私が少年の頃、「フランダースの犬」というアニメがテレビで放映されていました。
この番組はつらすぎて、私は、とても見ていられませんでした。
(妹は普通に見ていました)
私はそういう自分自身を、なんだか、男らしくないようで、恥ずかしく感じていたように思います。
他人の気持ち(悲しみや辛さ)が分かりすぎるのも、しんどいものです。
医師には、他人の痛みが分かる人であってほしい、と言われることがありますが、
分かりすぎないくらいでちょうどいいのではないかな、と思うことはあります。
さて。
自閉症の子どもは、他人の気持ちが分からないのでしょうか。
「他人の気持ちが分かる」という意味は、
① 喜怒哀楽のような感情を共有できる
② 他人の視点で考えることができる
今日は②について書きます。
「多くの自閉症児には、心の理論が欠損している」と言われます。 *1
心の理論とは「他者の心を類推し、理解する能力」です。 *2
「誤信念課題」*3 で、心の理論を調べる、その例をあげてみます。
チョコの箱を見たら、中身はチョコだと思うでしょう。
ママが箱に鉛筆を入れて、中を子どもに見せます。
「なに入ってる?」と訊けば、子どもは「鉛筆」と答えます。
「この箱、パパにあげたら、どう思うかな?」
「チョコ入ってると思う」 (*2 *3 少し書きかえています)
「パパはチョコと思う」で正解です。
もしチョコでなく「鉛筆」と答えたら、
その子は、
質問の意味が分かっていないか、パパの気持ちを推し量れないか、どちらかです。
定型発達なら、4歳で、半数のお子さんが正答できます。 *4
お子さんに、もし、知的な遅れがあれば、
実年齢が6歳、7歳でも、正答できないかもしれません。
その場合、暦年齢ではなく、言語精神年齢(言語性IQ)でみれば、
やはり4歳相当以上で、正解できるようになってきます。
さて、自閉症児の場合ですが、
言語精神年齢が、9歳2か月以上で、半数が正答できるようになるそうです。
*4
当然個人差はありますし、
自閉症児であっても、2割は、心の理論を欠損しない、と言われます。 *4
あくまで、心の理論で見る限り、ということになりますが、
多くの自閉症児が、他人の気持ちが分かるようになるのは、9歳2か月頃で、
定型発達児よりは遅れる(言語性IQが80の自閉症児であれば、暦年齢では11歳を過ぎた頃になります)、と結論できます。
どうもただ遅れるだけではなくて、自閉症と定型では、質的に違いがあるようです:
つまり、
定型発達児は:4歳くらいで、直観的に、他者の気持ちがわかります。
多くの自閉症児は:4歳を過ぎても、直観的に、他者の気持ちがわかるということはない、ようです。その段階は飛ばして、言語発達が9歳2か月くらいになると、言葉で他者の気持ちを推量できるようになる、らしいです。 *4
なので、
成長した自閉症児は、他者の気持ちは、言葉の上では分かるのですが、実感としては分かっていないのかもしれません。
自閉症者が、「心の理論」を獲得した後も、定型発達者とは違って、
日常生活で他者の心を読み違えた奇妙な言動をするギャップ *4 は、よく指摘されるところです。
(注.ただし、あくまで「心の理論」で見る限り、ということです。
失望や不安、動揺など、他人の否定的な感情を感じることには、自閉症者はむしろ過敏であることが示されています。 *5)
(「心の理論」で分かる他人の気持ちというのは、相手の感情というより、「他者視点」だろうと思います。)
ここまでまとめると、
● 自閉症児の発達には、定型発達児に比べて遅れているだけ、ということではなく、質的に異なった部分があります。
● 成長した自閉症者は、自分の中での言語的説明により、他者の気持ちを、ある程度理解することは可能と思われます。
ただ、自閉症児・者の「心の理論」の研究には、もう一つ、その先がありました。
最近注目されているのは、
高度に知的な自閉症の方は、心の理論を獲得した後であっても、健常者とは異なる、厳しい回答を選択する、ことです。 *6
自閉症の高機能成人は、誤信念テストに簡単に合格しますが、現実の状況では道徳的判断に苦労します。
意味わかりにくいですね。例を挙げます: *6
● メアリーは砂糖を頼み、グレースは「砂糖」と書かれた容器を手渡しました。
しかしその容器には、毒が入っていました。
メアリーは数時間後に死亡しました。
グレースに責任があるのか?
グレースは毒が入っていることを知らなかったので、ほとんどの人は「いいえ」と答えるでしょう。
しかし、高度に知的な自閉症の成人は、グレースに高い道徳的責任があると回答します。
ほとんどの人は、「偶発的な危害」なら、許す傾向がありますし、
多数だからというだけではなくて、殺意のかけらもない、過失ともいえない、普通に考えて予想もできないようなことで、グレースの責任は問えないでしょう。
ですが高機能自閉症の人は、意図ではなく、結果に基づいて行動を評価する傾向があることが分かりました。
標準的な「誤信念課題」はクリアしている自閉症者であったとしても、
自閉症者の、このような道徳的判断は、やはり「心の理論」の障害に基づくものであると説明されています。 *7
「心の理論トレーニング」が、自閉症者への療育として行われているようです。
*8
今後の成果が期待されます。
そして。さらに、もう一つ、先があります。
それは「自閉症者は、スキルが欠けていて、他者を理解する能力が劣っている」わけではない、という考え方です。 *9
これは「二重共感(問題)」という言葉でよく言われる、神経多様性(Neurodiversity)の立場からの提案です。
多くの自閉症者は、他の自閉症者とは社交的であり、効果的にコミュニケーションをとることができることが示されています。 *10
日本人は日本語で、日本人同士でコミュニケーションをとる方が、ネイティブアメリカンと話すよりも(普通)楽ですよね。
それと同じで。
日本人がアメリカ人に劣るわけではありません。
自閉症者が、非自閉症者に劣るとか、考えなくて良いのです。
自閉症者と非自閉症者が、お互いの視点を理解しあえるように努めましょう、ということです。
素晴らしいと思います。
私は、
他者の考えや気持ちを理解できないより、(適度に)理解できた方が、楽にたのしく生きていきやすいだろうと思うのです。
日本人が英語を学んでも、それだけでは、微妙なニュアンスやアメリカ人の生活習慣の深い理解には届きませんが、
学んだ方が、学ばないよりも、お互いの理解に近づけます。
スキルが欠けていて劣っている、とか、そんなことを言うのではなく、
生きていきやすいように、
楽しく日々を過ごしてもらえるように、そして
将来、幸せになってもらえるように、
私は医師ですから、ただそのために力になりたい、と思っています。
たんたんと、
早期療育は進めていきます。
*1.
*2.
*3.
誤信念課題のなかでは、「サリー・アン課題」が有名です。
「箱の中の鉛筆」の課題は、「スマーティ課題」と言われるものです。
*4. 別府先生の、とても面白い論文でした(2005年)。