呼ばれ、1886年に改築されて現在に至ったとのこと。


市民会館正面カレル・シュピラルのモザイク画


市民会館の右翼部分 


会館2階の二つのイベントホールを使って来春まで期間限定でミュシャの肉筆画を展示していました。


作品はどれも縦・横4m以上もあろうか思われるキャンバス地に油彩で描かれた肉筆画で、絵のモチーフからミュシャの代表作、スラヴ叙事詩の一部だろうと思われました。

6枚から8枚展示されていたように思います。


ストロボ不使用なら撮影出来たので、その幾つかをご紹介します。


 

アングルやパイプで制作された大きな枠にロープで張ったキャンバスに描かれており、どれも見上げるようなサイズに民の嘆きや怒り、喜びなどが克明に描かれていて、ただただ圧倒されてました。

・・・でもしっかり見せて頂きました!


人、一人一人の表情、特に目が克明に描かれ、全員に見つめられているような視線を感じてしまい不思議な気分でした。

次は、上の絵の一部を拡大しています。



女性の表情がとても美しく描かれていて、描くとき誰かモデルがいたんだろうなと、いつまでも見ていたい気分でした。




スラヴ叙事詩・・・ミュシャが1910年から1928年にかけて手掛けた壁画サイズの一連の作品。

チェコ及びスラヴ民族の伝承や神話及び歴史に基づき描いた全20作品からなり、サイズは小さい物でも4×5m、大きい物では6×8mにも達する。

作品は溶剤に卵を使ったテンペラを基本に描かれ、一部油彩も使われているとのこと。

1928年に完成し、特設展示場を用意することを条件にプラハに寄贈されたとのこと。現在はプラハ国立美術館に展示されているとのことです。



市民会館の内部の様子・・・アール・ヌーボーの美しい装飾でデザインされていました。



 

これが最後に寄ったチェコの旅となりました。


最後にとても貴重なものを鑑賞できたことはとても嬉しい事でした。


帰りの途中、お昼代わりにまたトルデルニークを食べました。


今度は単純な砂糖だけで・・・美味しかったです。


集合時間に間に合うよう、地下鉄に乗りホテルに戻りました。


現地のガイドさんが空港まで付き添ってくれました。


空港でミュシャのモーニングカップをお土産に二つ買いました。


思わぬ事でクローネが沢山残ってしまったので・・・全て使いきりました!



帰りの便は、順調に飛行を続け、無事に成田に帰還しました。



秋深き中世の香溢れるチェコ旅、如何でしたか?



チェコ・・・自然が美しく、人も美しく、素朴な国


・・・日本が何処かに忘れてきてしまった物が沢山残されている国


短い期間でしたが、チェコを旅して・・・・そう感じました。

いつかまた訪れてみたい国


今度はもっと・・・ゆっくりと・・・



最後に・・・


色々大変だった旅、添乗員さんご苦労様でした。


お世話になり有り難うございました。!!