こんにちは!



今日は、前回の旅の報告のつづき、ポーランド紀行を報告します。


ポーランドは、旅の7日目から10日目までの4日間、旧首都であったクラクフ周辺とワルシャワ周辺を巡りました。




7日目、さて今日から最後の訪問国ポーランドの観光です。


先ずジェラゾラボーラのショパンの生家を訪問

舌を噛んでしまいそうなジェラゾラボーラはワルシャワから西に約60キロ、バスで1時間ほどの場所にある静かな街、生家は博物館として公開され、窓辺にはショパン自筆のスコアの複製や出生証明書などが展示されていました。


生家の周辺は公園として整備され、世界各地から贈られた樹木が植えられ、紅葉の盛りを迎えていました。


紅葉した蔦の葉が生家を包み込む様に覆い、室内から外を見ると窓辺には、

透き通る様な蔦の葉が輝いていました。



ピアノが置かれた一室


そして驚くことに、


帰国してから写真を整理中、10月31日、HNKBShi で放送された ”ショパン200年祭「みんなのショパン」” の中で、この部屋で10月17日に演奏された録画を見ることができました。


蔦の絡まる窓辺の風景、広い庭園の一角にたたずむショパンの像、紅葉した木々、そして部屋の花瓶に飾られた花など、全くそのまま記憶がよみがえり、とても感動しました。


アクリル板に拡大コピーされ、

窓の光に透かして見られる様に飾られた、ショパン自筆のスコア


今年はショパン生誕200年で、ポーランドではいろいろイベントも催され、生家にも課外活動らしい沢山の小中学生が先生に引率され、見学に来ていました。

帰り際、カメラを向けると手を振ったり、Vサインで我らを送ってくれました。



午後は、ジェラゾラボーラを後に、一路ポーランドの旧首都であるクラクフに向けて旅立ちました。



8日目、今日は朝から晴天

クラクフから64キロほど離れたオシフィエンチムは、ドイツ占領時代アウシュビッツと呼ばれた場所、強制収容所を見学しましたが、非常に重いテーマを突きつけられた様でした。


収容所内部の展示資料は余りにも悲惨で、自分が今そこにいるというだけで、犠牲になった方々に申し訳ない様な気持ちで、撮影する気持ちになれず、数枚撮影したに過ぎませんでした。


人類が二度と犯してはならい戒めを込め、負の遺産として世界遺産に登録されたアウシュビッツとビルケナウ両収容所を見学しました。


収容所の入り口には、「ARBEIT MACHT FREI」 (働けば 自由になる) と書かれていましたが、解放された時、生きてこの門を出ることが出来たのは一割にも満たなかったと云われています。


収容所の周囲は2重に鉄条網が張り巡らされており、収容された人たちはどんな思いで外を見つめていたのでしょうか?  

気持ちを思うと心が痛み、胸にぐっと来る物を必死で押さえることたびたびでした。


解放された時、かろうじて助け出された方が、記憶をたよりに描いた収容所内で強制労働させられている様子



焼却室を供えたガス室から出てくるドイツから来た、高校生と思われる、学生一行

彼らの胸に去来する物は何だったか・・・

ドイツでは過去に犯した国家的大罪の戒めとして、教育の一環として、歴史を真正面からとらえようとする試みがなされている。



アウシュビッツとビルケナウ両収容所の位置関係を表す地図


アウシュビッツ強制収容所が、1940年ナチスによって建てられ、その翌年収容しきれなくなったユダヤ人やポーランド人、また戦争犯罪人を収容するため造られたビルケナウ収容所。両収容所で1945年大戦終結で解放されるまでの間、150万人もの方々が犠牲になったと云われています。



ビルケナウ収容所の正門

収容所内まで敷設された引き込み線。各地から毎日の様に貨車に詰め込まれた人々が送り込まれて来たとのことです。


引き込み線の枕木の上に花や飲物がひっそりと供えられていました。



アウシュビッツの十数倍は有ろうかといった広大な広さの収容所の中央にまっすぐに伸びた引き込み線。

アウシュビッツに展示されていた、貨車から降ろされる人たちの写真がオーバーラップして、過去に引き戻され自分がそこで見ているかの様な錯覚を覚えました。


殆どの収容棟は既に無く、煉瓦造りの煙突だけが無数に立っていました。


日本人ガイドの詳細で、真に迫る解説に胸が痛く、声を出せば震えそうになって、思わず上を向いてしまう自分がたびたびでした。それほどに重いテーマを押しつけられた体験でした。


ドイツの犯した罪と言ってしまえばそれまでですが、当時のドイツの置かれた状況、そこに台頭したナチスとカリスマ性の強い指導者ヒトラーに殆どの国民がなびいてしまった結果起きてしまった悲劇であり、

 「ドイツでなくても同じ状況下に置かれた時、自分の国だけはそんなことにはならないと言い切れるだろうか?」

と言うガイドの言葉が心に残りました。

  ・・・・・ ”正義” と言う言葉の意味を深く考えさせられる旅でした。



オシフィエンチムを後にして、気持ちを切り替え、午後クラクフに戻り、ビスワ河畔に建つヴァヴェル城を見学し、クラクフ旧市街へと歩を進め、旧市庁舎、聖マリア教会、織物会館などを見学しました。


ビスワ川河畔にそびえて立つヴァヴェル城

歴代ポーランド国王の居城として名高い。信号でバスが止まったひととき、ガラス越しに一枚。



城内に建つ大聖堂

1320年ゴシック様式で建てられてから、数世紀に渡り、ルネッサンス様式やバロック様式が加えられ建設された。ワルシャワ遷都後も18世紀まで歴代ポーランド王の載冠式が行われた。


ヴァヴェル城旧王宮内部

内部は博物館になっており、16~17世紀の頃を再現した部屋、王家の肖像画や壁一面を飾る16世紀頃の巨大なタペストリー等、多くの展示物で溢れる。


旧王宮の中庭で結婚したばかりのカップルが記念写真を撮っていた。・・・幸せ一杯 かみしめて・・・!


城内から外に下る途中から城内全景


城外へと下る途中、落ち葉で戯れる若く可憐な女性達を パチリ!  楽しそう!


ヴァヴェル城をでて、そのまま旧市街へと歩を進めると、面白い標識を目にしました。

馬車を描いた道路標識   ポーランド語は全くワカリマセン!

観光用のクラシックな馬車が通ります。 蹴飛ばされない様に、注意! 注意!

右手後方に見えるのは中央市場広場の織物会館。


ショパン生誕200年を記念し、旧市街中央市場広場にはショパンの肖像画が描かれたピアノのレプリカが置かれていました。


旧市街中央市場広場は、総面積4万㎡、中世からそのまま残っている広場としては、ヨーロッパ最大を誇る。



旧市街の中央市場広場の一角。後方には聖マリア教会の尖塔が見える。

広場の中央に立つ織物会館

長さは100mもあり、14世紀に建てられた当時は衣服や織物の交易所として使われた。現在はおみやげ物などを売る小さな店が軒を連ねている。




織物会館から聖マリア教会を望む。



1222年に建てられたゴシック様式の聖マリア教会



広場の中央に立つ、旧市庁舎の塔

市庁舎は1820年に取り壊され、この塔だけが残った。


中央市場広場や聖マリア教会、旧市庁舎の塔に灯がともり、8日目が暮れようとしている。



9日目、今日も晴天、クラクフから30分ほどバスで移動し、午前中ビエリチカ岩塩鉱山を見学。

その後バスでヴァヴェル城まで戻り、ビスワ川の河畔を散策した後、午後、クラクフから列車で最後の観光地ワルシャワまで戻りました。




ヴィエリチカ岩塩採掘場  中央のタワーは、地下エレベーターのワイヤー巻き上げ機

地下64~325mにわたって複雑に入り組んだ採掘場の一部が公開されており、地下135mまでエレベーターで下りて坑道の総延長の約1%、約2.5Kmほどを見学しました。

坑内は全て岩塩で、岩塩に彫った像やビルがすっぽり入ってしまうような空間に礼拝堂が造られ、礼拝堂ではちょうどミサが始まろうとしているところでした。

因みにシャンデリアも全て塩の結晶から作られているとのこと。




採掘した岩塩を運ぶトロッコのレール


       

急に広い空間が闇の中に広がり、聖キンガ礼拝堂が現れる。

床も壁も天井も階段もシャンデリアも、・・・も、すべて岩塩・・・お塩です!

まさにミサが始まろうとしていた時で、手前は音合わせ中の合唱隊の面々。下方の前方に祭壇、白い法衣をまとった司祭や礼拝者の姿が見える。 


聖キンガ礼拝堂の岩塩の壁に模して彫られた、ダ・ヴィンチの最後の晩餐


純度の高い岩塩の結晶で造られたシャンデリア


1978年に世界遺産に登録されたヴィエリチカ岩塩採掘場は、1250年ころから1950年代まで稼働していたが、現在は陥没の危険性などから掘削は行われておらず、地下から流出する高濃度の塩水からのみ製塩されているそうです。


午後は、ヴィエリチカを後にバスで再びヴァヴェル城に戻り、ビスワ川の河畔の竜の洞窟辺りを散策、そのまま徒歩でクラクフ旧市街まで戻り、クラクフ駅から列車でワルシャワに戻りました。



竜の洞窟。洞窟の側に5分毎に火を噴く竜の像が建てられている。

竜にはユーモラスな逸話が残されていて土産物店には竜のグッズが沢山売られていた。


売店を見ながら休日を楽しむ幸せそうなファミリー



旧市街に戻る途中の公園。紅葉の森と落ち葉の絨毯


公園の落ち葉をかき集めて楽しむ子供達


休日で旧市街市場広場は、沢山のショッピングを楽しむ人や旅行者で賑わっていた。




一時間毎、正時に聖マリア教会の塔の最上の窓が開き、ラッパが吹き鳴らされる。


その昔、モンゴル軍がクラクフを襲った時、敵襲を告げるラッパがこの教会の塔の上から吹き鳴らされた。

ラッパ吹きは、モンゴル兵の放った矢で喉を突かれて殺された。そのことを悼んで、今でも一時間毎に塔の上からラッパが吹き鳴らされるのだそうです。




10日目は、最終日。終日ワルシャワ観光、ショパンピアノコンサート鑑賞、そしてこの旅最後の夕食をフォルクロアディナーを楽しみながら味わいました。



ホテルの前にそびえるワルシャワで最も高い建造物、文化科学宮殿


37階建ての高層ビル。スターリンの贈り物として1952年から4年かけて建てられたもので、ワルシャワ市民には評判が悪く、「ソビエトの建てたワルシャワの墓石」 などと呼ばれているそうです。


早朝、文化科学宮殿前の広場を散策

開店前のホットドック屋さんかな?

ステンレス製のコッペパンのような形と、バックのビルとがちょっと面白い組み合わせでしょ!



午前中にワジェンキ公園、ヴィラヌフ宮殿を見学しました。


ヨーロッパで最も美しい公園の一つに数えられるワジェンキ公園

ワルシャワ市民の自慢の一つ。   森の中は秋真っ盛り!  

   リス達が落ち葉の中を楽しそうにはね回ったり、樹上を追いかけっこしたり・・・


ドングリを無心に口に含むリス

実りの秋を思う存分謳歌しているのはリス達かも・・・


公園は、18世紀にポーランド最後の王となったスタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの命により、1766年から30年の歳月を費やし造られた。


公園内の池の脇に建つワジェンキ宮殿は、王の夏の離宮として建てられた。


水面に優美な姿を映す ”ワジェンキ宮殿”

ワジェンキ” とは ”浴場” の意味で、公園内に散在する各離宮に素晴らしい浴場がたくさん有ったことから呼ばれる様になったとか。




バロック様式の壮麗なヴィラヌフ宮殿   宮殿前にはフランス式ガーデンが広がる。


17世紀末(1677~96)に当時のポーランド国王ヤン3世ソビエスキが建てた夏の離宮。

内部は博物館になっており、壮麗な装飾や家具、調度品の豪華さには目を見張るばかり・・・



午後、旧市街、キュリー夫人の生家、ショパンの心臓が眠る聖十字架教会、そしてプライベートピアノコンサートでショパンの曲を鑑賞、夕食は、フォルクロアディナーショーで踊りと歌を楽しみながら食事をいただき、最後の夜を楽しみました。


午後訪れた旧市街市場広場


旧市街周辺は第2次世界大戦で壊滅的に破壊されたが、ワルシャワ市民の情熱は、この町並みを殆ど寸分違わず復元してしまった。過去の現存する資料や生き残った人々の記憶を総動員してレンガの一つ一つ、壁の割れ目一本にいたるまで再現したと云われている。



広場の周囲には17~18世紀にかけての歴史的建物が美しく並び、まるでその時代にタイムスリップした様な錯覚を覚える。



土産物店や大道芸人、露天の画商、カフェが並ぶ市場広場


この広場の一角で、家内がポーランドの宝石、琥珀のペンダントを、旅の思い出と記念に購入しました。

少しグリーンがかった透明の中に気泡を巻き込んだ石を見つけて、一目で気に入ったようです。



旧市街市場広場には客を待つ馬車が・・・



広場に乱舞する鳩と戯れるファミリーのほほえましい光景・・・幸福のひととき!


天使の様な幼児の顔立ちと仕草! そして優しく子供を見守る父親の眼差し ・・・ 愛に満ちた一瞬! 





旧市街から15~16世紀に建てられた砦、バルバカンの城門を抜けて、そのまままっすぐキュリー夫人博物館に向かう。


やがて右側の小さな建物の壁に金属製のプレートが埋め込まれた入り口があり、ここがキュリー夫人の生家で、現在博物館として公開されていました。


キュリー夫妻の肖像


幼少の頃に描いたという愛犬の肖像。さすが天才の観察力はするどい!!



聖十字架教会内部のショパンの心臓が埋められている石柱


英語で ”ここにショパンの心臓が眠る” と記されている石柱


ワルシャワ大学の正門


我々ツアーの現地ガイドの方(女性)がワルシャワ大学の出身でしたので、ご厚意で大学構内を案内してくれました。ワルシャワ大学はポーランドの名門、日本の東大といったところ。

ポーランドは、公立校の授業料は大学まで無料とのこと。無料と云うことは、それだけ難しいということか・・・

因みに医療費も無料だそうです。

  

ワルシャワ大学講堂

ここにもショパン生誕200年の垂れ幕が掛けられていた。ショパンはポーランドの英雄的存在なのでしょうね。



無名戦士の墓をお参りしました。


丁度、衛兵の交代時刻でした。


夕食前、プライベートショパンコンサートを鑑賞

8曲を鑑賞、ポレネーゼや別れの曲他、曲名までは分からないまでもみな聴いたことのある曲でした。 

全曲終了後、ピアニストと記念写真を撮って、サインをいただき、お別れしました。



フォルクロアディナーショー

ポーランドの民族衣装で、3組の男女が歌い、踊り、演奏し、楽しい時間がアッという間に過ぎて、最後の晩餐が幕を閉じました。

3人の美しい女性のなかでもひときわ美しい女性の笑顔がとても印象に残りました。・・・旅の感傷かな!?



11日目、いよいよ帰国、フランクフルトを経由し、成田へ向かい、12日目、日本時間午前7時過ぎ、成田に着きました。



   おつかれさまでした!!


         ・・・・さーて! つぎは何処かな?