旅のブログ第3弾です!


さて今回は、

25日、マドリッドからラマンチャ地方を経由してコルドバを観光後、グラナダで一泊するまでをご紹介します。


マドリッドを早朝出発

ラマンチャ地方の丘の上に白い風車の立ち並ぶコンスエグラまで約130kmの道のりをひたすら走り、更にコルドバまで、300km近い道のりを延々4時間ほど、遅めの昼食をいただき、更に160Kmの道のりを走り抜け、グラナダまで歩を進めました。


ドン・キホーテの舞台・・・ラ・マンチャ地方

マドリッドから国道を南に、荒涼とした平原をひたすら進むと、やがて丘の上に10基ほどの風車が連なるコンスエグラの丘が見えてきます。


コンスエグラ一帯はサフランの産地としても有名

サフランは一度の栽培で畑の養分を殆ど吸い尽くしてしまい、地力が回復するまで2、3年は作物が出来ないと言われています。

コンスエグラの丘から見ると、休耕地の赤茶色と耕地の緑が混じり合ったパッチワークのような畑が限りなく広がっていました


    


コンスエグラはスペイン文学の最高傑作「ドン・キホーテ」の舞台

ドンキ・ホーテが風車を巨人と間違えて愛馬ロシナンテと共に槍で戦いを挑んだのは有名な一シーン!

赤茶けた丘の上に日に映えて佇む大きな風車を眺めていると、自然とそんな情景がアニメーションのように想像されてくるのが滑稽でした。



風車は元々水揚げ用のポンプとして使われていたオランダからもたらされたもので、それが穀物などを砕く臼の動力源として使われるようになったのだそうです。


現在その役目は無くなって、殆どは観光用として、お店や簡易ホテル等に利用されている他、個人の住居としても使われているようです。



丘に寂しく佇む風車を見ていると、白い帆布を張って勇ましく回る往時の姿が目に浮かんで来ました。



後を振り返りつつ風車の丘を後にして・・・


コンスエグラの町に入り、スペイン片田舎の農家のようなお店に立ち寄りました。


ここはやっぱりドン・キホーテの故郷

庭の井戸端や中央に虚空を見つめ立ちつくすドン・キホーテの像を見つけました。


勇ましく何を思うや・・・ドンキ・ホーテ!


お店でお土産に陶器やお菓子を買って、コンスエグラを後に、延々300km近い道のりをひたすらコルドバに向かって進みました。


途中シェラモネラ山脈シェラネバダ山脈・・・アメリカのシェラネバダ山脈の基となった山脈名)に連なる山岳地帯に入り、大きな峠を越えてアンダルシアへと入って行きました。


ガイドさんの説明では有名な峠で、イスラム勢力の北進をアンダルシア地方で抑え、キリスト教のカスティージャ軍がイスラム軍を征することが出来たのは、この峠を越えることが出来たからと言われています。


当時この峠をディスフィラーデス・デスペニャペロース(発音がちょっとはっきりしないのですが・・・)(犬も坂を転げ落ちる峠)と言われ、急峻で難攻不落の場所と言われていました。

しかし、地元民しか知らないアンダルシアに抜ける”山羊の道”と言われる裏道を抜け、越えることが出来たキリスト軍がアンダルシアに攻め入り、イスラム勢力を制圧したとの逸話が残っています。


運転手さんの計らいで、バスは高速道からそれ、峠を見渡すことが出来る展望台に寄ってくれたので、素晴らしい絶景を見ることが出来ました。


            

展望台から眼下に高速道路、その脇に高速鉄道AVE)の線路が並行して走っているのを見ることが出来ました。

マドリッドからコルドバ方面をAVEで旅するツアーも有るようですが、この絶景はバスならではでしょうね!


スペインは鉄道網が発達しているようで、旅行中バスの車窓から至るところで鉄道を見ることが出来ました。

車両は格好良くてカラフルで、新幹線はフランスTGVの技術導入で建設されたとか

     ・・・流線型の格好良いデザインでした。


アンダルシア地方にはいると標高も下がって幾分か気温も湿度も上がったように身体に感じました。

地形も再びなだらかな丘陵地帯に変わり、窓外に放牧された牛の群や延々と続くオリーブ畑が目に付くようになりました。


ジャージー牛の群・・・闘牛用の牛は黒牛


オリーブは雌雄異株なので、一カ所に必ず雌雄一本ずつ並んで植えられていて大きい株では一見すると、根本で二股に別れた一本の木のように見えます。


世界遺産 コルドバ歴史地区(旧市街)

コルドバの歴史はローマ時代の植民市から始まり、その後8世紀にウマイヤ朝の首都となり、最盛期には100万人もの人口で栄えたと言われています。

イスラム文化とユダヤ文化が色濃く残り、独特の雰囲気を醸しています。


昼も大分遅れてようやくコルドバの街に入り・・・

ローマ橋でバスから降り、橋を渡って旧市街地区に入り、遅めの昼食をいただきました。


ローマ橋

グアダルキビル川に掛かるローマ時代の橋、但し残っているのは基礎部分だけで、上部構造はムスリムによって築かれたものだそうです。

中央に巨大な建造物メスキータを望む。


橋の中心部分に立つマリア像


橋の彫像近くで演奏するストリートパフォーマー


カラフルなおみやげ物を売るお店


         窓枠の装飾などにイスラムの文化が感じられる

         


旧ユダヤ人街・・・花の小径

メスキータの北西に広がる一帯、1492年にユダヤ人追放令公布まで、ユダヤ商人が多く住んでいた。

細い路地に白壁の家が続き、家々の窓やバルコニー、壁、パティオにいろいろな花々が咲き、特にメスキータの北の細い路地 ”花の小径” は特に美しいと評判の場所。

温暖な気候で、ゼラニウムの葉が活き活きとして、花も沢山咲いていました。


やっと食事にありつけて一息・・・

メニューは?

  野菜サラダ、ビーフシチューにプリン・・・ お腹空いてて写真撮るの忘れた!

お腹を満たし食後いよいよメスキータ入場観光!


メスキータ

コルドバがイスラム王朝の首都だった8世紀末に築かれ、以来拡張を繰り返し、メッカのカーバ寺院に次ぐ規模のモスクとなった。

内部には850本に及ぶ馬蹄形のアーチが林立し、中央のカテドラルはカトリック教徒がコルドバ奪還後に約240年掛けて造り上げたもの。


メスキータ外観・・・10世紀末に現在の形がほぼ完成した。


メスキータのパティオ・・・床は玉石の石畳、水を導く堀がめぐらされ、観賞用のオレンジや、糸杉、椰子の木等が植えられていました。


升目状にオレンジの木が植えられ、オレンジが沢山稔っていました。

       ・・・いかにも美味しそうに見えても全て観賞用!


                パティオからメスキータの大屋根

                

パティオからメスキータ内部へ・・・後方はカテドラル鐘楼


850本もの馬蹄形アーチが連なる「円柱の森」が見どころ!


                  


「円柱の森」を進むとイスラムの聖地「メッカ」の方向を指し示す「ミフラーブ」が見えてくる。


細かなイスラムのアラベスク文様と文字の記された「ミフラーブ」


天井部分も黄金色と漆喰の壁にアラベスク文様や文字が描かれ往時の繁栄の後が偲ばれる。


もともと6世紀からキリスト教会が置かれてあった場所で、イスラムの建造物、イスラム前のキリスト教、奪還後のキリスト教建造物が渾然としていて独特な雰囲気を醸し出していました。


橋の彫像と同じマリア像


内部中央にあるカトリックのカテドラルの祭壇


カテドラルの中央天井


身廊中央両サイドに据えられた巨大なパイプオルガン
  



旧市街そぞろ歩き・・・

店先にはカラフルなスカーフ、Tシャツ、フラメンコの衣装まで売られて・・・


たわわに稔るオレンジの街路樹の下で・・・

  ・・・スペインの郵便ポストは黄色            レストランのアプローチ

     


さて、イスラム教文化とキリスト教文化の織りなすコルドバの地を後にして、

   バスは約160kmの道をひた走り、2時間半ほどで教の宿泊地グラナダへ・・・


グラナダに着いたのは夜の8時頃、目一杯時間を有効に使った一日でした。


しかし一日はまだ続き・・・


着後すぐに夕食を済ませ、

夜間照明に浮かび上がるアルハンブラ宮殿の見えるアルバイシン地区の丘に位置するジプシーの洞窟住居フラメンコを鑑賞しました。


   



そして偶然洞窟会場の中で知り合いの方にお会いしました!!

   ・・・三年前イングランド・スコットランドを旅した時のツアーディレクターの方にバッタリ!

       先方も覚えていて下さって・・・旅の途中で知っている方と出会うってうれしいことですね!


     ・・・そして翌日もアルハンブラで何度かお会いして、マドリッドにお帰りになりました。  


さて、今日はこれで ”おしまい” にして、


  次回は、グラナダからセビリアまでの旅を紹介します。


      ではまた  ・・・お楽しみに!!