やめたいのか
続けたいのか

やりたいのか
やりたくないのか


まずはその気持ちに「気づく」のが大切で、

「気づく」ためには、

「気づこう」という「意志」が必要です。

その「気づこう」という意志を持つ・起こすことを

仏教では

「発心(ほっしん)」

と言います。


どうしてこれをやっているのか。
どうしてそれを続けているのか。
本当はやりたくないのか。
本当にやりたいのか。


普段は、

「どうして?」
とか
「本当に?」
とか、

そういう感情というか考えは、

めんどうくさいですよね、ひと言で言えば…


考えて、万が一現状と真逆の気持ちに気づいてしまったら、めんどうくさいじゃないですか。


なので僕らは

できるだけそれを考えないように、

見ないようにしているんですが、

これを見ないと、
いつの間にか進む方向がずれてしまいます。


考えたくない理由は、

「今やっていることが、実はやりたくないことだった」と気づいた時に、

それをやめたり、
やめるかどうか考えたりするのが、

めんどうくさいからですよね。


でも、

「今やっていることが、実はやりたくないことだった」と気づいたからと言って、

別にやめなくてもいいと思うんですね。


実はやりたくないことだけど、続ける

というのも、当然「あり」です。


だけど、

その感情を見るのがつらいから
気づかないふりしておこう

というのは

ただ、逃げてるだけですよね。


気持ちを認めたうえで、

「やりたくないことをやめる」
「やりたいことをやる」

という作業から逃げるのは仕方ないと思うのですが、


「やりたくない・やめたい」
「やりたい・続けたい」

という気持ちを、

無いことにするのは、

ちょっと無理があるので、

あとで歪(ひず)みが生じるかもしれません。



やりたくないけどやってる
やりたいけどやらない

どちらもあると思いますが、


とりあえず行動するかどうかは別として、

やりたくない
やりたい

の気持ちだけは
無視しちゃいけないと思うのです。





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