今日も旅のブログのつづきです。第6弾 ”最終章”です!


28日、29日、両日とも旅の最終地リスボン市内を観光しました。


28日は、午前中市内から離れてユーラシア大陸最西端の地、ロカ岬を観光し、再びリスボン市内に戻って市内観光後、午後は郊外のシントラ王宮を観光しました。


29日は帰国の日、ホテル出発が午前11時と余裕があったので、”世界ふれあい街歩き”のようにリスボン市街を散策しました。


それでは28日からご案内します。


マリオット(MARRIOTT)ホテルを早朝出発、


途中車窓より水道橋(名前忘れた!)を右手に見ながらロカ岬へと向かいました。



ロカ岬

巨大なユーラシア大陸の西の果て、北緯38度47分、西経9度30分、高さ140mの断崖にポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節 「ここに地果て、海始まる」 が刻まれた碑が建っている。


訪れた時は、快晴の好天に恵まれてはいましたが、非常に風の強い日で(強風の名所とのこと)、地の果てを実感させられました。


      

  

大西洋の荒波うち寄せる断崖に建つ灯台



                          


ロカ岬をあとに、再びリスボン市街に戻り、先ず立ち寄ったのがジェロニモス修道院


ジェロニモス修道院

エンリケ航海王子の偉業を称え、またヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して、エンリケ王子が建てた礼拝堂の跡地にマヌエル1世が1502年に着工。マヌエル様式を代表する壮麗な建物は海外からの富によって建てられたもので、大航海時代のポルトガルの富を反映させたものといえる。



             


礼拝堂主祭壇とステンドグラス

   


ヴァスコ・ダ・ガマの棺
教会を入るとすぐ左側にヴァスコ・ダ・ガマの棺が安置されており、右側にはその偉業を叙事詩に詠いあげたポルトガル最大の詩人、ルイス・デ・カモンイスが眠っている。


石のアーチが優美な回廊Claustro

修道院最大の見どころ、中庭を囲む55m四方の回廊Claustro。石灰岩に緻密な彫刻を施したアーチは繊細且つ優美。完成度の高さで、マヌエル様式の最高傑作と言われている。


一階はボイタック、二階はその死後引き継いだジョアン・デ・カスティーリョが手掛けたとのこと。




中庭に面した壁に彫刻された透かし彫りの影が回廊の壁に綺麗な影を形作っていた。


   




回廊二階から礼拝堂に入ると身廊後方より主祭壇を正面に礼拝堂内部全体を見下ろすことが出来る。


正面に主祭壇、背面にキリスト像、彫刻の施された柱や壁、ステンドグラスから差し込む光、荘厳な空間を形作っていた。

我々の後方には十字架に掛けられたキリスト像が奉られていた。


ジェロニモス修道院を後にして、ベレンの塔発見のモニュメントを見て回りました。

ベレンの塔

16世紀初め、マヌエル1世の命により、船の出入りを監視する要塞として建てられた。


発見のモニュメント

1960年のエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られたモニュメント。


名所観光を終え、レストランに向かう道すがら、バイシャ地区周辺をちょっと寄り道・・・アウグスタ通りへ


アウグスタ通り

ロシオ広場からテージョ川に向かって延びる通り。通りの南端にある”勝利のアーチ”までの間にはブティックや銀行がずらりと並ぶ繁華街。

勝利のアーチ”を抜けると海のようなテージョ川に面した”コメルシオ広場”にでる。


金のペンダントヘッドを買ったアウグスタ通りの貴金属店前で


アウグスタ通りからサンタ・ジュスタのエレベーターを仰ぎ見る


サンタ・ジュスタのエレベーター

パリのエッフェル塔の設計者エッフェルの設計による。

上がるとバイリ・アルトへの連絡橋があり、カルモ教会に出ることが出来る。


バイシャ地区から丘の上にサン・ジョルジョ城が望まれる。


美味しそうなお菓子の並べられたショーウィンドーをのぞいて・・・


市内観光を終えてレストランで昼食!!

今日のランチメニューは?


アルファベットマカロニとチキンのスープ


サラーダ・ミシュタ(ミックスサラダ)


サルディーニャス・アサーダス(鰯の塩焼き)とボイルドポテト


サラーダ・フルータ(フルーツのシロップ和え)


昼食後、リスボンから30km程離れたシントラまでバスで移動し、世界遺産シントラの王宮を見学しました。


世界遺産 シントラ

リスボンの西28kmに位置する、緑の覆われたシントラ山系、ところどころに散在する豪奢な城館。イギリスの詩人バイロンは、この地を「この世のエデン」と称えたと伝えられる。

この一帯の文化的景観は、1995年に世界遺産に登録された。


シントラ王宮

14世紀にジョアン1世によって建てられた。かつての王家の夏の離宮。絢爛豪華な室内装飾は当時の海洋王国ポルトガルの栄華を反映している。高さ33mの煙突を持つ厨房、タイルで覆われたアラブの間、天井一面に鳥の描かれたカササギの間や白鳥の間、等々、見どころが多い。


王宮全景  


2本の灰色をした塔が厨房の煙突


カササギが一面に描かれたカササギの間


全て異なるポーズで白鳥が一面に描かれた白鳥の間


タイルで覆われたアラブの間 


             

王宮前のレプブリカ広場からムーアの城跡が望める。

             

     ミニ万里の長城の様に城壁が続き、ポルトガルの国旗が羽ばたいていた。

     


シントラそぞろ歩き・・・

見学を終えてからレプブリカ広場を散策し、シントラの名物菓子ケイジャーダエッグタルトを購入し、帰路に就いた。

ケイジャーダを売るお店・・・もの凄い混みようだった。


ケイジャーダと一緒に買った熱々のエッグタルト!

       ・・・その場でいただいた。・・・美味しかった!


お菓子を買ったお店の前

    ・・・おみやげ物を売るお店が軒を連ねる


ガラスや陶器の器を売るお店


レプブリカ広場前のカラフルなお店


ショーウィンドーに飾られた”雄鶏(Galoガロ)”をデザインしたおみやげ物


雄鶏(Galoガロ)

ガロはポルトガルでは「真実の証、バルセロスの雄鳥」として、その言い伝えは誰でも知っています。

その言い伝えを知りたい方は「真実の証、バルセロスの雄鳥」で検索してみてください。


私たちは旅の途中、バスの中で眠気覚ましに添乗員さんが話してくれたお話しの中で知りました。


王宮前の傾斜地に建てられたホテルやレストラン


29日  ・・・いよいよ成田に向かってポルトガルを発つ日!

28日の晩、ホテル出発が1時間遅れて11時に変更されたと聞き、早起きしてもう一度リスボン市内、バイシャ地区周辺を歩いてみることにしました。


ホテルからタクシーでロシオ広場まで、5ユーロほどで着きました。


先ずケーブルカーを見たい、出来れば乗ってみたい、とグロリア線を探し歩いて見つけました!

あいにくまだ動いていませんでした。

車両は軌道の中間に二両仲良く停車中でした!


軌道は、”アレッ” っと言うほど短くて、終点の丘まで数百メートル!


歩いて登ることにしました。



”ケーブルカーに飛び乗った瞬間”  ・・・てな感じで ハイ! パチリ!


軌道脇の歩道の壁には学生さんが描いたと思われる 「落書き」 が見事な壁画のように壁を埋めていました。

素晴らしい描写力! 日本のアニメブームもちょっと手伝っているような出来映えでしたヨ!!



真ん中の女性の描き方・・・日本アニメのそれに似てません?




軌道を登り切ると、リスボンの街を一望出来る、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台に出ました。

”消臭リキ”のミゲル君のCM のバックに出てくるような街の眺めでした。



丘の上の通りにも市電が通っていて、軌道に沿って進むとサンロケ教会の前に出ました。



サンロケ教会の前にユーモラスなおじさんの銅像が建っていたので、握手して・・・パチリ!


サンロケ教会

1584年苦難の航海の末に辿り着いた日本の遣欧少年使節が一ヶ月ほど滞在した、イタリアバロック様式のイエズス会の教会。正面ファサードは、1755年の大地震で破壊され、その後再建されたもの。



市電のある通りから別れて丘を下る道に入り、



坂や、階段を下って、ロシオ広場の方へと向かいました。


                       


ロシオ広場の向こうの丘にサン・ジョルジョ城が見えました。


ガイドブック片手に

    ・・・今居るのはこの辺かな? ってな具合です!


前方にロシオ広場のドン・ペドロ4世の銅像が見えてきました。



坂を下りきったバル(カフェ)でオトイレを借りて、コーヒー飲んで ・・・一息入れて!

  


                     


バル(カフェ)の壁に飾られたタイル画が綺麗だったので、撮らせていただきました!

     いずれもリスボンの街を描いたものです。



                  


                             

オブリガート!」 と言ったら 「アリガト! って返されました。 

              ・・・・・ちょっぴり楽しくなりました!


ロシオ広場に戻って、

       おみやげ物を売る露天をのぞき込んで、

                     陶器やタイルの小物を数点買いました。


ロシオ広場

正式名は、ドン・ペドロ4世広場。リスボン子にはロシオ(公共の広場の意味)で愛されている。

周囲にはバル(カフェ)やレストラン、土産物屋が並び、一日中賑わっている。

写真の噴水の後方の建物は、ドナ・マリア2世国立劇場



ドン・ペドロ4世の銅像



ロシオ広場を出て、その東側にあるフィゲイラ広場からアウグスタ通りテージョ川に向かって歩きました。

昨日買った貴金属店の前を通り過ぎてコメルシオ広場まで行き、ホテルに帰ることにしました。


フィゲイラ広場に立つドン・ジョアン1世の騎馬像


開店を待つ、アウグスタ通りのオープンカフェ


アウグスタ通り、その東にあるプラタ通り、西にあるオウロ通り、

     バイシャ地区の最も賑やかな地域。奥に勝利のアーチが見える。


アーチを抜けるとコメルシオ広場に出る。


コメルシオ広場

1755年の大地震で破壊されたマヌエル1世の宮殿があったことから、テレイロ・ド・パソ(宮殿広場)とも呼ばれる。


周囲には官庁舎や市役所が建ち並ぶ


           


広場前を走る市電

カラフルな車両が人目を引く



      勝利のアーチの前を走り抜ける新型車両
     


                 新旧車両が交差

               


広場中央に立つドン・ジョゼ1世の騎馬像、後方は勝利のアーチ


コメルシオ広場からテージョ川河岸に出ると、

           遠くクリスト・レイ4月25日橋が遠くかすんで見えました。


クリスト・レイ

テージョ川トレドを巻くように流れていたタホ川)の対岸、丘の上に高さ110mの巨大なキリスト像が両腕を広げて街を見下ろすように建っている。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるキリスト像をまねて、1959年に完成したもの。


4月25日橋

1966年に完成した全長2278mのつり橋。上段は車、下段は鉄道専用。完成時はサラザール橋と呼ばれたが、1974年4月25日のクーデターにより新政府が誕生し、この事件を「リスボンの春」と称し、この日を記念し、4月25日橋と改名した。


テージョ川に沿った道をサイクリングする人、散歩をする人の影が絶え間なく、

   冬の朝というのに暖かな日がさして、時間がゆっくり動いているような錯覚を覚えました。



コメルシオ広場から眺めるテージョ川は海のように広く、

             ・・・岸辺にカモメが3羽、逆三角形を成すようにとまっていました。


広場で、韓国から来た学生さんらしいグループに写真を頼まれ、

    そのお礼に、私たちも撮ってもらうことにしました。


11時の出発に間に合うようにロシオ広場でタクシーに乗りホテルに戻りました。

 

・・・・最後の ”ふれあい街歩き” が一番思い出に残ったように思います。


それから10日間お世話してくださった添乗員の”角居さん”の造詣の深さにはただただ感銘するばかりでした。


機会があるならまたいつか別の場所をご案内していただきたいと思っております。


本当に、ありがとうございました。



1月29日、リスボン発 14:00 LH1791便にてアルプス越えしてミュンヘン経由で帰国の途に着きました。


1月30日、16:00丁度に成田着。   ・・・・お疲れさまでした。